(21) 王都の攻防 <3>
アルヴェーン元帥は馬を飛ばして、できる限りの速度で皇帝本陣に駆けつける。
荒い息と軽くにじんだ汗がそれを証明していた。
だが、皇帝の死に目には間に合わなかった。
元帥の目の前には呆然とする幕僚や侍従、役立たずだった侍医が立ちすくんでいる。
その者達を元帥は手で追いやると、冷たくなった皇帝が倒れていた。
元帥の目に万感の想いが宿り、主君の遺体に向かって、両手を胸の前で交差させて頭を下げる最敬礼を行った。
しばしの間、目をつぶり、頭は下げられていたが、やがて頭を上げる。
「陛下のこと、他言はしておらぬであろうな?」
元帥が重い声で侍従に問いただした。
「無論です。元帥に報告して指図を仰ぐのが筋だと考えましたので」
侍従の一人が受け応えた。
「ならば、よい。このことを他言した者は処刑する、わかったな」
「ははっ!」
侍従は元帥の迫力に打ちのめされる。
元帥の体格は軍人にふさわしい立派なものだ。
だが、皇帝生前時における元帥の姿は、これほど大きなものではないように見えた。
陛下の前で、粛々と受け答えする姿しか知らなかったのだ。
しかし今や、元帥は荘厳たる雰囲気すら漂わせていた。
「次に重病の陛下を馬車へ丁重に乗せよ」
「……かしこまりました」
皇帝はもう亡くなっている、と愚かな反論をする者はいなかった。
「総攻撃を中止する。全軍に伝えよ」
「……しかし、アンドレッセはまもなくおとせます!」
幕僚の一人がたまらず、元帥に反論した。
元帥の冷たい目が幕僚に突き刺さる。
「貴様はその後のことすら、わからないのか。答えよ」
「……そ、それは」
幕僚は返答に詰まる。
皇帝が死んだ以上、王都の占領を続けられるかどうかはわからない。
だが、彼の友人は戦死していた。友の犬死を認めたくなかったのだ。
しかし、それ以上の言葉は紡げなかった。
「他に反論する者はいるのか?」
元帥の言葉に反論する者なく、静まり返った。
「よろしい。総攻撃を中止し、今夜、会議を開くことにする」
「かしこまりました」
攻撃中止命令を受けた帝国軍の将兵は唖然とし、呆然とし、激怒する。
ここまでくれば、大した戦術眼がなくても、王都が陥落するのは誰の眼にも明らかだからだ。
将軍の何人かが抗議するが、元帥の一言で却下されるだけで終わった。
セドリアンの守備兵は、なぜか撤収していく帝国兵を見て、首をかしげるが、反撃に転ずる。
外郭にあがった帝国兵達は精鋭であり、物見塔を占領した者達にいたっては、随一の精鋭といえるだろう。
だが、逆に退却となると、まさにはしごをはずされた形となった。
はしごは降りる帝国兵達で満杯となり、ある程度の高さまで降りると、何人も飛び降りた。
飛び降りたくなくても、蹴落とされた者もいたくらいだ。
奥深くに進撃していた剛勇の者ほど、退路が絶たれた形となり、少しずつ討ち取られていった。
皮肉なことだが、勇気があったばかりに、強かったがゆえに、死を招いたのだ。
守備側で特に活躍したのは、宝剣を携えたシルヴェストル三世であった。
今までの鬱憤を晴らすかのように、彼は宝剣で帝国兵を次々となぎ払う。
「どうだ、みたかっ!」
宝剣によって、また一人、帝国兵が倒れていく。
彼はこの数日間、落城の恐怖に怯えていた。
誇り高い彼は、自分を苦しめた帝国を自分の手で討たねば、気がすまなかった。
ここまでくれば、部下に任せるべきであっただろう。
しかし、彼は宝剣を振るい続けた。
王都陥落となるはずが、この日の攻防は帝国の敗北に終わる。
帝国側が一日で出した損失は、今日が一番大きかった。
◇ ◇
将軍以上しか出席できない会議が、帝国軍本陣にて行われた。
何人かの将軍は憤懣やるかたない表情であったが、もっとも多いのは無表情であった。
皇帝に不満を抱いているなどと知られるわけにはいかないのだ。
将軍達は皇帝が入室しないのをいぶかしむが、アルヴェーン元帥は話を切り出した。
「ここでの話は他言無用とする。他言した者は私の手で斬る」
元帥の鋭い言葉に、将軍達は様々な反応を示す。
驚く者、小さく声を漏らす者、ただ見つめるだけで表情を変えない者。
だが、将軍達が一様に感じたのは、元帥の威厳である。
皇帝同様、齢六十をこえる元帥だが、老いよりも剛毅さを感じさせ、本当に斬るつもりだというのがありありとわかった。
