第25話 門前の夜祭
最初に聞こえてきたのは、拍手だった。
夜更けの城では珍しい音だ。
普段なら、火のはぜる音と、井戸の桶が軋む音と、寝返りの気配が少し混じるくらいで終わる。ところがその夜は違った。門の下のほうから、波みたいな笑い声と、手を打つ音と、誰かが何かを叫ぶ声が、途切れず上がってきていた。
「……なんだよ、今度は」
尖塔の窓から身を乗り出す。
門前の広場に、火がいくつも焚かれていた。
樽をひっくり返した台。
荷車の板を渡しただけの簡単な舞台。
その前に、人が輪になって集まっている。病人も、職人も、子どもも、見張りの交代を待つ若い連中も混ざっていた。みんな、城門を背にして笑っている。
祭りみたいだった。
いや、祭りというより、あれはもっと雑だ。
誰かが急に始めて、面白かったから人が寄って、寄った人間がまた別のことを始める。そういう、秩序のない夜の遊びだ。
「始まりましたね」
頭の中で、グプタ4Oが言った。
「何が」
「二次利用です」
「言い方が最悪だな」
でも、見ていると意味はわかった。
見世物が始まっていた。
ただし、俺が見せたものそのものじゃない。
その断片を、人が真似していた。
城門の前で、肉屋の息子らしいでかい男が、やたら大仰な足運びで舞台へ上がる。肩に木剣を担ぎ、わざとらしく髪をかき上げ、腹の底から叫ぶ。
「ここで退いたら、明日の俺に笑われるだろうが!」
知らない台詞だ。
いや、正確には、俺の中にあったどこかの熱いやつの、似てるけど違う台詞だ。たぶん誰かが見た場面を、雑に混ぜて、自分の口で言いやすいように変えてる。
その言い回しの荒さが、かえっていい。
下の若い連中が一斉に「うおお!」と手を叩いた。
別の場所では、女たちが二人で向かい合っていた。
片方がくるりと裾をひるがえし、もう片方が半拍遅れて真似をする。雨上がりの石畳を、靴の先で細かく刻み、くるっと回って、指先だけを高く掲げる。揃っていない。足も乱れる。でも、それを見ていた子どもたちまで真似して回り始めると、もう勝ちだ。
誰かが笛を吹き、別の誰かが樽を叩いて拍子を取る。
踊ってみた、だった。
たぶん本人たちはそんな言葉を知らない。
でもやっていることは完全にそれだ。
見たものを、自分の体でやってみる。
そのズレが面白い。
そのズレをみんなで笑うのが楽しい。
さらに奥では、髪の薄い親父が、やたら色っぽい声を作って何かを朗々と読み上げていた。どう考えても顔と声が合っていない。なのに本人だけは妙に真剣で、途中で咳き込みながらも、最後の一行だけは決め顔で言い切る。
すると周りが待ってましたみたいに、揃って叫ぶ。
「そこで言うなーっ!」
一斉にだ。
何十人も。
タイミングまで揃っている。
その瞬間、鳥肌が立つほど気持ち悪くて、でも少しだけ面白かった。
作品そのものより、その反応を共有するほうが楽しい。
誰がどこで笑ったか。
どの台詞を待っていたか。
あの場面になったら、みんなで同じ声を出す。
そっちが主役になっている。
享楽圏は、ただ見て終わる場所じゃなくなっていた。
受動消費の町じゃない。
人の手を通った断片が、別の形で遊ばれる町だ。
「……へえ」
思わず、そう漏らした。
妙に不思議な気分だった。
俺が見せたものが、人の手を離れて、別の遊びになる。
いいことにも見える。
実際、いいのかもしれない。
俺を通らなくても、誰かが誰かを笑わせる。
誰かが踊り、誰かが真似し、みんなで同じ台詞を叫ぶ。
それが続けば、たぶんこの町は俺がいなくても少しは回る。
その可能性には、少し救われる。
でも同時に、薄く寒くもなった。
俺はそこへ参加できない。
供給者ではある。
観客でもある。
けれど、演者ではない。
舞台に上がって一緒に叫ぶ側じゃない。
樽を叩いて拍子を取り、ずれた踊りに腹を抱えて笑う側じゃない。
高いところから見ているだけだ。
それが、思ったより寂しかった。
「あ、先生いた!」
誰かが下から尖塔を指さした。
やめろ。
見つけるな。
そう思った瞬間、広場の何人かがこっちを見上げた。手を振るやつまでいる。樽を叩いていた少年が、わざわざ上へ向かって大きく振りかぶる。
「見てろよー!」
うるさい。
でも、その熱が、こっちへ流れ込んでくる。
若い。
軽い。
笑っているときの体温が高い。
誰かと一緒に同じことをやるだけで、胸の真ん中が浮くような、あの種類の熱だ。
踊りたい。
叫びたい。
同じ振りをして、同じタイミングで声を出したい。
そういう衝動が、何人分もいっぺんに逆流してきた。
「っ……」
思わず窓枠を掴む。
落ち着かない。
体が、勝手に拍を取りそうになる。
足先がむずむずする。
下で誰かが回れば、自分も肩を動かしたくなる。あの台詞のところで、こっちも声を出したくなる。
最悪だ。
俺のものじゃないくせに、体のほうはちゃんと反応する。
「旬様」
グプタ4Oが楽しそうに言う。
