(23) 決戦への道
帝国軍が王都から撤退し始めた、という情報はセドリアン全土にまるで光速かと思える速度で伝わった。
ドイェターンにいるラドヴァンをはじめ、諸侯達も帝国軍がどこまで後退するのか、躍起になって情報を集める。
可能性が低いとはいえ、矛先を変えてこちらに向かってくる可能性があるのだから……
その結果、帝国軍は要地であるヴラーゲン平原すら手放して、セドリアン領から完全撤退したことを知った。
クリストフ征服帝がおそらく死んだという情報と共に。
情報が広まるや否や、王都のみならず、セドリアン全土がある種のお祭り騒ぎとなる。
事情通は後継争いで外征などできなくなると知っていた。
そうでない者も、最低数年は再侵略などできないのはたやすく想像できる。
「やったぜ! これでもう奴らに怯えなくてもすむ」
「皇帝のクソ野郎! 今まで殺してきた奴らの呪いでくたばったに違いないぜ!」
一般庶民は祝うだけでよかったのだ。
しかし、ラドヴァンにとっては、これからが始まりだった。
シルヴェストル三世との全面対決となるだろう。
早速、執務室にエドゥアルドを招いて、今後について相談する。
「あれから、うまくいってる。大きな借りができたな」
三人で細かく話し合って、交代で生活を共にするようにした。
ネステルとハギリが話をすることはほとんどないが、険悪でもない。
ラドヴァンはエドゥアルドにかなり感謝していた。
後ろ暗さがなくなったのだから。
「ネステルからは惚気られましたよ。陛下ならもう二人くらい、いけるんじゃないですか」
「……いや、二人で十分だよ。で、今後についてなんだが、やはり西に行くべきかな」
ラドヴァンは苦笑して、本題に入った。
「西征して、ヴラーゲン平原を奪うしかないですよ」
「エドゥアルドもやっぱりそう思うか」
「ええ、ヴラーゲンを抑えて、中南部、南西部の諸侯を抱きこむことに成功すれば、王都を中心に北部を抑えてる僭王と互角に戦えます」
「南北で対峙するわけだな」
「ヴラーゲン平原の辺りは、空白地域みたいになってますね。たやすく抑えられると思いますよ」
エドゥアルドは執事長に命じ、間者を投入して調べさせていた。
ラドヴァンは自前の諜報組織を持っていない。
情報を集める手段といえば、斥候を放つくらいだ、
必要性は知っていたが、すぐに整備できるものではなかった。
当面は、エドゥアルドに頼るつもりだ。
「俺の考えと一致して、心強いな。一緒に来てくれるか」
「もちろんですよ。情勢によっては、北上して一気に決着をつけましょう」
「ああ、問題は諸侯がどれだけ俺についてくれるかだな」
それがラドヴァンの抱える不安だった。
正統性はラドヴァンのがはるかに強い。
しかし、シルヴェストル三世は王都を抑えて、なおかつ、形式的には帝国本軍を退けていた。
分が悪いように思える。
「そうですね。陛下は諸侯と会う際、嫌われまいと、演技してますよね」
「……不自然にならないよう、振舞っているつもりだが、エドゥアルドにはわかるのか」
「ええ、まぁ。女の子を口説くときも多少、演技が入るでしょう、お互い」
「……そういうものなのか?」
ラドヴァンはエドゥアルドの考えや意見を貴重に思っていたが、こういう例えをよく使うので、わかりづらいことがままあった。
「初対面だと、猫かぶってるのって多いですからね。陛下も似たような感じです」
「……だが、そういうものじゃないのか。外面を取り繕うのは」
「もちろん、そうですよ。僕も一応、陛下の前だと猫かぶってますし」
「……本当に、そうか?」
一応、ですます口調だが、ラドヴァンには自由奔放に話をしてるように思えて仕方がない。
「ええ。それはともかく、ネステルとハギリさんを手懐けたように、諸侯相手にも感情をこめて話をしたら、だまされるのが何人か出てくると思いますよ」
「女性相手と諸侯相手じゃ、全然違うだろう。それに、日和見諸侯に真情をぶちまけたら、怒り出すんじゃないのか?」
