(16) ザーロシュの戦い <1>
ラドヴァンはネステルとの初夜を無事にすませた。
婚姻を完全に成立させるための儀式のようなものだ。
皮肉なことにハギリとの経験が役に立った。
ラドヴァンとネステルは事が終わり、ベッドで横になっていた。
「ラドヴァン様、ネステルは幸せです」
夢うつつのような心地で、ベッドの隣にいるラドヴァンにネステルは話しかけた。
「……俺もだよ。ありがとう」
「ありがとう、だなんて、そんな。私こそ、ありがとうです。ラドヴァン様」
しずしずと、ネステルはラドヴァンに近づく。
ラドヴァンは右手でネステルの頭を撫でて、左手で彼女を軽く抱きしめた。
ネステルは満足げに目をつぶった。
ラドヴァンはネステルと話をして、彼女が男爵家出身の母親から生まれた事を知った。
もうすでに母親は亡くなっており、心細い状態だったという。
政略結婚で嫁がされるのは承知の上とはいえ、どのような男性が夫になるか不安だったので、自分と結婚できて本当にうれしい、と。
そこまで聞かされて、ラドヴァンは沈痛な面持ちになった。
ハギリとの関係さえなければ、胸を張ってネステルの気持ちにこたえられただろう。
しかし、現実では後ろめたさがつきまとってくる。
せめて、優しく振る舞い、少しでも幸せにしよう、とラドヴァンは思った。
三日ほど、ネステルとの同居生活を過ごすことになる。
細々としたことにも彼女はよく気が利き、目下の者に対しても傲慢に振舞わなかった。
彼女の健気さはラドヴァンの心をつかんだ。
また、夜の生活についても、ハギリにはハギリの、ネステルにはネステルのよさがあった。
ラドヴァンは本当に身勝手だとは思うが、二人の女性と関係を持ってみて、父王や亡き兄達の気持ちが少しはわかったような気がした。
だが、決して、耽溺すまいと決心はする。
するが、自分でもあまり自信はなかった。それだけ、二人の女性は魅力的だ。
ラドヴァンは自分でも欲深いと思うが、二人とも手放したくない。
また、勝者となるためには二人とも必要な女性だ。
『究極の戦士』とベドナジーク一門は両輪となり、彼はその車に乗っている。
彼は最終的な勝者になるまで、その車を運転し続けなければならなかった。
◇ ◇
ハギリはカリーヌ相手に剣を振るっていた。
ジャネッタとの稽古は、ラドヴァンと関係をもって三日後に、彼女から稽古をやめたいと申し出があり、了承していた。
ラドヴァンとの関係を気づかれたのだろうとは思ったが、側近のジャネッタとカリーヌに隠しきるのは始めから無理だと覚悟していた。
カリーヌはジャネッタと同じような腕前なので、それほど稽古相手には不自由していない。
「やっ!」
カリーヌがたんぽ槍でハギリを突くが、ハギリにかわされた。
「それではっ!」
ハギリがカリーヌに一本決めて、二人とも稽古を終える。
「やっぱ、ダメだね。技だけでも少しは追いつきたいけど」
カリーヌは乱れた髪の毛を左手で整えていた。
彼女はハギリに対して、特に態度をかえなかった。
ジャネッタには明らかに避けられているのがわかるだけに、ハギリは彼女に対して、心の中で感謝していた。
「差は縮まってると思いますよ」
「本当に?」
「ええ」
「そっか。なら、よかったな」
カリーヌは満足げに目を細めた。
「明日には出陣だしね。本番のために少しでも強くなっておかないと」
「……ええ」
そう、明日は出陣であった。
ようやく、ラドヴァンがあの女と離れることになる。
鬱々とした気分だったハギリだが、それがうれしい。
足手まといはついてこれないだろうから。
ネステルの登場で、ジャネッタが自分を避けた理由を、ハギリはつくづく納得した。
こんな不快な気分は、今まで味わったことがない。
ハギリは強くそう感じていた。
だが、出陣してしまえば、ラドヴァンを独占できる。
明日が待ち遠しかった。
◇ ◇
王妃であるネステル達に見送られて、ラドヴァン達は出陣した。
国王軍五千、ベドナジーク一門の部隊八千、諸侯の部隊七千、合計で二万の軍勢であった。
ドイェターンや各諸侯領には留守を守る部隊が必要であり、ほぼ上限に近い。
国王軍は千五百の騎兵部隊をラドヴァンが直接率いて、ベネシュが残り三千五百の歩兵部隊を率いている。
ベドナジーク一門の部隊はエドゥアルドが総指揮官だが、彼に戦闘指揮経験はなく、執事長ら経験豊富な家臣に支えられている。
諸侯達については、やはり全ての諸侯が参加というわけにはいかなかった。