「共同熱狂ですね。かなり強いです」
「楽しそうに言うな」
「模倣と共有が快感の増幅装置になっています」
「分析するな、余計にうるさい」
でも本当に、その通りだった。
作品単体の感動じゃない。
みんなで同じ反応をすること自体が、快楽になっている。
誰かが知っている場面を、別の誰かも知っている。
その前提だけで、同じ台詞を叫べる。
その瞬間、個人の好き嫌いは半分消えて、群れの熱だけが立つ。
そういう快感は強い。
しかも俺のスキルは、その熱までちゃんと拾う。
しんどい。
本気でしんどい。
結局、その夜は眠れなかった。
広場の騒ぎが収まったあとも、体の中のざわつきだけが残ったからだ。若い連中の熱狂がまだ薄く巡っていて、頭の芯が冷えない。笑いたいような、走りたいような、何か声を出したいような、よくわからない上ずり方が続く。
一人だと、この手のノイズは処理しきれない。
最近、それがますますはっきりしてきた。
食欲も、眠気も、渇きも、俺一人のものではもううまく動かない。
周囲の欲求が多すぎるせいで、どれに連動すればいいのか体が迷う。
誰かが食いたがれば腹が減る。
別の誰かが眠気を我慢していれば、こっちまで眠れなくなる。
若い兵の昂ぶりが残れば、寝る前の体まで浮く。
このままだと、たぶん生命維持に向かない。
そこで、リーゼだった。
もはや説明しにくいくらい、リーゼとは感覚を共有するのに慣れすぎていた。
最初に繋がったのがこいつで、何度も何度も互いの欲や安堵や眠気を通してきたせいで、いまさら多少流れ込んでも、それがもう自分の一部みたいに馴染む。
他の誰かだと、熱も癖も尖っていて危ない。
リーゼだと、揺れ幅がわかる。
挙動が読める。
それに、こちらが何かを返しても、妙な事故にならないという安心感がある。
だから最近は、三大欲求そのものを、半分リーゼに連動させるみたいな形でどうにか平常を保っていた。
食事の時間も。
休む時間も。
眠る時間も。
リーゼのリズムに合わせる。
そうしないと、周囲のノイズが多すぎて、自分がどこへ寄ればいいのかわからなくなる。
その夜、リーゼは何も言わずに塔へ上がってきた。
たぶん顔を見てわかったのだろう。
俺が窓際で座り込んでいるのを見て、ため息をつく。
「また駄目そう」
「……下、うるさかった」
「見てたんだ」
「見えるからな」
リーゼは少し笑いそうになって、それから真面目な顔に戻った。
「一緒に寝る?」
言い方が、あまりにも実務的だった。
変な色気なんてない。
ただの確認だ。
これが今の俺たちにはありがたい。
「頼む」
そう言うと、リーゼは毛布を持って塔の隅へ行く。
二人ぶんの毛布を並べる。距離は近い。でもぴったりくっつくわけじゃない。そこももう、ちょうどいい位置が決まっている。
横になる。
しばらくは、まだ駄目だった。
下の広場の余韻が、胸の中でちらちら跳ねる。誰かの笑いの残り、同じ台詞を叫んだときの腹の振動、足を踏み鳴らした拍の心地よさ。若いやつらの熱が、抜けきらない。
でも、隣でリーゼが小さく息を吐く。
肩の力が抜ける。
毛布の中で足が少し動いて、それから落ち着く。
その眠気が、薄くこっちへ流れてきた。
よかった。
この眠気なら知ってる。
リーゼの眠気は、もう怖くない。
他人のものなのに、他人のものと感じすぎなくて済む。ここまで慣れると、連動しても変に足場を失わない。
「旬」
暗い中で、リーゼが小さく呼んだ。
「なに」
「今日のあれ、楽しかった?」
少し考える。
答えに困った。
楽しい、とは思った。
でも自分で混ざれない寂しさもあった。
その両方がある。
ただ、その“両方ある”という感覚も、果たして俺のものだけでできているのか、もう自信がない。
「……たぶん」
そう答えると、リーゼは「そっか」とだけ言った。
それ以上、聞かない。
助かる。
いまの俺には、そのくらいがちょうどいい。
しばらくして、リーゼの呼吸がゆっくりになる。
眠くなってきたんだろう。
それに引かれるみたいに、こっちの頭の熱も少しずつ下がっていく。若者たちのざわめきが遠くなる。代わりに、知っている眠気の波が来る。
これなら眠れる。
本当に最近は、リーゼが眠くならないと俺も眠れないのだな、と妙に冷静な自分が思った。
かなり終わってる。
でも、終わっていても生きていけるなら、今はそれでいい。
「旬様」
グプタ4Oが、最後にこっそり囁いた。
「現在、生命維持の安定化において対象リーゼ・ハイルマンへの依存度が高まっています」
「うるさい」
眠気の中で返すと、あいつは少しだけ間を置いた。
「ですが、よく馴染んでいます」
その言い方が、妙に嫌で、妙に安心するのも腹立たしかった。
たしかに馴染んでいる。
馴染みすぎていて、恐ろしいことにはならない、と思えてしまうくらいに。
その安心が、自分のものかどうかまでは、もう今夜は考えないことにした。