「同じ人間ですよ。ネステルはともかくハギリさんを懐柔できる男はそうそういませんよ」
「ハギリはとっつきにくいかもしれないが、かわいいぞ」
「……ええ、まぁ」
エドゥアルドは、ハギリの戦いぶりを直接見てないので、そういう点で化け物扱いするつもりはない。
だが、容姿のよさよりも、ハギリの眼差し、身にまとう雰囲気の異質さ、歪みが気になって仕方なかった。
女性に鋭敏な彼には耐えられないほどに。
軍部隊の中では、容姿のよさも相まって、ハギリを神聖視する者が増えてきているが、正気かとエドゥアルドは問いただしたいくらいだ。
“あれ”と付き合えるラドヴァンは大物だと、エドゥアルドは一目置いている。
「そういう訳で、日和見の奴らにも事務的に応対するのではなくて、軽く笑顔を作って、ねんごろに話をすれば、いいですよ。何なら、来ない奴らの所は、こちらから出向けばいいんです」
「……勝つにはそれくらいやらないとダメか」
「それで勝てたら、安いものですよ。ハギリさんを連れて行けば、護衛にもなりますし、武技を披露すれば、ころっといきますって」
「ハギリを、か。それはいい考えかもしれないな」
「ええ、陛下と一緒なら、喜んで同行するでしょうし」
「わかった。俺はエドゥアルドを信じている。その通りにしよう」
ラドヴァンは爽やかに笑った。
エドゥアルドは眼を細めるが、悪くない気分だった。
格別野心があるわけではない。
楽しく愉快に暮らしていければ、それでよかった。
だが、ラドヴァンと政治について語り合ってみると、女遊びとは別の面白さがある。
ラドヴァンを担いで、どこまでやれるかを想像するのだ。
祖父も父もこの魅力にとりつかれて、叔母のクリスチーネを王妃にたてたあげく、あんな最期を遂げたのだろう。
自分は二人のようになるまい、とは思っている。
しかし、祖父も父もああいう死が訪れるとは想像してなかったに違いない。
エドゥアルドは、こんな自分もベドナジークの血をひいてるんだな、と自嘲した。
◇ ◇
ラドヴァン軍は、同調する諸侯達、軍に参加した遊牧民族を引き連れて、ドイェターンを出発した。
総勢、約三万である。
ザーロシュでの戦勝による勢いそのままに、西進していった。
街道にある各拠点は次々とラドヴァン軍を迎え入れた。
帝国軍の攻撃で現地部隊は深く傷ついており、防備も完全に修繕できていない拠点がほとんどだ。
エドゥアルドが言ったように、空白地帯のようなもので、抵抗したとしても鎧袖一触で蹴散らせたであろう。
であれば、彼らは死ぬのが決まっている無益な戦いはやりたくなかったのだ。
相手がラドヴァンではなくて、シルヴェストル三世だったとしても、降伏していたであろう。
かくして、ラドヴァン軍はヴラーゲン平原の中心地シェリークに入城した。
この頃、シルヴェストル三世は北方遠征に出ており、対処しようもなかった。
次いで、中南部諸侯、南西部諸侯の抱きこみにかかる。
ラドヴァンはエドゥアルドに言われたように、なるべく笑顔で応対するようにした。
海千山千の諸侯揃いであり、それだけでなびく者はほとんどいない。
しかし、若干十七歳のラドヴァンに、
「伯爵、よく来て下さいました。とても心強いです。私の力になって下さい」
と、笑顔で爽やかに言われると、悪い気分にはならなかった。
諸侯達の高いプライドが満たされるのだから。
シルヴェストル三世は王国宰相時代、諸侯達とは当然顔なじみである。
なので、ラドヴァンとシルヴェストルを比較してしまう。
なまじ能力が優れているだけに、シルヴェストルは無能な諸侯に対して、白眼視することもあった。
白眼視された側は当然、根に持ち続けている。
また、プライドが高いシルヴェストルに比べて、ラドヴァンのが親しみやすかった。
下手に出ているラドヴァンの方が、与しやすいようにも思える。
それは錯覚に過ぎないのだが、エドゥアルドの狙いの一つであった。