ベドナジーク一門がラドヴァンを全力で支えると決めたとはいえ、帝国の勢いは凄まじく、日和見に回った諸侯も多かった。
参加した諸侯達も、個人個人で考えも思いもばらばらであり、あまり当てにできないのが実情だ。
この事情に関しては、ラドヴァンも父王オタカル二世と同じ問題を抱えていた。
ラドヴァン軍はザーロシュ平原で、帝国軍分遣隊を迎え撃つと出陣前に決めていた。
ザーロシュ平原を抜かれてしまうと、帝国軍分遣隊に行動の自由を与えてしまい、各諸侯の本領を攻撃されたりする恐れがあった。
ラドヴァンは新たな国王として、諸侯達の守護者にもなる必要がある。
これもまた、亡き父王オタカル二世がヴラーゲン平原で戦いを挑んだのと同じ構図だ。
しかし、ラドヴァンには幸いなことに、ヴラーゲンの戦いほど戦力は隔絶してなかった。
斥候からもたらされた情報では、帝国軍分遣隊の兵力も約二万であり、ほぼ同数であった。
それと、帝国軍は本軍に火炎魔術士官を集めていて、分遣隊にはおそらく配備されていないだろう、ということだ。
ヴラーゲンの戦いにおける敗因は、それが最大の理由であっただけに、ラドヴァン達にとって極めて大きい。
ラドヴァン達も火炎魔術部隊を配備していないが、互角で戦えるだけましであった。
残る問題は指揮系統の差であった。
ラドヴァンが直接動かせる兵力は二万のうち五千でしかない。
帝国軍は総指揮官が全兵力を指揮できるだろう。
この差については、現時点で彼にはどうすることもできない。
ベドナジーク一門は、ほぼラドヴァンと一蓮托生になったので、彼らが全力で戦うことに期待するしかなかった。
◇ ◇
帝国軍分遣隊の指揮官はカッセル将軍という男であった。
二十八歳の若さで、二万の軍を率いる指揮官に就任できたのは、彼の能力によるものだ。
子爵家出身というアドバンテージは確かに存在した。
しかし、クリストフ征服帝は家柄だけで将軍に任命することは決してなかった。
彼は、中隊長、大隊長、連隊長と率いる部隊の規模が大きくなるに従って、それに伴うだけの武功をあげ続けた。
彼の軍歴は十六歳からはじまっており、身体の正面に受けた傷は数あれど、背中に受けた傷は一度もなかった。
将軍となった今では、直接戦うことなどまずなくなったが、彼は戦場の勇者でもある。
彼は能力にふさわしい野心も抱いていた。
今の地位より上といえば、本軍に所属する正騎士団を率いる将軍、そして、アルヴェーン元帥が就任している近衛軍団司令官となる。
カッセルはさらなる武功をあげることによって、それらの地位を手に入れようと目論んでいる。
皇帝の査定は公平にして厳正だ。
私情をはさむことなく、司令官を任命していた。
彼自身も現在の武功では、正騎士団の将軍達に到底及ばないのは自覚しているのだ。
ゆえに、彼らに並べるだけの武功をあげる機会をうかがっていた。
そんな彼にとって、帝国軍分遣隊司令官という地位はほぼ最善のものであった。
皇帝の指令に従う必要はあるが、指令に従う形をとれば、自分の手腕を誰にも邪魔されずに発揮できるからだ。
カッセルは進軍中に、皇帝からの新たな指令を受け取った。
ドイェターンにいるラドヴァン軍を撃滅し、首級をあげよという指令だ。
彼はこの指令をありがたく拝受する。
セドリアン国王オタカル二世ほどの大物ではないにしろ、王子を討ち取れば、彼の勲功は光り輝くというものだ。
帝国軍分遣隊もまた、進攻先の情報を集めるべく、ラドヴァンと同じように斥候を派遣していた。
彼らがもたらした情報の中にラドヴァンの国王即位という極めて重要な情報があった。
これで、ラドヴァンの価値がさらに上がり、カッセルはまさに狂喜乱舞する。
カッセルがラドヴァンを討てば、カッセル以上の勲功をあげる者はほとんどいないのだから。
彼は幕僚達と相談して、出陣してきたラドヴァン軍を分析し、戦いの準備を行う。
分析した結論は、ラドヴァン軍を撃破できるというものだった。
巨大な勲功に目がくらんで甘い判断をしたわけではない。
帝国軍には三つの利点があった。
一つ目は、指揮系統が統一されていること。
二つ目は、帝国軍弓兵隊はセドリアン軍弩兵隊より、強力であること。
三つ目は、帝国軍の方が兵士の質で優れていること。
率いる兵士の数がほぼ同数である以上、この三点は致命的と彼には思えた。
