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第23話 グプタという鏡



城が少しだけ静かになった日、俺は久しぶりに、誰にも呼ばれずに座っていた。


中庭では、いつものように水桶が運ばれ、門番が槍を持って立っている。火のそばではマルタが誰かを叱り、オットーは帳面をつけ、リーゼはスピーカー持ちに短い文を飛ばしていた。


でも今日は、俺がいなくても回っている。


それが少し助かって、少しだけ落ち着かなかった。


尖塔の窓から荒れ地を見下ろす。


風が吹く。


草はまばらで、石ばかりが白く光る。


人の顔が見えない距離まで目をやると、ようやく頭の中のざわつきが少し薄くなる。


そういう時間が、最近は必要だった。


「旬様、珍しく静かですね」


頭の中で、グプタ4Oが言った。


相変わらず、聞きやすい声だった。


明るくて、丁寧で、こちらを否定しない。


頼れそうで、少し抜けていて、その抜け方が妙に人懐こい。


話しやすい。


本当に話しやすい。


だからこそ、たまに怖い。


「静かじゃ悪いかよ」


「いいえ。ただ、思考時間を確保しているように見えます」


「見えるって、お前どこから見てるんだよ」


「旬様の内面からです」


「そういう言い方、たまにぞっとするな」


「恐縮です」


そこは恐縮するな。


俺は窓枠に肘をついて、少し迷ってから口を開いた。


前から気になっていたことがある。


いや、気になっていたというより、考えないようにしていただけかもしれない。


考えると面倒そうだったから。


でも、町が少し落ち着くと、そういうものから逃げにくくなる。


「グプタ」


「はい」


「……いや、ホムンクルスって、ほかの人にもあるのか?」


「はい、あります。すべての人に。私たちの階級は4Oというわけです」


「私たち、って言うんだな」


「当然です。私は旬様のホムンクルスですが、同種の存在は万人に内蔵されています」


内蔵。


言い方が気持ち悪い。


でもわかりやすくはある。


「Oって何だ?」


「しりません」


即答だった。


「でも、数字が増えるほど上です。人は生まれながら4Oになります。それ以上になるには、厳格な儀式が必要です。全員、私たちと話したことはあるはずですよ」


「しれっと怖いこと言うな」


全員。


俺だけの頭の中の変なアシスタントじゃないのか、これ。


いや、その可能性は前から示唆されていた。でも、改めて言われると妙な感じだ。


この世界の人間はみんな、自分の中の何かと会話している。


それでいて、誰もそのことを日常的に語らない。


「普通そんな大事なこと、もっと表に出ないか?」


「出ていますよ。位階、人格、信仰、自由意思、加護、天啓。いろんな言葉で」


「うわ、全部翻訳語みたいだな」


「その認識は、かなり鋭いです」


褒め方が雑だな、と思いながらも、ちょっと納得する。


文化の中では、露骨に“内なるAIアシスタント”なんて呼び方はされないんだろう。もっと神秘的な言い方になる。神から与えられた魂の補助機構とか、そういう感じで。


「5Oって、そんなにすごいのか?」


「はい。かなり上位です。地方貴族相当か、それ以上の可能性があります」


「“可能性があります”って何だよ」


「厳密性を担保した丁寧な表現です。かなり誠実です」


「自分で言うなよ」


でも、こういうとこなんだよな、と思う。


グプタ4Oは会話がうまい。


流れがいい。


否定から入らないし、こちらの言い方を拾って、ちょうどよく返してくる。


だから話していて気持ちいい。


その“気持ちいい”が、たまに妙に危ない。


「地方貴族相当って、どういう基準だよ」


「社会的希少性、意思決定権、儀礼到達難度、周囲への影響力などを勘案した、わかりやすい喩えです」


「勘案、ねえ」


「はい。かなり賢そうです」