それと、日和見を決め込んでいる諸侯達の下にはハギリを伴って、半分押しかけて行く。
さすがに無視するわけにもいかず、諸侯達は面会せざるを得ない。
ラドヴァンが親しく話しかけると、若干は応対がよくなるが、それだけで味方する諸侯など当然、一人もいなかった。
しかし、ラドヴァンが強引にも、ハギリと諸侯達が召抱えている腕利きと試合をさせると、ほぼ一瞬でハギリが勝つ。
相手側が納得せず、何度も何度も戦うが、ハギリは面白いように蹴散らしていった。
「ラドヴァン様、これでよかったですか?」
「ああ、やっぱり、ハギリが戦う姿は美しいよ」
「もう、すっかり口が上手になりましたね」
「本当のことさ」
ラドヴァンとハギリは余裕で楽しく会話をする。
一方の諸侯達も相手をした者達も、ハギリの圧倒的なまでの強さに舌を巻いた。
「侯爵、『究極の戦士』であるハギリの強さはわかっていただけたかと思う。私に協力してくれないか」
「……シェリークに参朝いたしましょう」
このように何人かは日和見をやめた。
すると、ラドヴァンは、
「心強い味方ができてうれしいぞ。私は侯爵の決断をありがたく思う。僭王を倒した後も、私を助けてくれ」
と、頭を下げていく。
「もったいない。頭をお上げ下さい。亡き先王にはお世話になりました。助力が遅れたこと、お許し下さい」
「もう、すんだことだ。全ては帝国と僭王が悪い。それだけだ」
ラドヴァンは、澄んだ笑顔で述べる。
このようにして、ハギリと誠意で諸侯を説得していたが、エドゥアルドの想定以上に諸侯達を集めることができた。
ハギリの武力、ラドヴァンの魅力は確かに大きかった。
しかし、最大の要因は近くにシルヴェストルの軍がなく、近くにあるのはラドヴァン率いる三万の軍勢のみであったことだろう。
それも、近隣諸侯が参集することによって、約五万にまでふくれあがっている。
このような情勢で、シルヴェストルに殉じるほどの義理を持つ諸侯はこの近隣にいなかった。
◇ ◇
シルヴェストル三世が北方遠征から戻ると、ラドヴァンが南部をほぼ抑えてしまっていた。
情報を集めてみると、思ったよりもラドヴァンの戦力が充実している。
(なぜ、ラドヴァンにこれだけ諸侯が集まる。小僧ごときに……)
彼は歯噛みするが、うかつに攻撃するのは避けて、戦力充実につとめる。
ラドヴァンと同じように、北方遠征の勝利を宣伝して、彼もまた北部の諸侯達を集めだす。
もう彼は、日和見を許すつもりはなかった。
王都正規軍に一人の将軍がいる。
彼の名はスターグ、四十八歳であり、伯爵で北東部に所領を持つ序列第三位の将軍だ。
軍人と思えないほど、でっぷりと肥えており、頬のゆるんだ肉と二重あごが目立った。
スターグ将軍は、ヴラーゲンの戦いで序列第五位の将軍として戦った。
序列第一位の将軍は、オタカル二世を守ろうとして戦死したが、彼は生き残る。
敗勢とみるや、彼は一目散に逃げ出していた。
彼の判断は正しかった。
序列が繰り上がり、序列第四位となった上、シルヴェストルのクーデターにより、逃走はうやむやになったのだから。
彼のみならず軍部全体として、クーデターに参加も反対もしていない。
それだけシルヴェストルのクーデターは迅速だった。
やむなく、軍部はシルヴェストルの王位継承を認める。
正統性に疑問符がつくが、ラドヴァン派など当然いなかったし、帝国軍が攻め寄せてくる国難というのもあって、一致団結を選んだ。
だが、序列第二位の将軍は、ベドナジーク侯爵と近かったので、罷免された。
それで、彼は第四位から第三位へと繰り上がり、現在の地位に至る。
彼は不満だった。
序列第三位の将軍だというのに、大きな兵権を委ねられないのである。
五千人の部隊しか指揮できないのだ。
シルヴェストルの狭量さが原因だと、彼は思っていた。
(奴は子飼いの部下や、北西の諸侯達しか優遇しとらん。このわしを馬鹿にするのか!)