「皇帝陛下は本日、御崩御された」
何人かの将軍は立ち上がった。どよめきの声があがる。
そんな中、瞑目する者もいた。
「静まれ」
決して大きくない声であったが、元帥の声に漂う威厳が将軍達を静まらせた。
「帝国軍副司令官として、命令を下す。帝国全軍、セドリアン王国から総退却とし、帝都へ帰還する。異論はあるか?」
「元帥のご指示に従います」
将軍の一人がそう言い、他の将軍達も頷く。
皇帝崩御となれば、将軍達も遠征を断念せざるを得ないのは理解していた。
「撤退するが、追撃に備える必要があるな」
そう言った後、元帥は将軍達に撤退の指示を出していく。
極めて精緻な指示であった。
今更ながら、アルヴェーンは皇帝にただ一人、元帥として任命された男なのだと将軍達は再認識していた。
帝国軍は陣地を引き払い、王都の包囲を解いた。
アルヴェーン元帥は黙々と指揮をとり、鮮やかに帝国軍を退却させる。
戦理に基づいた撤退であり、つけいる隙は一切なく、セドリアン軍の追撃は行われなかった。
だが、王都にいるセドリアン軍は深く傷ついており、追撃を行う余裕がなかったのもある。
馬上のアルヴェーンは毅然とした雰囲気を漂わせていたが、内心は極めて暗澹たる思いであった。
クリストフ征服帝には三人の男子がいたが、皇太子をたてていない。
ほぼ間違いなく、帝位をめぐって、争いとなるであろう。
彼は誰を選ぶか迫られることになる。
問題は、三人とも暗愚、凡庸ということだ。
亡き皇帝は三人とも無能とみなしていたがゆえに、皇太子をたてなかった。
誰を選べというのだ! と、彼は腹立たしい。
アルヴェーンは不敬と思いながらも、自分亡き後のことなど、クリストフはどうでもよかったのではないかと考えてしまう。
彼は未来について様々な思索をしていたが、一つだけ確信していたことがある。
帝国版図の拡大は皇帝の死と共に終わった、ということだ。
◇ ◇
ムラーディス帝国の不幸はセドリアン王国の幸福であった。
王都アンドレッセは帝国軍が退却して、歓喜の渦に包まれた。
戦死者が出た遺族に配慮する気持ちよりも、略奪や虐殺の恐怖に逃れられた喜びの方がはるかに大きかったのだ。
シルヴェストル三世も抜け目がなかった。
蓄えを吐き出すのは今だということで、酒や料理を都民に振舞う。
その結果、日夜、呑めや歌えやの大騒ぎとなった。
無論、斥候をはなって、帝国軍の退路を探っている。
特に策略もなく、帝国領目指してまっすぐに帰還しているのが確認できた。
シルヴェストル三世は、自分が危機を乗り越えられたのを知り、ようやく安堵する。
「これもルミール建国王の導きだ。私に宝剣を授けてくださったように、な」
彼はこの言葉を王都に流布させた。
自分の正統性を強化するために。
帝国軍を撃破したことで、模様眺めをしていた近隣の諸侯がこぞって王都まで忠誠を誓いにきた。
シルヴェストル三世としては、
(まるで信用できぬ。だが、とりあえずこやつ等は必要だ)
という心境で、彼らを受け入れた。
皇帝の死は秘せられていたが、完全に隠しきれるものではない。
帝国軍がヴラーゲン平原にさしかかったあたりで、皇帝の死は漏れはじめていた。
やがて、王都アンドレッセにも皇帝の死が伝わる。
シルヴェストル三世もクリストフ征服帝に三人の息子がいて、皇太子がいないことは知っていた。
彼は、帝位をめぐって、大規模な戦いになることを願った。
そうなれば、もう侵略されることはなくなるだろう。
それどころか、こちらから帝位継承戦争に介入することすら可能になる。
彼が野心を満たすための舞台が整うというわけだ。
「大きな戦争になるよう、煽り立てたいな」
シルヴェストルは側近のエスラフにそう漏らした。
「間者を入れますか」
「当面、監視だけでいいだろう。他にやるべきことがある」
南東部にいるラドヴァンを始末する必要があった。
もう、帝国の邪魔は入らない。
ラドヴァン征討の軍を発すべきであろう。
(セドリアンに二人の王はいらぬ)
彼はそう考え、傷ついた軍の再編成に取り掛かった。
再編成にほぼ目途がついたある日、王都に新たな凶報が舞い込んだ。
北方にはマレイハ族という遊牧民族が住んでいる。
そのマレイハ族が南下して、セドリアン北部各地を襲撃し、略奪しているという報告だった。
シルヴェストル三世は帝国軍を迎撃するために、各地の守備隊を撤収させて王都に組み込んでいた。
