(18) ザーロシュの戦い <3>
ベドナジーク一門本陣にて、執事長がエドゥアルドに報告にあがった。
「ラドヴァン陛下は、敵右翼からあらわれた帝国軍騎兵部隊を撃破して、そのまま敵右翼を叩くため、出撃したそうです。当方にまわせる予備兵力はないが、敵右翼撃破まで、なんとか支えて欲しい、と」
「そう、ついに敵も陛下も動いたんだ。それで、できそう?」
「敵左翼からも、約二千の敵があらわれましたが、こちらも予備隊を繰り出します。それで、支えきれるかと思います」
「なら、問題ないね。後は陛下と『究極の戦士』に期待しようか。それまでこらえるように、指示を出してくれ」
「かしこまりました」
執事長が明言したように、敵左翼の援軍によって、ベドナジーク勢は一時不利になるが、予備隊投入によって盛り返し、こう着状態に陥った。
中央では、ベネシュの熟達した指揮によって、国王軍が戦線を支えるのに成功していた。
つまり、ラドヴァン軍からみれば左翼、帝国軍からみれば右翼となるこの方面の戦局によって戦いの勝敗が決まることになる。
帝国軍騎兵部隊にカシュパルという勇士がいた。
彼は中隊長格の階位を持ちながら部隊を指揮せず、己の武勇を誇示するため、武勲をあげるため、部隊の先頭で疾走していた。
この戦いで武勲をあげて、できれば昇階、少なくとも勲章を手に入れるか俸給を上げるつもりだった。
やがて、彼の視界に敵となるセドリアン軍騎兵部隊が見えてくる。
いよいよだ、と彼は勇躍して槍を持つ手に力が入る。
その彼の十年に及ぶ軍歴、二十七年の生涯、抱いていた夢や希望。
全てが、ハギリの剣による一振りで失われた。
カシュパルは、ハギリの剣に反応できず、胴体を斬り裂かれ、血まみれの屍と化した。
彼の死が騎兵部隊激突の合図となった。
「ラドヴァン様にいただいた剣はよく斬れます」
ハギリは軽やかに笑った。戦場には不釣合いな笑いだった。
勢いに乗って、彼女は敵騎兵を斬り払っていく。
左に、右に、軽やかに動き、そのたびに一人、二人と、血に染まって倒れた。
ハギリの剣は止まらない。
剣に反応できたとしても、彼女は受け止めようとした槍や剣ごとぶった斬っていった。
帝国兵達の顔が憤怒から驚愕、恐怖へと染まっていく。
それは、バジャンク族の兵士達と同様だった。
同じ人間である以上、同じ化け物を見たら、同じ反応となるのは必然というものだ。
ハギリは前回の戦い以上に愉快であった。
前回は自分の剣技を試すだけ、とある意味悲壮感があった。
しかし、今は愛するラドヴァンのため、自分のために戦っているのだ。
ハギリにとって、第一が剣なのはいうまでもない。
しかし、心の中でラドヴァンの存在が飛躍的に高まり、剣とほぼ同等になりつつある。
そうなれば、ラドヴァンと一緒にいるために、彼との未来を築くために戦うという考えが混じるようになってくる。
それが、ハギリには心地よかった。
人間にとって、自分のためだけに戦うのと、他者のためにも戦うというのは決定的に違うのかもしれない。
ゆえに、歴史上において、多くの者達が戦うための大義名分を欲するのだろう。
ハギリはセドリアン王国など、内心ではどうでもいいと思っている。
セドリアン王国で生まれ育ったわけではないのだから。
だが、ラドヴァンがセドリアン国王である以上、セドリアン王国のために戦うのは何の問題もなかった。
また、帝国兵はセドリアン王国から見れば、完全に悪である。
何の落ち度もないセドリアン王国を侵略するために攻撃してきたのだ。
ハギリからみれば、自分から戦いを挑んできた者は死ぬのも覚悟しているだろう、ということだ。
だから、彼女の剣には何の躊躇もない。
壮年の男も、少年と思しき若武者も、ジャネッタのような女騎士も、全て斬っていく。
敵の容姿が整っていれば、年若ければ、同情して剣をゆるめるべきなのか?