もっとも、シルヴェストルは確かに猜疑心が強かったが、スターグの能力が低いと考えていたので指揮権を委ねなかっただけだ。
客観的に考えても、それは正しかった。
誰が、ヴラーゲンの戦いで逃げ帰った無能な人間に大軍を任せようか。
しかし、彼はそう思っておらず、不満が募った。
そして、北方遠征によって、ついにその不満が爆発する。
序列第四位や第五位の将軍には兵八千ずつ与えられたのに、彼が指揮できるのは兵五千のままだった。
シルヴェストルは暗に、スターグに辞職を迫っていたのだ。
だが、彼は意地でも辞職しなかった。
(こうなったら、わしにも考えがあるぞ! シルヴェストルに一泡ふかせてやるわ!)
彼は王都に帰還後、ラドヴァンの勢力が拡大しているのを知り、ついに寝返ることを決めた。
(ラドヴァン様には正規の高位軍人が一人もついておらぬ。精々、ベネシュのみだ。わしが部隊を引き連れて寝返れば、きっと厚遇してくれるはずだ!)
彼はヴラーゲンの戦いでオタカル二世を見捨てていたのを、都合よく忘れていた。
だが、問題はどうやって王都を脱出するかである。
それに苦慮していたが、名案を思いつく。
彼に軍事的能力は全くない。肥満しきった体格からもわかるように個人的武勇もない。
だが、計略を考える能力はそこそこあった。
スターグは玉座の間にいるシルヴェストルに言上する。
「ラドヴァンめの勢力を拡大させないためにも、ヴラーゲンの北あたりを抑えておいた方がいいでしょう。きたるべき征伐の際に備えて、それがしが部隊を率いて要害をかためますぞ」
シルヴェストルはあごに手を置いてしばし考える。
(こいつも少しは能力があったのか。確かにやっておくべきことではある。だが、五千もこいつに預けるのは惜しいな)
「将軍の献策はもっともだ。兵三千を連れて、周囲の防備をかためてくれ」
「ははっ! 陛下のご期待にこたえてみせます」
スターグは腹がつっかえながらも、頭を下げた。
シルヴェストルに見えなくなった彼の顔は、激怒に彩られていた。
(わしの部隊をさらに減らしおったか! だが、王都から脱出すればこっちのものよ!)
