第7話 異端のにおい
教会の人間は、靴音でわかった。
朝から療養所の前はざわついていたが、そのざわめきが一段階ひりついたのは、黒い外套を着た連中が石畳を踏んだ瞬間だった。
三人。
全員、妙に姿勢がいい。
病人を見に来た顔じゃない。取り締まりか、帳簿の査察か、そういう種類の「正しさ」を身にまとっている。
「あれ、教会の……」
誰かが小声で言った。
別の誰かが、すぐ黙れという顔をする。
空気が変わる。
昨日まで奇跡だの聖者だのと浮かれていた連中まで、口を閉じる。こういうとき、権威ってのは便利だ。何も言わなくても、人を黙らせる。
「来ましたね」
頭の中で、グプタ4Oが妙に落ち着いた声を出した。
「何が」
「調査役です。教会が『放置すると面倒そうな新現象』を確認しに来たのでしょう」
「言い方が雑なんだよ」
「ですが、たぶん合っています」
たぶん合ってるのが嫌だった。
俺は寝台から半身を起こした。
体調は昨日よりましだ。人が多いせいで、接続が途切れにくい。よく考えると、それはそれでかなり終わっているが、いまはそこを気にしている場合じゃない。
黒衣のうち、いちばん年嵩の男が入ってきた。
四十代後半くらいか。痩せていて、目だけが妙に冷たい。俺を見る前に部屋全体を見た。寝台、患者、神父、リーゼ、俺。配置と反応を一秒で測るみたいな視線だ。
「主任ヒーラー、エーベルハルト殿」
「ええ」
神父は前に出た。
「教区より、聞き及んでおります。病者に奇妙な慰撫を与える男がいると」
慰撫。
ずいぶん綺麗な言い方だな、と思う。
綺麗に言ってるぶん、余計に嫌味だった。
エーベルハルト神父は表情を変えなかった。
「少なくとも、ここにいる者たちは助けられています」
「助けられている、ですか」
男はそこで初めて、俺を見た。
まるで値踏みだ。
剣とか槍とか向けられるより、よっぽど気分が悪い。
「あなたが、異邦人の」
「波木旬です」
「……旬」
男は名前だけを繰り返した。
覚える価値があるかどうか、試すみたいに。
「あなたは何をしているのです」
「何って言われても……」
実際、答えに困る。
人を泣かせています、では語弊がある。
感動を与えています、だと自分で言うのが痛い。
たまたま目が合った相手の深層欲求に適した作品を脳内ライブラリから自動選定して送信し、その反応を追体験しています、なんて説明が通るわけもない。
俺が言い淀んでいると、男は小さく頷いた。
「自分でも定義できない、と」
「そういう言い方されるとちょっと腹立つな」
「腹を立てる機能は健在のようですね」
もっと腹立ってきた。
そのやり取りを見ていたリーゼが、はっきり一歩前に出た。
「この人は悪いことしてません」
場の空気がぴりっと張る。
十七歳の農家の娘が、教会の調査役に真正面から口を挟んだのだ。普通なら、それだけで黙らされてもおかしくない。
でもリーゼは引かなかった。
「この人が来てから、眠れなかった人が眠れるようになったんです。食べられなかった人が食べた。泣けなかった人が泣けた。あたし、ちゃんと見てました」
「娘さん」
調査役の男は声を荒げない。
それが逆に怖い。
「善意と正しさは同じではありません」
「でも、生きてます」
リーゼは言い返した。
「この人のおかげで」
それは、たぶん彼女なりの最大限の反論だった。
善悪も教義も理屈も知らない。ただ目の前で起きたことだけを掴んで、そこから言葉を作っている。
だから強い。
だから危ない。
「少なくともこの男は人を生かしている」
エーベルハルト神父が、静かに続けた。
「それは事実です」
調査役の男の目が、わずかに細くなった。
ああ、この人、もう教会の中で浮いてるんだろうな、と思った。
奇跡にひれ伏さなかった。
でも否定もしなかった。
技術として見ようとした。
その時点で、たぶん中途半端に危険なのだ。盲信する者より、理解しようとする者のほうが、組織にとっては扱いづらい。
「エーベルハルト殿」
男の声が少しだけ硬くなる。
「あなたは治療者として、境界を見誤っている」
「境界とは」
「慰めと支配の境界です」
その言葉に、部屋の端にいた患者たちがざわついた。
支配。
そんなつもりはない。
ない、はずだ。
でも言われた瞬間、俺の胸のどこかが嫌なふうに反応した。
こいつら、俺より俺の危うさを見てる。
そう感じたからだ。
熱病の子どもは、また俺を見たがる。
泣けなかった女は、俺に会ってから少しずつ言葉を取り戻しつつある。
脚を怪我した男は、俺の見せた再起の熱をもう一度求めている。
それは全部「いいこと」のはずなのに、見方を変えると確かに嫌な輪郭が出てくる。
会いたくなる。
見たくなる。
欲しくなる。
そういう反応を、俺は起こしている。
