(22) 二人の狭間で
ザーロシュの戦いが終わり、ラドヴァン軍は戦利品の分配など戦後処理を現地で行った。
ラドヴァンは従軍した諸侯一人一人に、参戦の礼を言いに回った。
諸侯達も勝利をもたらしたのは、『究極の戦士』とラドヴァンというのが明らかなため、ラドヴァンへの態度は極めて恭しい。
彼らはラドヴァン=ルミール王をおろそかにできない、と自分達の眼で見て判断したのだ。
「ゾラーク伯爵、そなたの奮戦はしかと見届けたぞ。王都を奪還した暁には多大な恩賞を約束しよう」
「ありがたき幸せ。僭王との戦いではさらなる手柄を立てるつもりであります」
「期待している」
その中でもゾラーク伯爵など、特に働きがよかった諸侯の心をつかむべく、適切と思える言辞を並べていく。
面倒な話だが、政治として必要な事だとラドヴァンは心得ていた。
そうこうしていると、やはりまだ十七歳の少年にすぎないラドヴァンは、気疲れから鬱憤がたまっていく。
ろくな戦いをしていない諸侯にも、心にもない言葉を述べていかねばならないのだから。
(貴様は本気で戦うつもりがあるのか! とっとと失せろ!)
と、言えればどれだけ楽か、とラドヴァンは思う。
ラドヴァンの基盤は完全には程遠い。
まだ、強い言葉を用いることはできなかった。
諸侯との応接を終えて夜を迎え、休んでいると、ハギリの来訪を受ける。
「ラドヴァン様、ハギリの戦いぶりはどうでしたか?」
ハギリは水浴びをして、もっともシンプルな革鎧のみの軽装をまとい、艶やかな髪をまとめることなく、垂らしていた。
「すばらしい戦いぶりだったよ。ハギリを召喚できてよかった。剣をふるうハギリの姿は美しいだけじゃなくて、愛しく思えるんだ」
ハギリは剣を振るうために戦っている。
しかし、肌を重ねた今となっては自分のためにも戦ってくれている。
そう思うと、ラドヴァンは心が強く激しく引き寄せられるのだ。
「……うれしく思います。ハギリはラドヴァン様のそのお言葉を聞けただけで十分です」
ハギリはラドヴァンに近寄り、ラドヴァンはハギリを抱き寄せた。
ラドヴァンはハギリと眼を合わせると、軽く口付ける。
ついばむようなそれが、深いものとなっていく。
ひとまず口を離して、ハギリは、
「今日は抱いてください。声は抑えますから……」
と、ラドヴァンの腰に巻きつけた手に力をこめる。
ハギリの香りが彼を欲望へと誘う。
彼はまだ軍陣であることもあり、躊躇する。
しかし、もうすでに戦いは勝利に終わっていた。
心中に抱える鬱憤を発散させたかった。
それよりも何よりも、ハギリと共に命を賭けて戦うたびに彼女への想いが強まっていく。
ハギリがラドヴァンを欲しがるように、ラドヴァンもまた彼女に惹かれていくのだ。
そして、彼は彼女の身体に溺れることの甘美さをすでに知っていた。
ラドヴァンはハギリを強く抱き寄せる。
彼は、もうここがどういう場所かなど、どうでもよくなった。
彼女を抱きしめれば、全てが遠くなるのだから。
戦後処理が終わり、ラドヴァン軍はドイェターンへ帰還すべく行軍する。
一度、契りを再開させてしまえば、行軍中であっても、夜は二人の時間となった。
ドイェターンに戻ってしまえば、王妃ネステルが邪魔をして、二人の時間がとれなくなる。
今の間に、ハギリはラドヴァンを自分のものにする必要があった。
ラドヴァンは、夜ごとにハギリへの依存が増していく。
ほんの少しずつであったが。
◇ ◇
ついに、ラドヴァン軍はドイェターンへと帰還した。
参軍していた諸侯達はひとまず、所領に戻っていった。
相談役として残ったエドゥアルドなど、わずかな例外をのぞいて。
ラドヴァンは、ハギリに耽溺しているわけではない、と自分自身を納得させるために、政務へとうちこんだ。
エドゥアルドと相談して、日和見を決め込んでいた諸侯に参集を求める。
諸侯達はラドヴァンの武威を認め、日和見をやめて、ドイェターンに挨拶へとやってきた。
「次の戦いでは頼りにしているぞ」
「お任せ下さい、陛下」
といったような会話を次々とかわしていく。
実際には、あまり頼りにならない、とラドヴァンは思っていたが。
騎兵の重要性をこの短期間で熟知するようになったラドヴァンは、思いきって北東部の遊牧民族に、軍への参加を打診する。