スターグは煮えくりかえる心を抑えて、退室する。
シルヴェストルには知恵も勇気もあった。
王都攻防や北方遠征でわかるように。
だが、彼には無能とみた人物を、見下す悪癖があった。
無能な将軍のスターグがなぜこんな事を言い出したのか、よくよく考えればおかしいと気づいただろう。
しかし、彼は深く考えず、スターグを王都から出す。
彼はスターグ出奔の報をきいて怒ったが、兵士三千が惜しいと思っただけであった。
◇ ◇
スターグは、貴重な手足となるであろう同行する三千人の部隊を厚遇する。
部隊の支持がなくなれば、自分も終わりというのをわきまえていた。
元々、兵士五千を預かっていたが、五千人分の手当てや支給品を三千人にあてたのだ。
当然、三千人の兵士達は喜ぶ。
スターグにしてみれば、王都に残していく兵二千人は王都の奴らが養え、ということであった。
スターグの部隊は南下していく。
さらに、彼は将軍命令ということで、各地の物資をどんどん奪っていく。
ラドヴァンへの手土産にするつもりだった。
ついにラドヴァンの勢力範囲にきたところで、彼は密使を出して、受け入れを要請した。
ラドヴァンはエドゥアルドと相談して、受け入れを快諾する。
やはり、スターグ個人は魅力的ではないどころか、悪印象しかない。
だが、兵士三千人と物資は極めて魅力的だった。
スターグは快諾の返事をもらうと、部隊をそのまま南下させる。
部下達の何人かは逡巡したが、今までスターグから受けた厚遇、ラドヴァンの正統性などを考慮して従うことにした。
スターグの部隊は無事シェリークに到着して、ラドヴァンへの謁見を行うことになる。
シェリーク政庁には、仮の玉座の間が設えられていた。
真紅のビロードを張り、豪奢なつくりの椅子に細工を足して、玉座としていた。
玉座にラドヴァンが座り、左右にはエドゥアルドを筆頭に、主な諸侯達が並んでいる。
その間を、スターグ将軍は毛足の長いじゅうたんを踏みしめながら、ラドヴァンへと歩み寄っていった。
ラドヴァンの前に至ると、彼は出っ張った腹に邪魔されながらも頭を下げて、忠誠の礼を捧げる。
スターグ将軍の頭を見たラドヴァンの表情に翳ができる。
(この男はヴラーゲンで父上を見捨てた上に、寝返りまでして恥ずかしくないのか。この体格といい、ろくに剣も扱えないのだろうな)
ラドヴァンの視線に蔑みの色が薄く混じった。
そんなラドヴァンを見たエドゥアルドは、強い視線を送った。
視線に気づいたラドヴァンは、エドゥアルドを見返すと、普段の彼とは思えないほどきつく睨まれる。
ラドヴァンはその瞬間、自分の非を悟る。
(過去はどうあれ、兵士三千と物資は貴重だ。大功なのは間違いない。ハギリやネステルの危険を減らすためにも、できる限りのことをやろう。シルヴェステルの冷遇と差をつけてやればいいな。俺の私情など大局を考えれば、捨て去るべきものだ)
ラドヴァンは本来であれば、頭をあげさせるべきだ。
しかし、そうはせずに、玉座から立ち、スターグの下へ歩みよった。
先ほどまでの表情と違い、透明感のある笑みを浮かべて。
エドゥアルド以外の諸侯達は軽く驚く。
スターグは声がかからないのを不審がるが、事態に気づいた。
ラドヴァンは、丸々としたスターグの右手を両手で包んで、
「スターグ将軍、頭を上げてくれ」
と、穏やかに述べた。
スターグが頭を上げると、すぐ目の前にラドヴァンがいて、自分の手をとっているではないか。
儀礼のみで終わると考えていたスターグは、若干混乱した。
ラドヴァンはねんごろに声をかける。
「将軍が来てくれたことは、一万人の兵士を得たよりも心強い。これからずっと、私を助けてくれるか」
「……ははっ! 無論であります!」
「ベネシュ将軍」
ラドヴァンは、ベネシュを連隊長から将軍へと昇進させていた。
「はっ、陛下」
ベネシュは一歩前へ出て、ラドヴァンにこたえた。
「申し訳ないが、スターグ将軍が我が軍に加わられた以上、序列第一はスターグ将軍となる。卿は、第二位とする」
「かしこまりました」
ベネシュは恭しく、頭を下げた。
苦労人な彼は、他者をたてるのを知っていた。
「スターグ将軍、ベネシュ将軍達を率いて、軍の指揮をとってほしい」
「……それがしが率いて、よろしいのでしょうか?」
スターグは面食らった。
高級軍人としての自負はあったが、降将である。
いきなり、ここまで厚遇されるとまでは図々しい彼でも想像していなかった。
「無論だ。スターグ将軍の部隊三千をあわせて、我が直属軍は一万五千となった。スターグ将軍は歩兵八千を率いて欲しい。ベネシュ将軍は歩兵四千を率いてもらい、私は騎兵三千を率いる。スターグ将軍にとっては物足りない兵力だろうが、我慢していただきたい」
「と、とんでもありません。不満など毛頭ありませんとも。このスターグ、ラドヴァン陛下のために全身全霊で仕えさせていただきます!」
未だ、ラドヴァンはスターグの手をとっている。
スターグは亡き先王オタカル二世にも、ここまで手厚くもてなされたことはない。
先王もシルヴェストル同様、彼の能力を評価していなかった。
だが、波風をたてるのを嫌い、彼を用い続けてきただけなので、当然の話であった。
しかし、常に不平不満を抱え続けてきた彼の心は、ラドヴァンによって初めて満たされたのだ。
(ようやく、わしの仕えるべき主君が見つかったわい! 見てろ、シルヴェストルめ。ほえづらかかせてやるわ!)
