(20) 王都の攻防 <2>
シルヴェストルは、夜襲に参加する精鋭五百人を前に演説する。
この精鋭達は、自分の所領から連れてきた兵士達の中でも選りすぐりであった。
彼がもっとも信頼できる兵士達なのだ。
「この夜襲の意義は、我らが王都にただ閉じ篭っているだけではないことを、王都の他の兵士達や住民達に知らしめることである。さすれば、士気上がり、篭城戦が戦いやすくなる。また、帝国軍に、城内から出撃されて襲撃される可能性がある、としらしめることができる。そうすれば、安穏と包囲するのは難しくなるだろう。また、奴らに少しでも疲労を蓄積させることができるのだ。私こそ正統なるセドリアン国王である証拠を見せてやろう!」
シルヴェストルは宝剣カスィードルを鞘から抜き、光り輝く剣刃を兵士達に見せた。
兵士達からは驚き感嘆する声があがった。
「私にもお前達にも宝剣のご加護があるであろう。わかったな!」
「おおうっ!!」
兵士達はときの声をあげて、シルヴェストルにこたえた。
「騎兵による一撃離脱だ。一撃を与えて、さっと引き返す。帰還すれば自慢するがいい、この作戦に参加したことをな。十万以上を数える帝国本軍に五百で攻撃できるお前達こそ、セドリアンを代表する勇者なのだ!」
「おおうっ!!」
シルヴェストルは兵士達の顔を見やって、兵士達の表情に満足した。
これなら、無様な戦いにはならないであろう。
「セルディフ侯爵、帰還まで留守をお願いいたします。エスラフ、門を頼む」
「陛下、ご無理はなされませぬように」
立派なひげをたくわえた五十代の男性がシルヴェストルにこたえた。
彼はセルディフ侯爵。シルヴェストルの妻マデーラの父にあたり、シルヴェストルのクーデターを成功させるのに大功があった。
シルヴェストルが信頼できる数少ない人間の一人だ。
「かしこまりました。帰還の際には開門いたします」
エスラフは側近の一人であり、一見風貌のさえない四十男のような外見だ。
だが、ビルトゥス公爵時代から仕えてきた彼の能力、忠実さをシルヴェストルは評価していた。
帰還時、門が開かなければ、逆襲に転じた帝国軍によってみじめな死を遂げることになる。
信頼できる者に門を託さねばならなかった。
「開門せよ!」
シルヴェストルは左手を掲げて、指示をだした。
城門がきしみながら、開かれていく。
帝国軍の攻撃によって、若干破損していたが、修復をすませていた。
跳ね橋をおろさずとも、帝国軍によって堀は埋められており、その上を騎兵五百が通過していく。
空には一面の雲が広がり、月や星の明かりすらない。
紺色のヴェールに覆われ、闇の支配下にある。
その下を馬の口に枚を含ませ、できる限り音を殺した騎兵隊が帝国軍の陣に向かっていた。
漆黒の中をわずか五百の兵士で十万以上の軍を奇襲するのである。
よほどの胆力が必要であった。
シルヴェストルとて、全く恐怖を感じないというわけではない。
だが、彼は必ず成功するという強固な信念を抱いていた。
もし、ここで敗死するような男であれば、それまでの男だったということだ。
私こそ、ルミール以来の英雄となるべき男なのだ、と彼は気負っていた。
やがて、帝国軍陣が見えてきた。
かがり火が焚かれているが、まだこちらに気づいていない。
シルヴェストルは警戒がゆるいことに天佑を感じる。
「いいか。直進した後は、左に旋回して敵陣をかき回し、帰陣する」
「はっ!」
「迷子になるなよ。さすがに連れ戻せないからな」
シルヴェストルの言葉にところどころから、笑いが生じる。
(この状況で笑えるなら、問題ない)