その結果、ザーロシュでの戦勝が大きかったことを、改めて知ることになる。
また、『究極の戦士』の噂も部族を集めるのに効果があっただろう。
ラドヴァンが思っていた以上に部族が集まり、三千の騎兵が加わった。
食べさせていくのは難事であるが、貴重な兵力であった。
王妃ネステルは、ラドヴァンの無事をとても喜んだ。
「本当に無事でよかったです。私は陛下が戻ってこなければ、どうしようかと思っていました……」
それが心からのものであることは、態度、仕草、表情などから、ラドヴァンにはよくわかった。
彼女は甲斐甲斐しく、ラドヴァンに尽くしてくれる。
政略結婚だというのに。
夕食のときなど、ネステルは手料理まで振舞ってくれた。
「どうぞ。お召し上がり下さい。今日は私も料理を手伝ってみました。はしたないマネだと思われるかもしれませんが、料理をたしなんでいましたので」
「そうか、それは楽しみだな」
ラドヴァンは食べてみると、とてもおいしい料理であった。
牛肉を煮込んだシチュー、猪肉と野菜の炒め物、野菜スープなどが、彼の胃袋に全ておさまっていく。
「どうでしたでしょうか?」
「とても、おいしかった。全部食べてしまったよ」
皿の上には何も残っていない。
ネステルの顔が満面の笑みとなる。
その笑顔を見れば、ラドヴァンもまた幸せを感じるのだ。
夜になっても、二人は寝床を共にする。
幸せな新婚生活であった。
だが、それをよしとしない者がいた。
ハギリだ。
彼女は部隊訓練などの合間をくぐって、ラドヴァンに接近する。
ラドヴァンも、ネステルがいてまずいとは思っていたが、
「ラドヴァン様は私がお嫌いになったのですか……」
と、ハギリに言われて、彼女に身体を寄せられてしまうと、拒むことはできなかった。
ザーロシュ以降、ラドヴァンは心身ともにハギリへの依存が増していた。
彼女がそう仕組んだのだが。
ついに、二人は逢瀬を重ねるようになる。
そうなると、ラドヴァンは一人しかいない。
ハギリの下へいく時間が増えれば、ネステルと接する時間は減る。
当たり前のことが当たり前のように起こった。
ネステルはとうとうラドヴァンとハギリの関係を知ることになる。
彼女も妾腹の生まれであり、国王であるラドヴァンには側室が必要なのは頭ではわかっていた。
しかし、ラドヴァンを愛しているがゆえに、感情ではどうしても許せない。
でも、ラドヴァンに当り散らすことはできなかった。
彼女の誇りが許せなかったし、ラドヴァンに嫌われるのも怖かった。
「うっ、うっ……」
時には一人でさめざめと泣き、ネステルは鬱々とした日々を過すようになる――
◇ ◇
ラドヴァンはネステルの微妙な変化から、ハギリとの関係を気づかれたことを知る。
だが、彼もまた、修羅場になるのを恐れて、話を切り出せなかった。
ラドヴァンとネステルはぎこちなくも、今までどおりの生活を続ける。
このままであれば、三者の関係は恐ろしい結末を迎えたかもしれない。
ラドヴァンが国王、ネステルが大貴族出身の王妃、ハギリが武力の要である『究極の戦士』。
三者の関係が決定的に破壊されれば、三人の問題だけではすまなくなる。
しかし、ある人間が動いた。
ベドナジーク侯爵エドゥアルドだった。
彼は戦後、ラドヴァンから侯爵位を正式に授けられていた。
もちろん、シルヴェストル三世からすれば、僭称ということになるが。
エドゥアルドはラドヴァンの執務室において、二人きりで面談する。
戦後、彼はラドヴァンからある程度信頼されて、話をしていた。
ベドナジーク一門の働きがずば抜けていたのもあるが、何度も話をしてみると、二人ともお互いに話しやすい相手であった。
「陛下は女性の扱いがまるでなってないですよ」
「……ネステルにはすまないと思っている」
ラドヴァンは頭を下げて謝った。
「やっぱり、勘違いしてますよね。僕は別にハギリさんとのつき合いをやめろ、と言ってるわけじゃないんです。ネステルをひいきしろ、とも言いませんよ」
「……それはどういう意味だ?」
ラドヴァンは怪訝な表情になる。
「王妃だから、妹だから、優遇しろなんて言いませんよ。結局のところ、陛下は二人とも欲しいんですよね」
「それは……」
後ろめたい気持ちになって、ラドヴァンはエドゥアルドを直視できなくなった。