否。
いいえ。
ありえない。
そんな感情は、ハギリにはないのだ。
「私はラドヴァン=ルミール王に召喚された『究極の戦士』ハギリ=カミノ! 王の敵となる者は全て討ち滅ぼしていきます!!」
ハギリは名乗りをあげた。
自分でも芝居がかっていると思う。
だが、必要なことだった。
敵の恐怖をあおるため、味方の士気を高揚させるため。
それと、彼女からすれば、ネステル王妃に対抗するには自分の価値を高める必要があるとも計算していた。
ハギリは側室になるつもりはない。
ラドヴァンの『究極の戦士』として、隣にいるつもりなのだから。
ハギリに続くセドリアンの騎兵達は、次々と開かれていく前方めがけて突進していく。
無論、ハギリが全てを斬り払えるわけではないのだから、側面から敵の攻撃がある。
彼らは一般の兵士でしかない。
武技では帝国兵にやや劣るだろう。
しかし、勢いと士気がまるで違った。
自分達は、まるで全能神がつかわした武の女神に率いられているのだから。
帝国兵どもは、女神の逆鱗にふれた愚か者どもでしかすぎない。
ハギリの存在で高揚したラドヴァン軍は、ハギリの存在に怯んだ帝国軍を蹴散らしていった。
だが、戦いぶりがあまりにも凄まじいだけに、恐怖心めいた感情を顔に出している者が何人もいた。
ラドヴァンはエドルバラと同じように、
「ハギリこそ、『究極の戦士』!! 彼女と共にあれば、必ず勝てるっ!!」
と、ハギリの特別さを際立たせて、恐怖心を減らすようつとめた。
続けて、
「『究極の戦士』であるハギリに続けっ!! 侵略者である帝国兵をたたきのめせっ!! 正義は俺達にある!! 国王である俺もハギリやお前達と一緒に戦っているんだっ!!」
と、士気をさらに高めるべく声をあげた。
必ず、などとラドヴァンは思っていない。
だが、必要な言葉だった。
真実だけが必要なのではない。嘘も必要であった。
ラドヴァンは現時点で巧みに指揮できる名将とはいえなかった。
しかし、士気の重要性を知り、それを高めることには十七歳にしてすでに長けていた。
彼は日焼けして健康的な印象だが、繊弱に見えるほど端麗な容姿だ。
それゆえに、壮麗な軍装に身を包み、剣を持つと映えた。
何人かの兵士達が彼を見る眼差しには、敬愛に近い思いがこめられるようになってきている。
ジャネッタは懸命に戦っていた。
もうすでに、一人の帝国兵を屠るのに成功している。
ラドヴァンとハギリが関係を持ったことに気づいて、彼女は衝撃を受けた。
その時、なぜ、自分を選んでもらえなかったのか……、と彼女は思ってしまう。
それで、彼女もまた、ラドヴァンに抱いていた気持ちに気づいてしまった。
忠義の心の中には恋心が潜んでいた。
だが、彼女は若いながらも、男爵家当主であった。
家臣がいて、家を守りついでいかなければならない。
ハギリのように完全に踏み込めなかった。
恋心に気づかなかったというよりも、気づくわけにいかなかった。
ジャネッタが鬱々としていると、カリーヌに注意された。
「ジャネッタ、割りきれなければ除隊した方がいい。私はジャネッタが死ぬのを見たくないから」
今まで見た中で、もっともカリーヌの表情は真剣だった。
「……ありがとう。でも、私は武官としてラドヴァン様に仕えたいという気持ちは変わらないの」
「なら、その気持ちをどうにかしないとダメだよ」
「……うん、わかってる。……もしかして、知ってたの?」
「さぁ、どうだろうねー」
カリーヌは澄んだ笑みを浮かべていた。
ジャネッタはその表情に答えを見つけた。
「……そう。ありがとう。私はがんばってみるから」
「無理はしないようにね」
「ええ」
ジャネッタは冷静さを保とうと思いながら、剣を振るっていたが、視界外の右斜め後ろから、帝国兵が彼女を狙っていた。
狙われているのに気づいていないジャネッタを、カリーヌの槍が救う。
槍の一撃をわき腹にくらった帝国兵は、ぐぅ、と呻いて落馬した。
「カリーヌッ!?」
「ジャネッタ、気をつけるのよ!! 言ったでしょう。死ぬのを見たくないって!」
「え、ええ!」
「本当に大丈夫?」
カリーヌの顔はいかにも心配げであった。
「大丈夫。いきましょう!」
ジャネッタは気丈に振舞った。
「わかったっ!」
カリーヌはこの戦いが終わるまで、ジャネッタの横についていると決めた。
ラドヴァンには申し訳ないと思ったけども、ジャネッタを優先させた。
カッセルから、余裕が完全に失われた。
先鋒が敗走状態に陥ったとの報せが入ったのだ。
敵先鋒はもう中衛にさしかかろうとしているらしい。
つまり、自分の部隊は中央突破を許して、なおかつ一部は逃げ散っているということだ。
こんな短期間に崩れるなど、ありえない話であった。
だが、今まさにそのありえない話が眼前で起きていた。
カッセルは決断を迫られる。
退却するか、それとも、自分が敵先鋒を食い止めるべく現場に向かうか。
報せを持ってきた隊士は完全に動転しており、