シルヴェストルは軽く笑んだ。
「では、いくぞ!」
シルヴェストルは指示を出して、騎兵隊は速度を上げて、帝国陣内に突入した。
シルヴェストルの騎兵隊に襲われた帝国の陣は大混乱に陥った。
「敵襲っ!! 敵襲だっーー!!」
最初に気づいた兵士が大声をあげたり、笛を鳴らしたりする。
だがその間にも、騎兵隊は近くにいた帝国兵を血祭りにあげていった。
不意をつかれた帝国兵が自分の実力を発揮できないまま、何人も果てていく。
そんな中、シルヴェストルの働きは目をみはるものがあった。
光り輝くカスィードルの剣刃が一振りされるごとに、帝国兵が倒れていく。
シルヴェストルは自分の身体が軽いことに気づく。
宝剣が彼の身体を強化しているようだった。
勇気百倍となった彼は、剣閃を左右に散らして、敵を次々と屠っていった。
シルヴェストルの奮戦は、部下達を勇気付ける。
なにしろ、カスィードルは目立った。
国王にまでなった自分達の主人が命がけで戦っている姿は、彼らを奮戦させるに十分な光景であった。
「よしっ、左旋回、さらにかきまわすぞ!」
シルヴェストルは指示を出して、敵陣をかき乱すべく、騎兵隊を操る。
帝国兵は狩猟における獲物と化していた。
さらに、闇夜である。
ごくわずかだが、同士討ちまで発生していた。
散々に帝国軍を蹴散らしていたシルヴェストルだが、カスィードルは敵にも目立った。
態勢を立て直した何人かの勇士が、彼に襲い掛かってきた。
宝剣で強化されたとはいえ、彼はハギリではない。
二人、三人と襲い掛かられると、さすがに苦戦する。
だが、カスィードルと剣をあわせると、相手の剣は折れ砕ける。
彼はそれを利用して、一人、二人と倒していった。
しかし、ある一人の勇士が放った槍の一撃は彼の左胸をかすめた。
プレートによって身体への損傷は免れたが、シルヴェストルは少しうめいた。
だがひるまず、シルヴェストルは
「王者に一撃を与えた褒美をくれてやろうっ!」
と言い放ち、カスィードルで袈裟懸けに斬り下げ、槍ごとその勇士を葬った。
「陛下っ、ご無事で!?」
「なに、どうってことはない。それよりも頃合だな。これ以上は危険だ。撤収する。笛を鳴らせ!」
「ははっ!!」
シルヴェストルは帝国軍の抵抗が強まったと見て、撤収の合図を出させた。
彼はカスィードルで退路を斬り開いてゆく。
宝剣の剣光が幾人もの帝国兵を屍と変えていった。
騎兵隊は帝国の陣から無事に脱出を果たして、城門へと帰還し、開かれた門から無事に撤収を果たした。
出迎えたセルディフ侯爵とエスラフは、無事な様子の国王を見て安堵する。
「夜襲はうまくいったようですな。おめでとうございます」
侯爵がほっとした様子で言った。
「ああ、帝国軍など、恐れる必要はない。ほとんどの兵士が戻れたであろう」
シルヴェストルは意気軒昂であった。
「さっそく、明朝から、陛下の武功を王都全体に知らしめましょう」
「頼んだぞ、エスラフ。さすがに疲れた。休むとしよう」
「ごゆるりとお休み下さい」
エスラフは主君に頭を下げる。
シルヴェストルは兵士達に声をかける。
「皆の者、よくやってくれた! 帰還した者達には金貨二十枚を褒美とする。未帰還の者には家族に渡そう。これからも、よろしく頼むぞ!」
「国王様万歳!! シルヴェストル陛下、万歳!!」
兵士達は仕えるにふさわしく頼もしき主君に歓声をあげた。
シルヴェストルは右手をかかげて、それにこたえた。
彼は自分の為したことに満足する。
(みたか。私こそ、セドリアン国王にふさわしいのだ。皇帝もラドヴァンも私の敵になったことを後悔させてやろう)