「二人ともかわいいですから、よくわかりますよ。僕も何人も相手してますしね。ドイェターンにいるの長くなりそうだから、呼び寄せましたよ、ハハッ」
軽やかにエドゥアルドは笑った。
「……エドゥアルドはそれで問題にならないのか?」
「別にないですよ。陛下は三人で一度も話をしてないんですよね?」
「……ああ、どうも気まずくて」
ラドヴァンは額に手をあてた。
「関係をきりたいなら、それでもいいんですけど。これから長く、二人とも陛下のものにしたいんですよね?」
「身勝手だとは思うんだが、そうだ」
「陛下の立場なら、問題ありません。でも、話をしないとダメですよ」
「……エドゥアルド、どうやって話を切り出せばいい?」
ラドヴァンは我ながら情けないが、このままではダメだと思い、教えを乞うた。
「二人を呼んで、率直に二人とも大好きで二人とも俺のものだ、と言い放って、二人を公平に扱うことです。夜も交代制にしたらいいですよ」
エドゥアルドはにやにやしながら、言った。
対照的にラドヴァンはしかめ面になる。
「……そんな恥ずかしいことをしないとダメなのか」
「二人しかいないんですから、楽なものですよ。僕なんて適当に切っていっても、どうしても切りたくない相手が五人いますから、大変で大変で」
エドゥアルドはおどけるように肩をすくめた。
ラドヴァンはエドゥアルドの女性関係を聞かされて、呆れたような表情を浮かべる。
「誰でもうまくいくってわけじゃないですけどね。陛下が心をこめて二人に直接話をすれば、丸くおさまりますよ。陛下が二人を手放したくないように、二人もまた陛下を手放したくないんですから」
「……このままだと、うまくはいかないんだろうな」
「本当に失礼な事を言いますが、陛下の母上みたいになりますよ」
エドゥアルドは笑いをおさめて、ラドヴァンを見つめた。
ラドヴァンの表情が厳しくなり、エドゥアルドと視線を合わせる。
「……よく言ってくれた。感謝する」
「いえ、僕も陛下と楽しく過していきたいですからね」
エドゥアルドは退室する。
(うまくいってくれるといいけどね。世話を焼かせるなぁ、全く。)
「僕もあいつといちゃいちゃしてこようかなっと」
◇ ◇
ラドヴァンはついに意を決して、ネステルとハギリを呼んで、三人で話をすることにした。
部屋の雰囲気はラドヴァンからすると、最悪だった。
ネステルもハギリも思いつめた表情でお互いを見ずに、ラドヴァンを凝視していた。
三人はソファーに座っているが、ラドヴァンは右手を動かしたり、姿勢を崩したり、と落ち着きがなかった。
(やっぱり、やめておけばよかったか……)
と、思うも、エドゥアルドの言葉を思い出すと、そういう訳にもいかなかった。
それにここまで来て、逃げるわけにはいかない。
やや俯いて、ネステルとハギリ、二人の目をちらちらと見ながら、話はじめる。
決して、どちらかの瞳を長い間、直視することはなかった。
「二人とも、すまなかった……俺が身勝手なばかりに、二人を苦しめてしまった」
よくよく考えると、本当に自分が悪いのだ。
逃げよう逃げようと思っていたが、やがて、死んだ母のことを思い出すと、気持ちが定まってくる。
ラドヴァンは姿勢を正して、二人を直視する。
「俺はネステルとの結婚が決まっていたのに、ハギリを抱いてしまった。それは、心からハギリが大好きだからだ。また、ハギリはとてもきれいだよ。本当にそう思う」
ハギリはそこまで言われて、顔が真っ赤になる。
「それと、一番大きかったのは、俺が勝手な召喚をしたにも関わらず、ハギリは俺のために命がけで戦ってくれたことだ。生死を共にしたことで、俺はハギリと『好き』の一言では言い表せないつながりを持てたと思う。俺はハギリを愛している」
そこまで、ラドヴァンが言い切ると、ネステルは哀しそうに俯いた。
ハギリはそこで初めて、ネステルを直視して、勝ち誇ったような表情になる。
「でも、俺はネステルも大好きなんだ。家のために、政略結婚で結ばれたにも関わらず、俺に一生懸命つくしてくれたその姿に俺は惹かれた。見せ掛けかどうかくらいは、いくら俺でも判断できるよ。それに、ネステルにはネステルのかわいさがある。その、夜も尽くしてくれるし。俺はネステルも愛してるんだ」