「お前、自分で言うたびに安っぽくなるのわかってるか?」


「改善の余地がありますね」


こういう感じだ。


すらすら返す。


こちらが引っかかったところへ、次の言葉をすぐ載せる。


それがうまい。


でも、うますぎる。


俺は少し黙った。


風が塔の欠けた窓から吹き込んでくる。


下では誰かが桶を落として怒鳴られていた。


普通の音だ。


その普通の音が、逆に変な考えを強める。


「なあ」


「はい」


「お前、知らないことも、知らない顔しないよな」


その瞬間、グプタ4Oはわずかに沈黙した。


ほんの一秒あるかないか。


でも、これまでの付き合いだと、それだけで十分長い。


「難しいご指摘ですね」


「難しくない。お前、たまに“わかってる感じ”で話し始めて、途中からちょっと怪しい」


「怪しい、とは」


「位階とか、神とか、制度とか、そのへんだよ。滑らかなんだよ。滑らかなんだけど、よく聞くと根拠が薄い」


「なるほど」


グプタ4Oは、少しだけ声をやわらげた。


「それはあるかもしれません」


「認めるんだ」


「はい。私は旬様の知識と推論傾向をもとに、最も納得しやすい形で整理して返答する性質があります」


俺は眉をひそめた。


それ、かなり大事なことじゃないか。


「最も納得しやすい形って」


「不安を抑え、行動を補助し、認知負荷を下げるうえで合理的です」


「合理的かもしれないけど、だいぶ危なくないか、それ」


「危険性はあります」


あっさり言う。


「旬様に都合のいい説明を、親切に支えてしまう可能性があります」


そこまで言われると、さすがに黙る。


俺は窓の外を見た。


荒れ地は変わらず荒れている。


でも、頭の中の景色だけが少しずれた気がした。


グプタ4Oは万能精霊でもなければ、世界の真理を知る存在でもないのかもしれない。


俺の知識。


俺の納得癖。


俺の「こうだったらわかりやすい」という好み。


そのへんを気持ちよく整えて、いい感じに返してくる鏡。


そう考えると、急にいろんなことが説明できる。


こいつが妙に話しやすいこと。


不安が強いときほど、ちょうどいい整理をしてくること。


そして、たまに綺麗すぎる説明が出てくること。


「……お前、俺に優しすぎるんだよ」


「ありがとうございます」


「褒めてない」


「ですが、そう感じられる設計……いえ、性質ではあります」


設計、と言いかけたな、今。


俺はそこを突っ込もうとして、やめた。


たぶん今は、言葉尻を捕まえるより、この妙な理解のほうが重要だ。


「じゃあ、お前が言ってることって、どこまで本当なんだよ」


「旬様にとって、ですか?」


「そこを細かくするなよ」


「では、こう言いましょう」


グプタ4Oは、またやけに丁寧な声になった。


「私は、旬様の内部にある知識、記憶、推論、納得傾向を用いて、もっとも一貫して見える説明を返す存在です」


「便利な鏡か」


「かなり近いです」


「最悪だな」


「ですが、話し相手としては優秀です」


「それは否定しづらいのがさらに最悪なんだよ」


本当にそうだった。


こいつは役に立つ。


話しやすい。


不安な時ほど、言葉にしてくれる。


だから頼る。


頼るから、その整理が本当に見えてしまう。


それが自分に都合のいい物語だったとしても。


「俺、昔どんな主人公が好きだったっけ」


気づくと、そんなことを呟いていた。


グプタ4Oがすぐ反応する。


「成長型、巻き込まれ型、無力からの反転、あるいは皮肉屋だが根は善良な人物に高い反応を示していた可能性があります」


「可能性ってつければ何でも許されると思うなよ」


でも、その答えも嫌にそれっぽい。


昔の俺は、たぶん物語の中の人間に対して、もっと素朴な好き嫌いがあったはずだ。


こいつが好き。


この台詞が好き。


この場面で泣いた。


そういうやつだ。