「きゅ、究極の戦士はほ、本当でした! あんなの倒せませんよ!」
などと口走った。
本来であれば、上官に対して為すべき言動ではない。
それだけ、精神状態がおかしくなっていたのだろう。
戦場ではままあることだと、カッセルは不問にした。
問題はその戦士を自分が出張って倒せるかどうか、だ。
自分が一騎で中央突破できるかといえば、まず無理だろう。
となれば、自分では勝てないということになる。
しかし、ここで退却すれば、敵の騎兵部隊が右翼の横をついて半包囲を成功させる。
そうなれば、万事休すであった。
カッセルは苛立ち、舌打ちする。
ラドヴァンの抱いていた焦燥感がカッセルに乗り移ったかのようだ。
彼が思い悩める時間は少なかった。
その間にもハギリは進み続けているのだから。
彼はこのまま退却するわけにはいかなかった。
帝国軍人としてさらなる出世を成し遂げたければ。
敗北すれば、閑職にまわされるのは間違いない。
帝国には優秀な軍人は大勢いる。
二度目のチャンスがあるかどうかわからないのだ。
結局、彼は自身で行くのは避け、陣形を組み替えるだけにする。
それは多少、有効であった。
ハギリに対する抵抗が増えたので、彼女が彼の下に訪れるのを少し遅れさせることができた。
ほとんど、何の意味もなかったが。
ついに、カッセルは『究極の戦士』を自分の眼で見ることになる。
血で塗装された鎧をまとった少女が、彼の部下をなぎ倒していた。
主を失った馬が少女の後ろに何頭もいた。
下を見れば、無残な死体がいくつも飾り立てられている。
視野を広げると、多くの兵士達は明らかに彼女を避けているのが見える。
部下達の顔も瞳も恐怖で彩られていた。
カッセル自身も同様であった。
彼は思わず、口に手を当て、顔をしかめる。
少女と眼があい、恐怖に駆られた彼はついに馬首を翻した。
「た、退却!! 全軍、退却だっ!!」
彼の指令を隊士達は心から待ち望んでいた。
熱狂的なまでにその指令は支持され、帝国軍騎兵部隊は一目散に逃走する。
ハギリは将軍の華麗な軍装をまとったカッセルを見つけ、標的をカッセルに定める。
馬尻を叩いて、彼女は懸命に追った。
カッセルはひたすら逃走する。彼もまた必死だった。
ラドヴァンが敵の逃走に気づくと、
「敵は逃げたぞっ!! 追撃、追撃をかけよっ!!」
と、大きく叫んだ。
帝国軍の騎兵部隊は大きく崩れ、敗走する。
さすがのハギリも馬までは強化できないので、カッセルを追いきれなかった。
カッセルの馬は将軍が乗るのにふさわしい名馬だったのだ。
彼は砕けた野心と引き換えに、自分の命を救うことに成功した。
ラドヴァンは、ハギリにおいつき、彼女をとどめる。
「ハギリ、よくやってくれた!!」
「でも、敵の隊長を倒せませんでした」
「いや、十分だよ。ここからは、敵右翼を攻撃する。これでこの戦いは勝てるんだ!」
「わかりました! 私、がんばりますね」
ラドヴァンはせめてもの、と気持ちをこめて、ハギリの右手に左手を重ねた。
「共に行こう」
「はい!」
ハギリはラドヴァンの右手から、温かみと共に彼の真心にふれた気がした。
ラドヴァン率いる騎兵部隊は、標的を敵右翼へと変更した。
崩れかけていた諸侯勢からも、ラドヴァン率いる騎兵隊が敵騎兵を崩したのが見えていた。
これで、彼らは立ち直り、残りの力を振り絞って攻勢に出た。
ゾラーク伯爵はラドヴァンに賭けた自分をほめてやりたい気持ちだった。
「陛下に続けっ!! この戦いは我らの勝ちだっ!!」
伯爵の部隊は先ほどまでとうってかわって、帝国軍をおしまくった。
逆に帝国軍右翼は、味方の騎兵が敗走し、横合いから騎兵に突撃されると、一気に崩れた。
彼らもまた、騎兵達の戦いが眼に入っているのだから。
右翼が崩れると、それが中央に波及し、左翼も崩れた。
彼らは帝国軍だが、ここには常勝不敗の皇帝クリストフは存在しなかった。
エドゥアルドは崩れ行く帝国軍を見ながら、執事長に対して、余裕の笑みを浮かべた。
「これで、ようやく帝国や僭王に一泡ふかせられそうだよ」
「はい、心待ちにしております」
「ラドヴァン陛下に万歳だ、ハハッ」
エドゥアルドも周りにいる家臣たちも笑声をあげた。
ラドヴァン軍は後顧の憂いを絶つべく、帝国軍を追撃戦で打ちのめした。
帝国軍分遣隊の戦力が残っていると、行動の自由が縛られるからだ。
ヴラーゲンの戦いと反転し、今度は帝国軍が死の淵に沈められていく。
かくして、ザーロシュの戦いは終わった。
ラドヴァン軍の死者は千に満たず、帝国軍の死者は五千を優にこえた。
この戦いで、ラドヴァン=ルミール王の武名がさらにあがり、帝国のみならず、他国にも認知される。
セドリアン王国南東部はラドヴァン=ルミール王の支配下となるのが、当面の間、確定できる極めて重要な戦いであった。
一方、帝国本軍はついにセドリアン王都アンドレッセに迫っていた。
クリストフ征服帝とシルヴェストル三世の死闘が、まもなく行われることになる。