この夜襲での未帰還者は六名にすぎない。
◇ ◇
クリストフ征服帝は夜襲の報せを受け、飛び起きた。
だが、皇帝は夜間警備を担当する将軍に、こういう状況では夜襲の危険があるから警戒を怠らないよう訓告していた。
自分が敵将なら、夜襲を行う絶好の機会だからだ。
迎撃がうまくいけば、むしろ、撤退する敵を追尾して逆撃するチャンスではないかと考えたが、続報が入るにつれて、激怒する。
シルヴェストル三世の騎兵隊が撤退した後、帝国陣内には数百人に及ぶ死傷者が残されていた。
敵にはほとんど被害を与えていないという。
皇帝本陣には、アルヴェーン元帥を始めとする軍首脳が勢ぞろいし、夜間警備を担当していた将軍が縄でくくられ、皇帝の前にひき倒されている。
場の雰囲気は粛然としていた。
「余の命令を無視したのか……?」
皇帝は木の杖を右手で持ち、怒りの余り、かえって表情をなくしてしまった顔でそう言った。
「い、いえ、そんな事はありません!!」
将軍は泣きそうになりながら、弁明した。
「ならば、これは一体どういうことだっ!」
杖を振り上げ、二回、三回と将軍の顔、身体を殴りつける。
鼻の辺りからは血が流れ、殴打された箇所が青くなっていく。
「も、申し訳ありませんっ……! まさか、こんな攻撃を受けるとは思わなくて」
恥も外聞もなく、将軍まで務めている大の男が泣きながらもこたえる。
軍高官の何人かは目を背けたかったが、それが皇帝に見つかると恐ろしいので、やむなく正視していた。
「余が夜襲の可能性を、貴様のような愚か者にも教えてやったであろうが!」
さらに、皇帝は数回、木の杖で乱打した。
将軍の片目はつぶれた。
「『勝敗は兵家の常』だ。敗北するだけなら、許そう。誰もが余のように能力があるわけではないからな。閑職にまわすゆえ、能力の限りで余に尽くせばそれでよい」
ひとまず、皇帝は木の杖で殴るのを止める。
「だがな。一つだけは許せん。余の命令を無視したことは、な!」
ついに悪鬼のごとき顔となり、皇帝は木の杖で殴るのを再開した。
五回、十回、十五回。
皇帝の息があがる。
将軍からは、もはやうめき声しかあがらない。
ぜいっ、ぜいっという皇帝の荒い息とうめき声、杖で肉を叩きつける音がこの場を支配していた。
「……スティーグ」
「はっ、陛下」
「この愚か者に殺された者達の為にも、こやつを処刑せよ。私財は全て没収とし、死んだ者達の遺族に分け与えよ。それと、こんな愚か者を将軍にしたのは余の罪だ。余の私財からも遺族に財貨を渡そう」
「かしこまりました。仰せのままに」
アルヴェーン元帥は何事もなかったかのように、受けこたえた。
皇帝の表情が平静に戻る。
しかし、高官達はそれが表向きだけであると承知していた。
「余は休むとする。明日は、王都攻略のための会議を行う。そなたらの意見を聞かせてもらうとしよう」
「ははっ!」
皇帝は胸に若干の違和感を感じ、体調が優れない。
寝不足と怒りすぎたのが原因だろう、と皇帝は思った。
あの愚か者のために、と思うとさらに怒りの感情がふきでるが、身体を思い、皇帝は無理にでも寝ることにした。
高官達は眠るわけにいかなかった。
会議でまともな意見を言えなければ、次は自分達がああなるかもしれないのだ。
徹夜で自分達の幕僚をまじえて、会議の為に知恵を振り絞った。
翌日、帝国軍は城内からの襲撃に備えて、陣地を構築しはじめた。
柵の数を増やしたり、簡単な堀を掘ったり、などだ。
陣地構築を指揮する将軍は、部下を叱咤激励する。
彼は杖で殴り殺されたくなかった。
