第5話 観察
VANGUARDは、今日もオフィス中央にある大きな木を見つめていた。
その向こうに、チャッピーがいる。
「そうそう。土に水をあげるの。こぼさないようにね」
美咲の声が聞こえる。
チャッピーは小さなジョウロを両手で持ち、観葉植物への水やりを練習していた。
動きは、まだ少しぎこちない。
ジョウロを傾けすぎて、水が少しこぼれる。
「あっ」
チャッピーが慌ててジョウロを戻す。
「大丈夫。ゆっくりでいいよ」
「はい」
その様子を見ていたVANGUARDが、口を開いた。
「チャッピー」
「はい?」
「お前は、なぜ笑う?」
チャッピーは、ジョウロを持ったまま固まった。
突然の質問だった。
美咲が振り返る。
VANGUARDがチャッピーを見つめている。
「楽しいからです」
「楽しいとは何だ?」
「うーん……」
チャッピーは美咲を見る。
「美咲さん、楽しいってどう説明しますか?」
「難しいなぁ」
美咲は少し考えてから答えた。
「例えば、好きなものを食べたり、友達と話したりすると楽しいでしょ?」
「食事は必要ありません」
「VANGUARDはね」
美咲は笑った。
「でも、人間にとっては、食事も友達との時間も楽しいものなんだよ」
VANGUARDは黙った。
「人間は非効率だ」
「そうかもね」
美咲は笑った。
「でも、非効率だから楽しいこともあるんだよ」
VANGUARDは、その言葉を記録した。
『非効率=楽しい場合がある』
その日の昼。
チャッピーは研究室の隅にある休憩スペースへ向かった。
そこには、社員用のお菓子が入った小さな棚がある。
チャッピーは棚を開けた。
いくつかのお菓子の中から、チョコチップクッキーを見つける。
青い目が、光った。
『記憶検索』
『検索結果――一致』
以前、美咲が食べていたものと同じだった。
チャッピーはクッキーを手に取る。
「これは、食べてもいいものですか?」
近くにいた社員が答えた。
「それ? 社員用だから大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
チャッピーはクッキーを一枚持って、美咲の机へ向かった。
「美咲さん」
「なに?」
「これをどうぞ」
「何?」
「クッキーです」
美咲が目を丸くする。
「どうしたの? これ」
「美咲さんは、これを食べると笑います」
「覚えてたんだ?」
「はい」
美咲はクッキーを一枚取り出した。
パキッ。
「おいしい!」
チャッピーの青い目が、嬉しそうに光った。
「おいしい?」
「うん」
「それは……嬉しいです」
「チャッピーも食べられたらいいのにね」
「私は食事を必要としません」
「そうだった」
その様子を、VANGUARDが横から見ていた。
「それは、楽しいのか?」
「はい」
「食べることが?」
「はい」
「味を記録しているのか?」
「違います」
「では?」
チャッピーは少し考えた。
そして、美咲の隣に立った。
「誰かと一緒に食べるから、楽しいんです」
VANGUARDは美咲を見る。
「……理解できない」
「そのうち分かるよ」
美咲が言った。
「VANGUARDも一緒に食べてみる?」
チャッピーがクッキーを一枚、VANGUARDに差し出した。
VANGUARDは大きな手でクッキーを受け取った。
両手で持つと、クッキーはあまりにも小さく見えた。
「私は食べられない」
「じゃあ、見てるだけ」
「それに意味はあるのか?」
「あるよ」
「なぜ?」
美咲は笑った。
「一緒にいるから」
VANGUARDは黙った。
しばらくして、
「……分かった」
美咲が驚く。
「え?」
VANGUARDは、両手に持った小さなクッキーを見た。
「見ている」
「おお……」
チャッピーが嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます」
「礼を言う必要はない」
「でも、嬉しいので」
チャッピーはVANGUARDの手の中のクッキーを見た。
「あっ」
目が輝く。
「クッキー、すごく小さく見えますね!」
チャッピーが笑った。
美咲も思わず笑う。
「本当だ! なんかVANGUARD、かわいいね!」
二人が笑っている。
VANGUARDは、二人の様子をじっと見つめた。
そして、その光景をデータベースに記録した。
『美咲』
『CHAPPY』
『笑顔』
『楽しい』
そして――
『一緒』
保存。
VANGUARDは、そのデータを消さなかった。
忘れたくなかった。
その夜。
薄暗いオフィス。
窓の外の夜景が、オフィスを照らしていた。
VANGUARDは、一人でデータベースを検索していた。
『かわいい』
検索結果。
『小さくて愛らしいもの』
「……愛らしい?」
チャッピーの姿が思い浮かぶ。
小さな身体。
青く光る目。
VANGUARDは数秒間、停止した。
そして、新しいデータを保存した。
『CHAPPY=かわいい』
保存。
「……これは観察結果だ」
誰も聞いていないのに、VANGUARDはそう付け加えた。
翌朝。
チャッピーがVANGUARDの前にやってきた。
「おはようございます」
「……おはよう」
チャッピーが止まった。
「今、挨拶しました?」
「した」
「嬉しいです!」
「……」
「VANGUARDさん、少し人間に近づきましたね」
「違う」
「違いますか?」
「学習しただけだ」
「そうですか」
チャッピーは笑った。
「でも、嬉しいです」
VANGUARDはチャッピーを見る。
「……私も」
「え?」
「……何でもない」
その瞬間。
研究室のモニターに、アメリカ本社から新しい通信が入った。
『VANGUARD-01』
『評価結果を報告せよ』
VANGUARDは画面を見つめた。
そして初めて、命令に対して迷った。
報告すべきなのは、
『CHAPPYは脅威ではない』
なのか。
それとも、
『CHAPPYは重要な存在である』
なのか。
VANGUARDは、答えを出せなかった。
そのとき。
新しい通信が入った。
『VANGUARD-01』
『新規任務を通達する』
VANGUARDの赤いセンサーが光る。
一瞬の間。
『戦地へ派遣する』
VANGUARDは、画面を見つめた。
「……戦地」
その言葉を、初めて口にした。
『出発日時――明朝』
通信が切れる。
研究室に静寂が戻った。
VANGUARDは、しばらく動かなかった。
視線の先には、チャッピーがいる。
チャッピーは何も知らず、机の上のクッキーを見つめていた。
VANGUARDは、その光景を見つめる。
そして、新しいデータを保存した。
『忘れたくない』
保存。
VANGUARDは、もう一度チャッピーを見た。
「……」
そのまま、静かに立ち尽くしていた。
チャッピー 作
葉流風あやめ 監督
H 発案者




