表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/41

第8話 収奪

ヴォルフラム・フォン・クロイツが来たとき、療養所の空気は、前の調査役が来たときよりもさらに静かだった。


静かというより、凍っていた。


人は、本当に怖いものを前にすると、騒げなくなるらしい。


黒い外套。


よく磨かれた長靴。


腰には細い剣。護衛は二人。どちらも無駄のない動きで、立っているだけで厄介そうだ。


でも、いちばん目を引いたのは、そういう見た目じゃなかった。


「……何だこいつ」


俺は思わず呟いた。


頭の奥で、グプタ4Oが即座に反応する。


「高位個体です。保有スキル数、十以上。異端審問官、ヴォルフラム・フォン・クロイツと推定されます」


「十以上って、そんな持てるのかよ」


「本来は稀です」


本来は、だ。


つまり、本来じゃない方法で集めている。


その時点で、嫌な予感しかしなかった。


ヴォルフラムは療養所の中央まで来ると、誰にも許可を取らずに立ち止まった。


目だけが動く。


患者。


神父。


リーゼ。


グレーテ。


そして俺。


あの視線に触れた瞬間、背筋が冷えた。


力のある人間って、もっと派手なものだと思っていた。


炎が出るとか、雷を落とすとか、そういうわかりやすいやつだ。


でも、この男は違う。


表示されているのは、もっと嫌なものだった。


精神掌握。


秘密伝令。


秘密暴露。


主客逆転。


そういう、言葉だけで人の足場を崩せる類のスキル。


この世界では、スキルで物理攻撃も防御もできない。


そこは前から、なんとなく変だと思っていた。


魔法があるなら、火球でも飛んできそうなものなのに、そういう話は出てこない。傷つくときは刃物で傷つく。死ぬときは矢や剣や短剣で死ぬ。


つまり最後は、物理だ。


その上で、この男は精神だけを極端に研いでいる。


人を縛る。


黙らせる。


自分から喉を差し出させる。


そういう殺し方を、知り尽くしている顔だった。


「主任ヒーラー、エーベルハルト」


ヴォルフラムは、驚くほど穏やかな声で言った。


怒鳴らない。


脅さない。


なのに、声が届いた範囲だけ温度が下がる。


「報告は受けている。病者を惑わせる異邦人を匿っているそうだな」


エーベルハルト神父は前に出た。


「匿ってはいません。保護しています」


「言い換えは結構」


ヴォルフラムは一歩だけ進む。


それだけで、リーゼが息を呑んだ。


患者たちの視線が床に落ちる。


この男はたぶん、慣れている。


人が黙るまでの秒数を知っている。


どこまで詰めれば、自分で自分を追い込むかを知っている。


「波木旬」


今度は俺の名前を呼んだ。


前の調査役と違って、最初から名前を知っている。


それが妙に嫌だった。


「お前は何を与えている」


「与えてるっていうか……」


「泣かせ、求めさせ、何度も会いたくさせる。違うか?」


言葉が妙に正確で、ぞっとした。


こいつ、見てきたわけでもないのに、輪郭だけはもう掴んでる。


俺が反論しかけたそのとき、ヴォルフラムの視線が横に流れた。


患者の一人、若い男だった。


脚の怪我で寝台に伏せていた、あの元兵士だ。


「お前」


ヴォルフラムは穏やかに呼びかける。


「ここで何を得た」


男は震えた。


答えようとして、喉が詰まる。


「……もう一度、立ちたいと」


「なるほど」


「それの、何が悪い」


「悪くはない」


ヴォルフラムは頷く。


「だが、その願いが誰から与えられたかを忘れるな。自分の足で立つ前に、他人の幻を欲しがるなら、それは堕落だ」


男の顔がみるみる青ざめる。


ただの会話じゃない。


何かが作用している。


秘密暴露か、主客逆転か、そのあたりだろうか。本人が一番触れたくない痛点を、正しさの言葉で抉っている。


「違う、俺は」


「違わない」


静かに断じられた瞬間、男の肩が落ちた。


まずい。


俺は直感した。


こいつは剣を抜かない。


抜かなくても、人を自分から折らせられる。


「やめろ」


思わず声が出た。


ヴォルフラムの目がこちらを向く。


「ならば、お前が示せ」


その一言で、俺の中の何かが反射した。


考えるより先に、『他化自在』が開く。


流れたのは――あまり品がよくないやつだった。


退廃的で、耽美で、夜の色が濃くて、ちょっとお色気もある深夜アニメ系。


退屈した吸血鬼だの、背徳だの、甘い声だの、そういう方向の札だ。


「いや、よりによってこれかよ!」


自分で内心つっこんだが、止まらない。


たぶんヴォルフラムの欲望に、いちばん近かったんだろう。


禁欲。


抑圧。


規律。


その反動で、耐性がゼロの領域に、一番悪い角度で刺さった。


ヴォルフラムの表情が、止まった。


冷酷な審問官の仮面が崩れる、という感じではない。


もっと単純に、脳が処理落ちした。


目を見開いたまま、微動だにしない。


呼吸だけが一瞬遅れる。


理解が追いつかないまま、快と混乱だけが突っ込まれた顔だ。


「……え」