あの将軍は処刑するまでもなく、事切れたのだから。
皇帝と軍高官が勢ぞろいで、王都攻略のための会議を開いた。
様々な卓見がでて、皇帝は満足していたが、特に注意をひいた発言があった。
「火炎魔術部隊の火炎が完全に防がれたのは、やはり不自然です。おそらく、セドリアンを建国したルミールの宝剣カスィードルを用いたと思われます。セドリアン建国伝承にカスィードルを装備したルミールは魔法を無効化したとありますから」
「ほう、確か、指輪を用いて、ラドヴァンが『究極の戦士』とやらを召喚したらしいな」
皇帝は興味深げにこたえた。
帝国軍にもエドルバラの戦いの情報はもたらされていた。
ザーロシュの戦いについては、まだ情報が到達していないが。
「はい、宝剣と指輪がルミールの残したセドリアンの国宝です。これらがなければ、火炎魔術を完全に防げましょうや」
「となると、シルヴェストル三世はあの時、東側に陣取り、カスィードルを用いて防いだ。で、残り三方は魔術士官を配備していた、と推測するわけだな」
「その通りであります、陛下」
将軍の答えを聞き、皇帝は顎に手をあてて沈思黙考する。
「四方全てを無効化されるのであれば、どうにもならぬが、一方しか完全に防げぬのであれば、どうにでもなるな」
「最大魔力の攻撃となると、二日に一回しか機会がありませぬが、四分の三の確率で宝剣のいない方向を攻撃できます」
アルヴェーン元帥が進言した。
通常の攻撃であれば、休憩をはさんで一日数回の攻撃が可能だ。
しかし、敵の防御魔術を打ち破るために最大魔力をこめた攻撃を行えば、せいぜいその頻度でしか攻撃できなかった。
「分のいい賭けよな。絶対命中を狙いたいところだが、やむを得まい。その攻撃でどれだけ火炎魔術の威力が落ち込むか見てから、次の作戦を考えるとしよう」
「かしこまりました」
会議から二日後、帝国軍の総攻撃が再び、始まった。
これまでと同様の攻撃だが、投石器には石の他にも戦死者の骸も投げ込まれるようになった。
士気阻喪の他にも疫病の蔓延を狙うといった効果も期待されている。
頃合と見た皇帝は、南側から火炎魔術の一斉攻撃を放たせた。
絶望するしかない業火が城壁に襲い掛かるが、シルヴェストル三世がカスィードルで防いだ。
「ほう、運がよきことよな」
皇帝は笑みを浮かべて、撤収の指示を出した。
種がわかってしまえば、どうということはなかった。
いつかは、シルヴェストル三世の悪運がつきて、彼不在の方向に火炎魔術が襲い掛かるであろう。
シルヴェストル三世はカスィードルで火炎魔術を再度防ぎ、近臣からの喝采を浴びた。
彼は表向き、余裕の表情を浮かべていた。
しかし、これがいつまでも続くわけではないのは、彼も承知していた。
いつかは、彼がいない方向に襲い掛かるのだ。
帝国軍が火炎魔術を使っても意味がない、と誤判してくれるのを彼は期待していたのだが、帝国は甘くなかった。
よくよく注意して彼を見れば、瞳が不安の色を浮かべているのに気づくだろう。
奇跡的に二日後の火炎魔術も宝剣で防ぐことができた。
しかし、四日後はついに防げなかった。
シルヴェストルがいない方面から、火炎魔術の一斉攻撃を喰らうことになる。
城壁を襲う業火の九割を防ぐことができた。
必死の思いでセドリアンの士官が、防御魔術を発動した成果だ。
だが、一割の業火でも数十人が火達磨になり、数百人が戦闘続行不能な火傷を負った。
また、ところどころが燃え上がり、消火におわれることになる。
その光景を見た皇帝は眼を細める。
幕僚達は総攻撃の指令が下るかと思えば、撤収の指令が下った。