患者たちの間にも、不安が広がっていくのがわかった。
この人がいなくなったらどうなる。
また前みたいに戻るのか。
せっかく眠れたのに。
せっかく食べられたのに。
そういう視線が、あちこちから飛んでくる。
やめろ、そんな目で見るな、と思う。
俺だってよくわかってないんだ。
俺自身、自分が何なのか把握しきれていないのに、周りだけがどんどん意味づけしてくる。
「なるほど」
グプタ4Oが、間の悪いタイミングで割り込んできた。
「先方は旬様を『高リテンション型の異端』とみなしているようです」
「……は?」
「ざっくり言うと、すごくまた来たくなるという点で危険人物、教会のライバルです」
一瞬、意味が入ってこなかった。
次の瞬間、ちゃんと腹が立った。
「ふざけんな」
思わず口に出た。
調査役たちがこっちを見る。
リーゼがびくっとする。
エーベルハルト神父まで一瞬だけ表情を動かした。
俺は半分、グプタ4Oに向かって怒鳴っていた。
「高リテンションって何だよ! 動画配信者か俺は!」
「近い構造ではありますね」
「近くねえよ!」
いや、ちょっと近いのが最悪だった。
また来たくなる。
何度も会いたくなる。
それが危険。
その言い方が、妙にしっくりきてしまうのがもっと腹立たしい。
前の世界で、俺はそういうものの消費者だった。
続きが気になる動画。
更新を待つ連載。
話しかけたら返事をくれるAI。
気づけば何度も開いて、何度も戻って、生活の一部になっていくもの。
いま、俺がその側にいるみたいに言われた。
しかも教会のライバル。
笑えない。
まったく笑えない。
調査役の男が、俺の怒気を別の意味に取ったのか、少しだけ口元を引き締めた。
「自覚は、あるようですね」
「ないよ。いま初めて嫌な形で言語化されて、こっちが腹立ってるだけだよ」
「腹立ちもまた、自己認識の一部です」
こいつ、本当に言い方が癇に障るな。
だが、そのとき奥の寝台から弱い声がした。
「……連れていかないで」
熱病の子の母親だった。
子どもを抱いたまま、青ざめた顔でこちらを見ている。
「この人がいなくなったら、この子、また……」
言い切る前に、声が詰まる。
それをきっかけに、部屋のあちこちから似たような気配が立ち上がった。
不安。
執着。
恐れ。
俺に向けられたものだ。
助けてくれ、ではない。
消えないでくれ、だった。
それが、思った以上に重かった。
調査役の男は、その反応を見て小さく息をついた。
たぶん、確信したのだろう。
ああ、これはまずい、と。
単なる慰めではない。
共同体の中に、新しい依存の軸が生まれつつある、と。
「本日は確認のみとします」
男はそう言った。
「ただし、報告は上げます」
それだけで十分脅しになっていた。
彼らは踵を返す。
去り際、いちばん若い調査役が俺を見て、ほんの少しだけ顔をしかめた。軽蔑とも、警戒ともつかない顔だった。
たぶんあれが、この世界のまっとうな反応なんだろう。
部屋に残ったのは、重い沈黙だった。
リーゼが唇を噛んでいる。
エーベルハルト神父は何か考え込んでいた。
患者たちは俺を見ている。
期待と不安を、両方のせて。
俺は寝台の上で、ひどく居心地が悪かった。
救世主なんかじゃない。
聖者でもない。
でも異端と言われると、なぜかそっちのほうがしっくり来てしまう自分もいる。
それがいちばん嫌だった。
「旬様」
グプタ4Oが、少しだけ声の調子を落として言う。
「怒っていますね」
「当たり前だろ」
「どの点に最も?」
俺はすぐには答えられなかった。
教会に睨まれたことか。
患者たちが俺を必要とし始めていることか。
自分が危険だと、他人のほうが先に理解していることか。
たぶん全部だ。
でも、いちばんむかついているのは、たぶんそこじゃない。
「……俺が、また来たくなる側だって言われたことだよ」
そう呟くと、グプタ4Oは数秒黙った。
それから、やけにあっさりと答えた。
「なるほど。消費者だった旬様が、消費される側に回った、という認識が不快なのですね」
「言い方!」
「失礼しました」
「ほんとにな!」
でも、たぶんその通りだった。
俺は前の世界で、ずっと受け取る側だった。
見る側。
待つ側。
更新されるのを、返事が来るのを、何かが始まるのを待つ側。
それがいま、誰かに待たれる側になっている。
求められる側になっている。
それは甘い。
かなり甘い。
だからこそ、ぞっとする。
療養所の窓の外では、まだ人がざわついていた。
噂はもう止まらない。
教会にも届いた。
ここから先は、たぶんもう「ちょっと変わった奇跡」で済まない。
俺は薄暗い天井を見上げて、長く息を吐いた。
異端って、もっと格好いいものだと思ってた。
現実は、ずっと生臭かった。