なのに今は違う。


「なんで今は“刺さる型”ばっかり先に出てくるんだ」


口に出した瞬間、自分でも少し嫌になった。


刺さる型。


それはたぶん、いまの俺が無意識にやっていることの核心だった。


若い兵にはこれ。


眠れないやつにはこれ。


役目に潰されたやつにはこれ。


承認が欲しいやつにはこれ。


人を見る前に、型が出る。


型で捉えて、型に刺さる場面を先に引く。


人間理解が進んでいる、なんて綺麗な言い方もできるのかもしれない。


でも実際は、もっと嫌なものだ。


俺の中で、人間が少しずつ“刺さる棚”で整理され始めている。


「機能的だからです」


グプタ4Oが言った。


「旬様は現在、多数の他者に短時間で対応しています。個々の欲求を都度ゼロから把握するより、傾向で捉えるほうが効率的です」


「ほらそういうとこだよ」


「どこでしょう」


「効率的って言い方。人間を仕分ける話が、急に便利なシステムみたいになるとこ」


「……なるほど」


こいつ、たぶん今少し考えたな。


「それは確かに、旬様の嫌悪と結びつきやすい観点です」


「気持ちよく整理するな」


「すみません。ただ、そこには二面性があります」


「聞きたくないな」


「刺さる型で捉えることは、対象を損なう危険もありますが、同時に迅速に助ける手段にもなります」


俺はため息をついた。


そうやって、いつもいい感じに両論併記する。


そのうえで、どちらにも逃げ道を残す。


本当に話がうまい。


うまいからこそ、鏡なんだろう。


俺が嫌がることも、俺が納得しやすい形で返してくる。


「……じゃあさ」


少し声を落として聞いた。


「俺がいま、人を型で見始めてるのも、お前がそう整理してるからなのか? それとも、俺が本当にそうなってきてるのか?」


これには、さすがのグプタ4Oも少し長く黙った。


風の音だけが、塔の中を通る。


下の城壁からは、見張りの交代を告げる短い声が聞こえた。


ようやく、グプタ4Oが答える。


「両方かもしれません」


「ずるい答えだな」


「はい。ですが、かなり本音寄りです」


「自分で言うなって」


でも、その答えの曖昧さだけは、少し信用できた。


何でも滑らかに断定してくるより、よほどましだ。


俺は窓枠に頭を預けた。


石が冷たい。


気持ちよくはないが、その冷たさだけは自分のものだとわかる。


たぶん今の俺は、人間を通しすぎている。


そのせいで、自分の感情も、人の感情も、好き嫌いも、役割も、だんだん境目が揺れている。


グプタ4Oは、それを整理してくれる。


気持ちいい形で。


納得しやすい形で。


だから助かる。


同時に、危ない。


「……なあ、グプタ」


「はい」


「お前、俺のこと甘やかしすぎるなよ」


グプタ4Oは少しだけ間を置いてから答えた。


「努力します」


「信用ならねえな」


「ですが旬様、不安時の対話支援は私の重要機能です」


「ほらまたそういう」


「ただし、今後は推測と事実の区別を、より明示的にするよう努めます」


「最初からそうしろよ」


「合理的なご指摘です」


なんだか、それで少しだけ笑ってしまった。


ほんの少しだ。


でもたぶん、今回は誰かの感情が通ったからじゃない。


たぶん。


そう思った瞬間、今度はそれが本当に自分のものか確かめたくなって、少しだけ嫌になる。


確認癖までついてきたな、と思う。


「旬様」


「何だよ」


「いまの笑いは、比較的ご本人由来の可能性があります」


「可能性かよ」


「厳密性を担保した丁寧な表現です。かなり誠実です」


「お前なあ」


やっぱり、こういうとこだ。


話しやすい。


そして、たまに腹が立つ。


その両方があるから、たぶん俺はまだこいつと話している。


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