17.保科 勇気7
あの日、あの電話の相手が言っていた「写真に撮られるな」という警告を思い出し、俺は毎日ビクビクしながら生活していた。
だが、仕事を休むわけにもいかない。
極力、誰かのスマホのレンズを避けるように、下を向いて足早に歩く日々。
しかし、よく考えれば仕事場と家の往復だけで、そう都合よく他人に撮影されることなんかあるだろうか?
日常で写真撮ったり撮られたり、そんなにないだろ。
そんな警戒生活を数日続けると、だんだんと「大丈夫なんじゃないか」という気がしてきた。
あの女子高生の言っていたことは、ただの妄想か、何かの偶然が重なっただけの勘違いだったんだ。そうやって自分を納得させかけていた。
――だが、現実は違った。
ある朝、目覚ましを止めようとスマホを開いた俺は、写真フォルダを見て凍りついた。
まったく撮られた覚えがないのに、あの『中学生の男の子』の写真が、また一枚増えていたのだ。
今度の写真は、あの不気味な満面の笑みではなかった。
男の子の顔や腕に、赤黒い、痛々しいアザがくっきりと浮かび上がっている。まるで誰かに執拗に殴られたような痕だ。
一体、どこで撮られたんだ。
いや、そもそもこの男の子に、過去に何があったというんだ?
わけのわからない恐怖に包まれたまま、その週末を迎えた。
休日の昼下がり、ベッドの上でのんびりとゴロゴロしていると、不意にインターホンが鳴った。
何かネット通販でも頼んだっけな。寝癖を掻きむしりながら玄関のドアを開けると、そこには見慣れた顔があった。
「勇気ちゃん、遊びに来たよー」
大量のスーパーの袋をぶら下げた、俺の母親だった。
俺は両親が結構遅くに産んだ子供だ。
だからなのか、母親は俺のことを異常なほど気にかけて、ことあるごとに一人暮らしのマンションに押しかけてくる。
「あのさ、もう俺も二十四なんだから。勇気ちゃんって呼ぶのはやめてほしいんだけど」
「いいじゃないの。いくつになっても、勇気ちゃんは私のかわいい勇気ちゃんなんだから。さ、何か作ってあげようか?」
正直、ちょっと面倒臭い。
だが、文句を言いながらも、母親が手際よく作ってくれた肉じゃがの匂いには抗えなかった。
リビングのテーブルに向かい合い、久しぶりの手料理をつつく。
テレビのバラエティ番組を流しながら適当な世間話をしているうち、ふと、あの写真のことを思い出した。
こんな不気味な話をしても面白くないだろうとは思ったが、誰かに話さないと消化できなさそうだったのも事実だ。
「そういえばさ。最近、変なウイルスに感染したみたいでさ。スマホに勝手に知らない中学生の写真が増えるんだよね」
「え? ウイルス? 大丈夫なのそれ、お金とか取られない?」
「いや、なんかそういうのじゃなくてさ。これなんだけど」
俺は軽い気持ちでスマホの画面を開き、あのアザだらけの中学生の写真を見せた。
画面を覗き込んだ母親の手から、ポロリ、と箸が滑り落ちた。
「……え?」
母親の顔から、一瞬にして血の気が引いていた。
目を見開き、信じられないものを見るような顔で、スマホの画面に釘付けになっている。
「……西本、君……? そんな、ばかなこと……」
震える声でこぼれ落ちたその名前に、俺は箸を止めた。
「母さん、知ってるの? この子のこと」
「…………」
母親は弾かれたように顔を上げ、激しく視線を泳がせた。
何か、絶対に触れてはいけないものを見てしまったような、そんな異様な焦燥感が伝わってくる。
「……い、いえ。見間違いよ。ただの、見間違い」
母親は引き攣ったような愛想笑いを浮かべ、慌てて落ちた箸を拾い上げた。
「そ、そうよね。こんなところにいるわけないし。早く消しちゃいなさいな」
明らかに動揺している。
この写真の男の子を知っている。それも、絶対に思い出したくないような。
だが、俺はそれ以上深く追及する気にはなれなかった。
母は、昔のことを話したがらない。
「……そっか。まあ、いいや」
俺はスマホの画面を伏せ、無理やり明るい声を出した。
「母さん、この肉じゃが、うまいよ」
「そ、そう? よかったわ。いっぱいお食べなさい」
テレビの笑い声だけが、不自然なほど明るく部屋に響いていた。
向かい合って座る母親が、それから一度も俺と目を合わせようとしなかったことに気づかないふりをしながら、俺は冷え切った肉じゃがを胃に詰め込んだ。