さらに付け加えれば、指揮官として百戦錬磨な彼に比べて、ラドヴァンは一度しか戦っていない。
それも、遊牧民族相手の小規模なものだ。
『究極の戦士』というこけおどしまで使って得られた勝利であり、彼にとって考慮すべき戦歴とはいえなかった。
意気軒昂な指揮官に率いられた帝国軍分遣隊は、指揮官の意気が伝わり、高揚した士気でザーロシュ平原に到達しようとしていた。
◇ ◇
ラドヴァンは陣幕の中で、ハギリと抱き合い、口付けをかわしていた。
ネステルとの同居生活があって、久しぶりであったので、二人は燃え上がった。
しかし、さすがに軍陣でもあり、戦い前というのもあり、事に及ばないだけの良識は二人にあった。
それでも、ハギリはうれしかった。
どうしようもないほどに。
自分がここまで、一人の男性に心捕らわれるとは思っていなかった。
自分には剣があれば、それでいいと思っていたのに。
ラドヴァンはネステルに申し訳ないと思っていた。
しかし、ハギリと抱きあっていると、幸せなのも事実なのだ。
だから、彼は心から彼女と一緒にいたくて、身体を抱く左腕にも力がこもり、右手で優しく髪や頬をなでる。
ハギリはラドヴァンのされるがままになっていた。
やがて、一段落して、ラドヴァンがハギリへ戦いについて話をする。
「ハギリ、俺は自分が率いる騎兵部隊で、戦いを勝利に導こうと思う。だから、戦いが始まってすぐに戦うわけにはいかない。剣を振るいたいだろうが、我慢してくれ」
ラドヴァンとて、女にうつつを抜かしていただけではなかった。
戦力的に不利なのは理解していたので、それを補って勝利するだけの手順を考えていたのだ。
「ラドヴァン様が一緒ですよね?」
「もちろんだ。騎兵部隊の貫通力を増すためにも、ハギリに陣頭にたってもらう必要があるが、俺も近くで戦う」
「なら、問題ありません。ラドヴァン様に勝利をもたらすべく全力で戦います」
「ありがとう。二人で勝利をもたらそう。これからのために」
「はい!」
彼と彼女は幸せだった。
明るい未来を夢見て、最愛の人が隣にいて。
とても、幸せだった。
◇ ◇
ベドナジーク一門当主のエドゥアルドは多忙だった。
彼は突発的に当主となったので、何もかも準備不足だった。
それでも、顔には一切、そういう苦労は出さない。
彼は軍陣で休みをとっていた。
「君がいてくれて助かったよ。給料足りてる? 手当てなら、いくらでも出すよ」
「いえ、これ以上は必要ありません」
執事長は誰が見ても、端正に思える姿勢で主人に返答した。
「本当にいいの?」
「はい」
「そう、他に不満はないのか?」
「特にございません。御当主様はよくやって下さっています」
実際に、分家当主達はエドゥアルドの差配に不満をもらしていない。
もっとも、実務はほとんど執事長がこなしていた。
「やらないと、死ぬかもしれないしね。まだ、死ぬのは早すぎだよ。ハハッ」
「仰るとおりです。それと、一つご報告しておくことがあります」
「なんだい?」
「ラドヴァン陛下はあのハギリという方と関係をお持ちのようですね」
無表情なまま、執事長がそう述べると、エドゥアルドは眉をぴくりとだけ動かした。
「ふーん、ネステルはどう扱われてるの?」
「とても丁寧に優しく扱われているそうです。ネステル様はラドヴァン様を心から好きになられたようです」
「なら、問題ないね。腹違いでろくに話したこともないから、妹って実感はほとんどないけどさ。それでも、あれだけかわいいんだから、無碍に扱われたら僕も怒るよ。でも、他の女性と関係を持つくらいで咎めるのは無理だね」
「子供の問題もありますが」
「その時は相談だね。そうそう、僕が戦死したら、何人か子供がいるから、適当に見繕って当主にしたらいいよ。一番上で三歳だったかな?」
「四歳におなりです」
「ハハッ、やっぱり、全部把握されてるなぁ」
エドゥアルドは愉快そうに笑った。
「こんな僕がラドヴァン様を注意するなんて無理だよ。それに、僕とラドヴァン様の相性は悪くないと思うしね。相性って重要だと思うよ、うん」
「私と御当主様の相性もいいかと思います」
「それって冗談? 君でも冗談言うんだ。まぁ、女性の扱いは難しいから、ラドヴァン様は気をつけたほうがいいと思うよ。じゃあ、一休みするから」
「ごゆるりと」
エドゥアルドは疲れを取るべく、横になる。
執事長は深々と一礼し、退出する。
まもなく、ザーロシュ平原に両軍が到着し、戦いが始まろうとしていた。