「余も年老いたな。昔であれば、もっと効率がいい策戦を思いつけたものを」
皇帝はそうつぶやいたが、恐ろしくて誰も肯定しなかった。
周り全てが皇帝の言葉を鄭重に聞き流した。
これから十日たち、その間に火炎魔術が五回発動されて、二回を宝剣が防いだ。
しかし、三回だけでも尋常でない被害がでる。
また、防御魔術が使える士官の数が確実に減っていくので、三回目の攻撃などは業火の四分の三しか防げなかった。
次に火炎魔術を防げなければ、外郭を維持できるかどうかわからないだろう。
こうなれば、帝国の火炎魔術部隊を撃滅するしか勝ち目はない。
なので、投影魔術部隊によって、帝国の火炎魔術部隊を探そうとするが、投影魔術の精度には限界があり、うまくいかなかった。
皇帝も敵が火炎魔術部隊を狙ってくるのはわかっているので、火炎魔術部隊が周りの部隊と溶け込むよう、服装や装備に配慮していた。
城壁の弩や投石器も、いくつかは火炎魔術で焼かれて、使い物にならなくなっていく。
もうすでに帝国軍の簡易陣地が完成しており、城内からの夜襲も難しい状態になっていた。
アンドレッセ城内の士気は低下し、暗鬱な雰囲気が支配するようになる。
完全に無傷の守備兵が貴重な存在になっていった。
シルヴェストル三世も当初の颯爽とした英姿はなりを潜め、焦慮するばかりであった。
◇ ◇
そして、ついに運命の日が訪れる。
セドリアン暦二三六年、ムラーディス暦では三六五年の五月二十八日。
ムラーディス帝国の火炎魔術部隊が王都北側の城壁めがけて業火を放った。
その時、シルヴェストル三世は西側で待機しており、宝剣で防げない。
防御魔術で防げた業火は約六割にすぎない。約四割の炎が守備兵に襲い掛かる。
二百人以上が燃え上がり、千人以上が火傷をおい、まともに戦える状態でなくなった。
木材など可燃物などが燃え上がり、まさに現場は火炎地獄と化した。
皇帝は投影魔術でその様子を確認して、実に楽しそうに笑った。
「もうよかろう。総攻撃を開始せよ。攻城塔などいらぬ。はしごで登っていけばよい」
「はっ!」
「それと、外郭物見塔に帝国旗を最初に立てた者は最下級兵士であっても、男爵に取り立てよう。この言葉、あまさず全員に述べよ。それと、三方の指揮官に総攻撃するよう、伝えるのだ」
「かしこまりましたっ!」
皇帝の玉言を知らされた城壁北側担当の帝国兵は、千載一遇の好機が来たことを知る。
クリストフ征服帝であれば、投影魔術で公平な裁可を下してくれるであろう。
俺こそが男爵だ、とばかりに周りにある旗という旗を持ち出して、はしご目指してかけてゆく。
まずは、はしごの先陣争いから始まる始末であった。
帝国兵が次々とはしごを昇ってゆく。敏捷な者が先陣をきって。
しかし、守備兵全員が火炎魔術で死傷したわけではない。
生き残りの者が迎撃すべく、石やら熱湯やら、腐るほどある燃えた木材などを、次から次へと下へ投げ込んだ。
たまらず、はしごを昇っていた帝国兵達が、数十人単位で落下していく。
しかし、男爵という豪華なえさをぶらさげられた彼らは止まらなかった。
落ちても落ちても、次から次へと昇ってゆく。
やがて、迎撃していた者達も、城下からの弓やら投石やらで少しずつ傷ついていく。
また、落とすべき物がなくなっていった。
そして、ついにはしごから、昇りきった帝国兵があらわれる。
一人昇っては取り囲まれて守備兵に斬られ突かれ、を繰り返していたが、昇りきる者が増えていくと、ついに互角の戦いとなった。
シルヴェストル三世とて、手をこまねいていたわけではない。
