↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
拾ったスマホ ―写真が八枚になったらもう終わり―  作者: 黙
第二部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

104/107

エピローグ

 一本の電話が耳を突いたあの瞬間から、世界の輪郭は歪んだままだった。


 夫を突然の心不全で失い、そのわずか数日後に、最も大切だった息子の命まで奪われた。


 かつて娘の京子をも同じように失っている。


 神様はどれだけ私から子供を奪えば気が済むのだろうか。


 静まり返った家の中に立ち込める、かすかな線香の匂いだけが現実の重みを持っていた。


 親族の手によって勇気の焼け焦げた亡骸が引き取られ、機械的に葬儀が済まされた。


 頭の中にあったのは、残された暗い部屋で、どうやって家族のいる場所へ行くかという方法だけだった。


 生きていくことなど、もう到底不可能だった。


 ピンポーン、と無機質な音が玄関から響いた。


 インターホンが鳴っている。


 けれど、もう出る必要も、誰かに会う必要もなかった。


 私はもう、すぐに死ぬのだから。


 音が止んだかと思うと、またピンポーン、ピンポーンと、鋭い電子音が幾度も壁を叩いた。


 何度も、何度も、諦めることなくそれは繰り返された。


 心臓の奥から、冷たい怒りのようなものがじわりと湧き上がってくる。


 放っておいて欲しかった。


 この底知れない絶望の淵にいる私の気持ちを、少しでも理解しろと叫びたかった。


 私は重い足を引きずり、玄関のインターホンの受話器を引ったくるように掴んだ。


「なんなの? 何回も何回も……!」


 インターホン向こうに、激しい罵声を、言葉を容赦なく投げつけた。


 相手は私の怒声を遮ることもなく、ひとしきりその言葉を静かに聞き届けていた。


 やがて、向こうから、細く震える少女の声が返ってきた。


「勇気君の友人の、田中有紀と申します」


 息が、止まった。


「お母さんですよね、勇気君の手紙は読みましたか?」


「手紙?」


 何のことだか分からなかった。


 そんなもの、どこにも。


 いや、目の前の少女は、田中さんの。


「田中有紀さん……あ、田中有紀さん」


 記憶の糸が繋がり、喉の奥が引きつった。


「ご、ごめんなさい、有紀さん。久しぶり、ね」


「いえ、私にはわかるはずもない悲しみだと思います。でも、私も、本当に悲しいです」


 インターホン越しに漏れるその言葉が、嬉しかったのか、それとも悲しかったのか、もう何も分からなかった。


 ただ、堰を切ったように視界が滲み、私はその場に崩れ落ちるようにして泣き叫んでいた。


 私が涙をこらえ、少しだけ息が整うまで、有紀さんは玄関の扉の向こう側でずっと待っていてくれた。


 鍵を開け、重いドアを開いて彼女を家の中へと招き入れる。


 有紀さんの制服は少し乱れ、目の周りは赤く腫れていた。


 遺影の前で手を合わせて、言葉もなくリビングに移動する。


「勇気君から、手紙が届いたんです」


 リビングのソファに座ると、有紀さんはカバンから一通の封筒を取り出した。


「この手紙が届いた時に、自分はもう生きていないかもしれないって、書いてありました」


 有紀さんの指先が、小さく震えている。


「そしたら、頼みたいことがあると」


「頼み……?」


「はい。もし、あの呪いがまだ終わっていなかった時のために、次の被害者が指名をしないようにするための対策だけを考えたから、それをインターネット上に載せてほしい、と」


 有紀さんは、テーブルの上の手紙を見つめた。


「それから、実家にも手紙を残したけれど、母の様子を見てほしいとも書いてありました」


「そう、だったのね……」


 胸の奥が、温かいような、ひどく痛いような感覚で満たされていく。


「有紀さんは、それをするの?」


「はい。勇気君は、対策を作ったら連絡先などは載せないで、もうすべてを忘れて平和に過ごしてほしいって言っていました」


「あの子らしいわ」


 あそこまで冷たく突き放して巻き込むまいとしていたのに、最後まで他人の平和を願っていたのだ。


「本当に、勇気のある人。ありすぎるよ、馬鹿……」


 ぽろぽろと涙を流す有紀さんの肩を、私はたまらず引き寄せて抱きしめた。


 二人分の涙が、静かな部屋を濡らしていく。


 やがて有紀さんと共に、勇気の部屋へと向かった。


 主を失った部屋の学習机の上に、ぽつんと一枚の手紙が丁寧に折りたたまれて置かれていた。


 こんなに分かりやすい場所にあったのに、これにすら気づかないほど、私は心が死んでいたのだと痛感した。


「私は、これで帰ります」


 有紀さんがそっと部屋を出ようとしたが、私はその細い腕を掴んで引き留めた。


「お願い、一緒に読みましょう」


 震える手で、ゆっくりと紙を開いた。


 見慣れた、勇気の少し丸っこい実直な文字が並んでいた。


『母さんへ。』


『俺は、許せない。父さんを、京子さんを奪ったあの呪いが、橋田が。』


『でも、それで俺まで死んだら、母さんは本当に辛いと思う。』


『だからごめん。ごめんじゃ済まないけど、ごめん。』


『俺は、俺をここまで育ててくれたことに本当に感謝してる。』


『だから、俺らしく生きたい。』


『悲しみは、消えないかもしれないけど。幸せに暮らしてほしいなんて、今は無理なことかもしれないけど。』


『俺のことを、少しでも誇りに思ってくれたら嬉しい。』


『必ず勝つから。母さんの子どもで良かった。』


『でも帰れなかったら、ごめん。』


『勇気』


 声を上げて泣いた。


 手紙の文字が涙で歪んで見えなくなるまで、何度も何度も息子の名前を呼んだ。


 有紀さんは後ろから私の体をきつく抱きしめ、そのまま、ずっと長い間そうしていてくれた。


 窓の外の夕闇が、静かに部屋を包み込んでいく。


「一つだけ確認したいんですが、呪いの写真は残っていますか?」


 私の携帯には写真は残っていなかった。


「玲奈さんという人も、街に帰ってきても写真は戻らなかったと言っていました」

 

「そんなことは何の救いにもならないですけど」と付け加えて有紀さんは。俯いた



「いつでも、連絡してください」


 帰り際、玄関で有紀さんは私の目をまっすぐに見つめた。


「そして、もしあの呪いが、また私たちの前に現れた時には……協力してください」


「ええ、それだけは、協力すると約束するわ」


 私は頷いた。


 勇気の意志は、まだこの世界から消えてはいない。


 有紀さんを送り出し、静かに玄関の扉を閉める。


 ふと見上げた外の青い空は、あの子の生前の笑顔のように、どこまでも澄み切って晴れ渡っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。