守備隊がいなくなったその隙をマレイハ族が狙ったということだ。
北方は地味貧しくて農業に適さず、遊牧民族が数多く暮らしている。
彼らは偉大な指導者が出るか、南のセドリアンが弱れば、国境を突破して略奪を行う。
シルヴェストル三世は自ら軍を率いて、討伐に向かうことを即決した。
(大軍を安心して任せられる将軍が一人もおらぬ。私が率いるしかないな。それに私以上の指揮ができる人材などいやしない)
彼の猜疑心が大軍を他者に預けるのを拒んだ。
それに、ヴラーゲンの戦いが示しているように、将軍の中に名将と呼べる者はいなかった。
かくして、マレイハ族討伐軍七万が王都を出発した。
帝国軍に受けた傷は深かったが、諸侯軍を加えることで、兵力だけは回復している。
しかし、その分、シルヴェストル三世が直接指揮できる兵力は少なくなり、兵士の質は低下していた。
北方の要地、ノガレグにてシルヴェストル三世率いるセドリアン軍七万とマレイハ族二万は激突した。
戦いの結果は痛み分けに終わる。
要衝ノガレグはセドリアンが守れたが、軍の被害はセドリアン軍のが大きかった。
戦略的にはセドリアンの勝利、戦術的にはマレイハ族の勝利といっていいだろう。
歩兵混じりのセドリアン軍に比べて、全て騎兵のマレイハ族は精強であったのが、兵数の差にも関わらず、このような結果をもたらした。
両軍はノガレグで対陣するが、シルヴェストル三世は焦りを感じる。
いつまでも、ノガレグに滞在するわけにはいかなかった。
彼の主敵はラドヴァンであって、マレイハ族ではない。
彼は側近のエスラフと相談して、ある一計を講じる。
「うまく、いくかな」
眉をひそめたシルヴェストルに、エスラフは、
「必ず成功いたします。奴らは単純です」
と、こたえた。
逡巡していたシルヴェストルはやがて、瞳に決意の色を浮かべる。
彼の整った横顔には薄暗い翳りが漂っていた。
そして、セドリアン軍から講和を求める軍使を、マレイハ族に送った。
条件は以下の通りだ。
一、シルヴェストル三世は側室としてマレイハ族長の娘を娶る。
二、セドリアン王国は毎年、マレイハ族に物資を援助する。
三、マレイハ族は国境から全軍退去し、相互不可侵とする。
極めて好条件であり、マレイハ族の族長は快諾した。
マレイハ族とて、ノガレグで長期間釘付けになるのは好ましくなかった。
彼らは食物、ぜいたく品など、様々な物資を得るために来たのだ。
ただ、滞在しているだけでは、何の意味もない。
マレイハ族長は愛娘を連れて、ノガレグの大聖堂を訪れた。
シルヴェストル三世の招待を受けてのことである。
何人かの側近は族長を止めたが、セドリアンからすでに援助の前渡しとして、大量の金貨などが送られていた。
それもあって、族長はシルヴェストル三世の誠意を信じた。
セドリアン国王自らが、無体なことはしないとも考えていたのだ。
そして、シルヴェストル三世とエスラフが考えた一計とは、
誘殺
であった。
マレイハ族長と愛娘、側近十数名は、ノガレグ大聖堂にて隠れ潜んでいた兵士に襲われた。
族長は必死に抵抗したがかなわず、最愛の娘をかばいながら、共に死んだ。
彼らの亡骸を見て、シルヴェストルは陰惨な表情で、
「私が蛮族などと結婚するわけがなかろう」
と、はき捨てた。
おそらく、彼の妻子には決して見せない表情だろう。
「奇襲攻撃をかけるぞ!」
彼はそのまま、部隊に攻撃命令を出す。
マレイハ族に苦戦したのは、族長の巧みな指揮があったからだ。
族長を失って混乱した彼らに攻撃を仕掛ければ、勝利できるであろう。
現実に、そうなった。
セドリアン軍はマレイハ族の部隊をさんざんに打ち破った。
シルヴェストル三世は、会心の笑みを浮かべる。
「後は、マレイハに追随した弱小の蛮族どもを討ち平らげれば、終わりよ」
彼は豪語し、その豪語も現実のものとする。
シルヴェストル三世による北方遠征は、短期間で大成功を収めた。
彼は守備隊を残して、王都アンドレッセに凱旋する。
兵士達や諸侯には、打ち破った部族の所有していた家畜や、部族民を奴隷として売り払うことで報酬とした。
だが、現時点では大成功といえたが、未来においてもそうであるとは限らない。
シルヴェストル三世は後日になって、この遠征がもたらした負の遺産を受け取ることになる。




