25.田中 悠聖5
私はゆっくりとスマホをテーブルに置き、重い足取りでリビングのドアを開けた。
「母さん。ちょっと来てくれ」
「はいはい、なーに。どうしたの、そんな怖い顔をして」
キッチンから顔を出した妻に、私は手短に尋ねた。
「有紀の友達の……橘さんに香典返しと一緒に、お礼状かなんかあったのを見た気がするんだが。もう捨てたか?」
「えーと、待ってね。たしか、まだこの引き出しに……はい、これね」
妻が差し出した薄い封筒を受け取り、私は中に入っていた挨拶状に目を落とした。
喪主の家族の名前が、活字で印字されている。
『橘 風花』
それを見て、私は低く呻いた。やはり、そうだったか。
「有紀」
ソファで膝を抱えて震えている娘を、私は真っ直ぐに見つめた。
「今、駒田さんから聞いた。お前たちが聞いたというあの気味の悪い『音』を作ったのは、橘風花……橘梨花ちゃんのお母さんだ」
有紀は弾かれたように顔を上げ、目を限界まで見開いた。
「そんなことが……」
有紀の唇が微かに震える。しかし、どこか納得したような、絶望の色がその顔に広がっていく。
「そう、おばさんも何か知ってるみたいだった……。お葬式の日に、私にあの音のことを聞いてきたの。なのに、何も教えてくれなかった……」
「じゃ、その風花さんに直接聞けば手っ取り早そうだな」
重苦しい空気をぶち壊すように、後ろで腕を組んでいた保科勇気が、ひどく軽い口調で言い放った。
「あなたが、あそこに梨花の携帯を送ったのよ!?手がかりだったのに」
「そうなのかよ。そっちがそう言って……まあ、とにかく、さっさとその家に行こうぜ。ここにいても始まらないだろ」
保科は上着を手に取り、玄関へ向かおうとする。しかし、有紀はソファから一歩も動こうとしなかった。
「私は……外には出たくない」
「でも、それじゃ話が進まないだろ」
「あなたはまだ、写真が二枚なんでしょ! 私はもう六枚なの! 一歩でも外に出て、誰かのカメラに映り込んだら……」
「いや、なんか気がついたら三枚になってた」
勇気はポケットから自分のスマホを取り出し、画面をこちらに向けた。
そこには、西本祐希の三枚目の写真が静かに鎮座していた。
いつの間に増えたのか、この男は全く気づいていなかったのだ。
呪いは、確実に、そして無音で進行している。
「なんで、そんなに呑気なのよ!」
有紀が半狂乱になって叫んだ。
当然だ。
死が目前に迫っているというのに、この男の反応はあまりにも異常だった。
「怒るなよ。わかったよ、俺が行ってくるから。お前はここで留守番しとけ」
「え……?」
「任せとけって。俺がちゃんと、その風花って人から話を聞き出してきてやるから」
保科は屈託のない笑みを浮かべた。その極限状態からズレた感覚が、今の私にはひどく頼もしくもあり、同時に底知れない薄気味悪さをも感じさせた。
「有紀。私たちも一緒に行くから、大丈夫だ」
私と美子さんも、保科の背中に続くように立ち上がった。
大人三人で向かえば、あの風花という女性から、何かしらの真実を引き出せるはずだ。
「……わかった。お願い……」
有紀は青ざめた顔で小さく頷き、自分の体をきつく抱きしめた。
私たちは、妻と娘を残し、呪いの発信源かもしれない橘の家へと向かうことになった。