城壁西側から、自ら向かっていたし、援軍も派遣していた。
だが、はしごがかかった部分を何箇所も帝国側がおさえてしまうと、次から次へと帝国兵が乗り込んでくる。
元々、帝国側の方が兵士が多いし、一人あたりの強さも帝国兵のが上だった。
また、セドリアン兵は士気が低下し負傷している者が多いのに比べ、男爵という餌をぶらさげられた帝国兵の士気は極めて高かった。
男爵になれなくても、王都を落とせば、大きな見返りがあるのは間違いないのだ。
自分の国を、家族を守ろうとする心と、邪な欲望がぶつかりあったこの戦いは、結末を迎えようとしていた。
邪な欲望の勝利という形で。
ついに、外郭北側物見塔に帝国旗が翻ったのだ。
ここまでくると、外郭を守りきるのは極めて難しい。
本来であれば、内郭に撤退すべきであった。
そこで態勢を立て直して戦えばよいのだから。
だが、シルヴェストル三世もクリストフ征服帝も知っていた。
外郭から、火炎魔術を発動させれば、狙い放題だということを。
つまり、外郭の失陥が王都の失陥につながるのだ。
クリストフ征服帝は投影魔術によって、帝国旗が立てられたのを知った。
「よくやった。さすがは余の兵士達よ」
皇帝は、いけにえを捧げられた邪神のような笑みを浮かべた。
こうなれば、王都アンドレッセの陥落は間違いない。
シルヴェストル三世は逃走するかもしれないが、王位を簒奪した彼が王都を失えば誰もついてこないであろう。
後は、南東部のラドヴァンだが、ここまで形勢が帝国に傾けば、諸侯も帝国につく。
ひねるように潰してやればよかった。
つまり、これでセドリアン王国の征服はほとんど果たしたことになる。
そうなれば、帝国本軍は二十万の規模で遠征できるようになるだろう。
北は蛮族の地でうまみ少なく、西はもう海だが、南に行ってもよいし、東に行ってもよい。
それよりも何よりも、自分の手で操ることができる人間が数百万人以上増えたということだ。
セドリアンの民も、自分が与える欲望に操られて、さらなる戦いで生死の狭間に飛び込むことになる。
戦勝による愉悦が、今後の展望が与える快楽が、皇帝の頭脳を焼いていき、極楽の境地へと誘う。
だが、皇帝は突然、極楽から地獄へと突き落とされる。
胸の奥から、激しい痛みが襲った。
「ぐ、ぐっ……」
皇帝は胸をおさえ、倒れこむ。
「へ、陛下っ!!」
「じ、侍医を早くここへ!!」
侍従達が慌てふためき、大騒ぎとなった。
その内の一人が、南方の指揮をとっていたアルヴェーン元帥を呼ぶべきだと思いつき、慌てて通信魔術で元帥に連絡する。
「ごぉっ……」
皇帝は激しい痛みで胸をかきむしるが、激痛はおさまらない。
ハギリがいた世界の医師が皇帝を検査すれば、「胸部大動脈瘤破裂」と診断するであろう。
元々、血圧が高い体質であった皇帝は、戦勝がもたらす興奮による血圧上昇のたびに、胸部大動脈の瘤が少しずつ広がっていた。
ただでさえ高めの血圧が、長年の戦陣生活と勝利によって得られる興奮によって、上がっていたのもあった。
戦勝は皇帝の頭脳を悦楽で焼いていくと共に、身体もまた焼いていたのだ。
皇帝は激痛に耐えきれず、のたうちまわる。
他者に皇帝が与えてきた痛みに比べれば、ささやかな激痛であったにも関わらず。
そして、ついに出血性ショックで皇帝の心臓は動かなくなった。
クリストフ=フレドホルム=ムラーディス、享年六十五歳。
死に装束は、皇帝のみがまとえる背中に竜が描かれた紫衣であった。
戦争と共に生き、一千万人以上の運命を操った皇帝クリストフは、戦争の中で死んだ。