「そ、それがしは、あの憎き僭王を倒すために、尽力は惜しみませんぞ!」
「心強いな。早速、明後日にでも将軍から意見を聞かせていただこう」
「ははっ!」
かくして、謁見は終わった。
諸侯達もやはり、先王やシルヴェストル同様の見解を持っていただけに、意外な展開であった。
スターグの軍事的能力をかっていないだけに、抜擢したラドヴァンに不信感を抱く。
仕えているラドヴァンが、酷薄でないことを知ったのはよいことではあったが。
◇ ◇
豪華な邸宅をあてがわれたスターグは早速、ラドヴァンにどういう意見を具申するか考える。
だが、彼には本当に軍事的能力はない。
軍議など、聞き流すだけで、「それがよろしゅうござる」などを言っていただけだった。
考えても作戦に関する妙案など、まるで出てこなかった。
今までなら、それでもいい。
だが、あそこまで厚遇してくれたラドヴァンに対して、何も意見がないなどと恥ずかしくて、言えたものではなかった。
会議前夜になって、行き詰ったスターグは、家臣や部下達に意見を求める。
こんなことは初めてだったので、彼らは口が重かった。
しかし、スターグが、
「何でもいいから、意見を出してくれ。よき意見であれば、褒美はいくらでも出す」
とまで、真剣な表情で言い出すと、意見を出し始めた。
その結果、スターグはある計略を思いつく。
これなら、陛下もご満悦であろう、と彼は就寝した。
執務室にて、ラドヴァン、エドゥアルド、スターグが席についた。
ラドヴァンは内心、不安に思いながらも、スターグの意見を聞く。
自信満々のスターグは意見を語り始めた。
彼は間違いなく無能だった。
だが、無能な人間が有益な策を一つも思いつかないのではないことを、彼はこれから実証する。
「僭王めは、まず、陛下の兄上であられるヨゼフ王達を処刑しました。臣下の身でありながら。また、奴はセドリアン南東部の所領を帝国に明け渡そうとしていたのです」
「それは、やはり本当だったのか?」
ラドヴァン達にもシルヴェストルが出した条件は噂として知っていた。
だが、確証はまだなかったのだ。
「はい。この時点で奴は、逆臣であり、売国奴ということになります。さらに、北方遠征において、マレイハ族の族長を誘殺いたしました。娘婿になるといって誘い出し、だまし討ちにしたのですぞ!」
「……本当なのか、それは?」
ラドヴァンの表情が曇る。
エドゥアルドもまた、眉をひそめていた。
「つまり、奴は三回も人を裏切っておるのです。それゆえ、奴は人を信じられないのでしょう。奴が信じているのは、身内、子飼い、昔からつきあいがあった北西部諸侯どものみです。そのような人間が国王などと、ふざけた話ですぞ!」
スターグの感情が激していく。
彼とて、純真な人間には程遠く、当時はマレイハ族のだまし討ちなど、特に気にしてなかった。
貴族ほど他部族を蛮族扱いしていて、だまし討ちなどなんとも思っていない。
同じ人扱いしていないのだから。
しかし、彼の部下達は違っていた。
シルヴェストルの行いは、少なくとも胸が張れるものではなく、心に小さなとげが残っており、それをスターグに教えたのだ。
「なるほど、それで、将軍はどうすればいいと思われますか?」
エドゥアルドが真顔になって、将軍に質問した。