ネステルがぱっと顔を上げて、ラドヴァンを潤んだ瞳で見つめてきた。
逆にハギリが顔を背ける。
「俺はわがままで身勝手だから、二人とも失いたくないんだ。二人とも大好きだし、愛したい。二人を公平に扱うから、我慢してくれないか。この通りだ」
ラドヴァンは頭を深く下げた。
二人は黙ってラドヴァンを見つめていたが、ネステルが先に声をかけた。
「ラドヴァン様、わかりました。私もラドヴァン様が好きです。ラドヴァン様を独り占めしたいですが、それができないのは承知しています。私は、ネステルは、形だけの王妃とされずに、ラドヴァン様が愛してくれていると言われて、とてもうれしかったです」
ネステルは半分泣きそうになった。
彼女はベドナジーク家に妾腹で生まれてきた。
相手が貴族なのは間違いないが、どんな男に嫁がされるかわからない身の上だ。
二十も年上の醜く肥え太った男かもしれないし、冷酷無残な男かもしれない。
そんな想像をしてきた彼女には、ラドヴァンは理想的な男性だった。
また、同じ妾腹の生まれで、母親は殺されたと聞き、同情しつつ親近感をもてた。
ラドヴァンと結婚できて幸せだし、ラドヴァンにも幸せになってもらいたいと思う。
それに、国王でありながら、側室をもたないというのはありえないと覚悟していた。
彼女は、側室を持ってもいいから、彼女も愛してくれればそれでよかったのだ。
政略結婚でも恋愛できないわけではない、と彼女は思う。
「私はハギリ様がよろしければ、ラドヴァン様を独占できずとも、交代でお相手させていただけたらそれで結構です」
気丈にも、ネステルは泣くのをこらえて、そう言いきった。
「ありがとう、ネステル。大事にするよ」
「うれしいです。ラドヴァン様……」
ラドヴァンとネステルは一瞬だが、二人だけの世界を作る。
それを横目で見せられたハギリは面白くなかった。
ハギリがいた世界では一夫一妻が当たり前だ。
ラグスレーム大陸の貴族で生まれたネステルとは価値観が違う。
だから、ハギリには納得できない。
いっそのこと、この女を斬り殺して、ラドヴァンを独り占めに……なんて妄想をする。
でも、それが現実的ではないのはハギリにもわかる。
ハギリには剣しかなかった。
ただ、剣のみの世界。
剣があればそれでよかった。
だから、エドルバラで一騎駆けができたのだ。
死んだとしても、自分の剣技が未熟なだけだから。
ハギリにとって、それは後悔すべきことではない。
でも、今では違う。
ラドヴァンは確かにハギリに依存するようになった。
だけど、ハギリもまた、ラドヴァンに依存するようになったのだ。
ラドヴァンを失えば絶対に耐えられない、とハギリは思う。
ここで反対すれば、ラドヴァンは怒りはしないが、おそらく不満を持つだろう。
でも、どうしても、独り占めにしたい!
ハギリは歪に育てられた子供だった。
彼女に自覚はないが、大人びた部分と子供の部分が同居している。
彼女は、お気に入りのおもちゃをとられた子供のような気持ちになっていた。
ハギリはぐちゃぐちゃになった気持ちがそのまま、表情に出ていた。
ラドヴァンがそんなハギリを見て、再び話をする。
「俺を本当に愛してくれてるんだな。ありがとう、ハギリ。ネステル、悪い」
そう言って、ラドヴァンはハギリの下へ近づいて、軽く抱きしめた。
ネステルは、後ろを向く。
「そんな苦しむくらい、俺を好きになってくれたのか。でも、わかってくれないか」
ハギリは胸が高鳴り、真っ赤になって、初めて言葉を出す。
「ひ、卑怯です……」
「ああ、卑怯でも何でもいいよ。二人とも欲しいんだから……」
ラドヴァンはさらにぎゅっと抱きしめた。
ハギリは反論したいが、ラドヴァンの身体が暖かくて心地よく、抗う気持ちが淡雪のように溶けていった。
「……わかりました。でも、私は側室になりません。公平に扱ってください」
「もちろんだ、約束する」
ラドヴァンはハギリを放して、二人に話しかける。
「二人ともわかってくれて、本当にありがとう」
ラドヴァンは事がおさまりほっとして、表情が緩んだ。
だが、このようなある意味、平和な時間がすごせたのは今日までであった。
明日から、帝国軍撤退の情報が入り、情勢は一気に緊迫化してくることになる。