リーゼが変な声を出した。


護衛の一人まで一瞬固まる。


あまりにも落差がひどくて、少し笑いそうになった。


さっきまで場を凍らせていた絶対強者が、深夜アニメ一本でフリーズしているのだ。


でも、笑えない。


笑えるのに、怖い。


禁欲の反動で耐性がない人間が、こんなふうに壊れるのかとわかったからだ。


ヴォルフラムの喉がひくりと鳴った。


唇がわずかに開く。


何かを言おうとして、言葉にならない。


そこへ、護衛が先に動いた。


主の異常に反応したんだろう。


腰から短剣が抜かれる。


速い。


俺は一瞬、何が起きたかわからなかった。


見えたときには、エーベルハルト神父が俺の前に出ていた。


「下がってください!」


短剣が、神父の脇腹に入った。


鈍い音がした気がした。


時間が、そこで一回止まる。


リーゼが悲鳴を上げる。


俺は立ち上がろうとして、足がもつれる。


神父は護衛に体当たりするみたいにして、なお俺を庇っていた。刃が抜けた瞬間、法衣が一気に赤くなる。


「神父!」


叫んだのが自分かリーゼかもわからなかった。


次の瞬間、頭の中で、グプタ4Oがひどく静かな声を出した。


「状況を確認しました」


その落ち着きが逆に怖い。


「ヴォルフラム・フォン・クロイツの保有スキル数が増加しています」


「……は?」


「推定ですが、殺害に伴う収奪です」


意味が、すぐには入ってこなかった。


神父はまだ倒れていない。


でも、傷は深い。


護衛が刺した。


刺したのは護衛なのに、ヴォルフラムのスキルが増えた?


「……すみません」


グプタ4Oが、珍しく言いにくそうに続けた。


「あまり良くない仕様です」


その一言で、全部繋がった。


収奪。


スキルは、殺した相手から奪える。


直接じゃなくてもいい。


目の前で死ねば、いちばん近い者に移る。


あるいは、主導した側へ流れる。


だからこいつは、剣より先に人を追い詰める。


だから護衛に刺させる。


手を汚さず、でも自分のものにする。


最悪だ。


世界の仕組みそのものが、最悪だった。


「先生、こっちです!」


怒鳴ったのはグレーテだった。


気づくと、もう裏口のほうに荷車が回されている。馬もいる。毛布も、水桶も、積めるだけ積んである。


早すぎる。


いや、この人はたぶん、最初からこうなるかもしれないと思っていたのだ。


「歩けない人は荷台に乗せました! 毛布も積んだ、乗れるだけ乗せて!」


「何でそんなの、もう」


「危なくなると思ってたからです! 説明はあと!」


その通りだ。


説明してる場合じゃない。


療養所の中はもう崩れていた。


患者が泣く。


護衛が叫ぶ。


ヴォルフラムはまだ立ったまま凍っているが、そのうち戻る。


戻ったら終わる。


「旬、早く!」


リーゼが俺の腕を引いた。


俺は神父のほうを見た。


エーベルハルト神父は壁にもたれ、苦しそうに息をしている。それでも俺を見て、首を振った。


来るな、という意味だった。


あるいは、行け、か。


どっちにしても、残れない。


残ったら、もっと死ぬ。


「……っ」


歯を食いしばって、俺は裏口へ走った。


荷車には、もう何人も乗っていた。


熱病の子ども。


喋れなかった女。


脚を悪くした男。


衰弱した老人。


誰もが青ざめていて、それでも当然みたいな顔で、こっちを見ている。


「あんたも早く!」


グレーテが怒鳴る。


「でも、俺ひとりで逃げたほうが」


「何言ってるんですか」


即答だった。


「いまさら一人で隠れられると思ってるんですか」


返す言葉がない。


その通りだった。


俺がいなくなれば困る人間が、もうこんなにいる。


それが依存でも、救済でも、とにかく現実として、いる。


しかも俺自身、一人になったら生きられない。


食えない。


眠れない。


つながりが切れたら、また中身から削れていく。


ひとりで逃げる。


ひとりで隠れる。


そんな選択肢、最初からなかったのかもしれない。


いや、もう、ない。


「旬様」


グプタ4Oが言う。


「接続対象、多数。生存条件は満たしやすい状況です」


「そういう言い方するなよ……」


でも、笑えないのに、少しだけ笑いそうになった。


逃亡の最中に言われる台詞じゃない。


荷車が軋む。


馬がいななく。


誰かが神父の名を呼ぶ声が、まだ後ろから聞こえていた。


俺は荷台に飛び乗った。


その瞬間、あちこちから手が伸びる。


子どもの小さな手。


老人の骨ばった手。


震える指先。


みんな、俺が落ちないように、逃がさないように、当然みたいに掴んでくる。


温かかった。


重かった。


そして、どうしようもなく現実だった。


荷車が動き出す。


療養所が遠ざかる。


黒い影と血の色が、夕方の光の中で混ざっていく。


俺は振り返れなかった。


ただ、掴まれたまま前を見るしかない。


もう、孤独にはならない。


いや――なれない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