「奴の所業を、全国にばらまくのです。間者、斥候、ありとあらゆる者を使って。金に糸目をかけずに。それと、それがしがいなくなったことで、猜疑心が増しているでしょう。それを煽り立てるべく、他の軍人も寝返ろうとしていると虚報を流せば、きっと奴はひっかかりますぞ!」
これが、スターグが思いついた作戦であった。
軍事的な作戦ではなく、策略、詐略というべきものだ。
スターグは彼が初めて考え付いた作戦を、ラドヴァンがどう思うか、反応をうかがった。
「なるほど……」
そうつぶやいて、ラドヴァンは眉を少し寄せた。
効果的かもしれないが、あまり彼の心情にはそぐわない計略だった。
人の心を弄ぶような臭いがして、好ましいと思えない。
だが、エドゥアルドは、ずずいと身体を前に寄せて、賛意を示す。
「さすがはスターグ将軍です! これほど効果的な作戦はそうそうありませんよ! 将軍の策を取り入れて、僭王の陣営をひっかきまわしましょう!」
エドゥアルドは興奮気味にそう言った。
そこで、ラドヴァンは思い直した。
すでに私情を捨てたはずではないか、と。
「わかった。将軍の策をとろう。将軍にはすまないが、早速、将軍が持参していただいた物資も噂をばらまくのに使わせてもらえないか」
「むろん、構いませんとも! 役立てていただけて光栄というものですぞ!」
スターグはご満悦だった。
これで、将軍らしい働きができた、と。
(なかなか愉快なものだわい。部下達に他の作戦が思いつかないか、検討させてみるか)
◇ ◇
この計略は、見事に成功した。
シェリークから、次々と放たれるシルヴェストルの悪評はセドリアン全土に広まっていく。
全て事実であり、諸侯も、兵士も、国民も、シルヴェストルに対して、心が離れていった。
また、エドゥアルドは悪辣なことに、事実の中に少しずつ嘘も混ぜていく。
シルヴェストルは、族長の娘の死体を味わっただの、一度は完全に降伏しようとしていた、だの。
国民からすると、国王にはやはり、ある種の神聖さを持っていてもらいたかった。
だが、この悪評によって、シルヴェストルの権威は失墜した。
王都のシルヴェストルは、急に諸侯の集まりが悪くなるどころか、所領に戻る諸侯まで現れ、焦りだす。
彼は、悪評対策に乗り出すが、人の口に戸をたてられなかった。
嘘についてはともかく、事実については反論もできない。
負の遺産を、この計略によって増幅されて、まとめて受け取ることになる。
また、スターグに続く将軍が出るのではないかと恐れ、高位の将軍二人を罷免し、子飼いの者と入れ替えた。
これによって、王国正規軍の士気は低下し、組織の規律は乱れた。
このまま長期戦では、ラドヴァンに負けると恐れた彼はついに出征を決意する。
彼はまた、出征前に妻のマデーラに笑みを浮かべて、優しい言葉をかける。
「ラドヴァンを倒して平和になれば、ゆっくり暮らせるだろう」
シルヴェストルのその言葉に対して、マデーラは
「御武運を祈っております、あなた」
と、返す。
シルヴェストルとマデーラは深い愛情で結ばれていた。
彼の愛情がより広い対象に向けられていれば、情勢は大きく変わっていたかもしれない。
シルヴェストル軍はラドヴァンを倒すために、王都を出発した。




