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第16話 廃城



廃教会を出て半日ほど進んだあたりで、コンラートがとうとう足を止めた。


「このまま道沿いを流れるのはまずい」


振り返った顔は、疲れているくせに妙に冴えていた。元兵士の顔だ。寝不足でも空腹でも、危ない時だけ頭がはっきりする人間の顔。


「まずいってのは、追っ手が来るから?」


俺が聞くと、コンラートは頷いた。


「それもある。あと、守れない」


「守る?」


「病人、老人、子ども、荷車。数が増えた。足の速い連中だけなら散って逃げればいいが、今はもうそうじゃない」


言われて、黙る。


たしかにそうだった。


最初は逃げるだけだった。


でも、途中で人が増えた。病人が乗り、歩けない者がしがみつき、荷が増え、水桶が増え、毛布が増え、記録係までついてきた。いつのまにかただの逃亡じゃなく、遅い行列になっている。


遅い行列は、狩られやすい。


「壁がいる」


コンラートは短く言った。


「門もな。高いところがあればなおいい」


「要塞でも探すのかよ」


「近いものならある」


そう言って、彼は道を外れた。


丘をひとつ越え、乾いた谷を抜け、さらに風に削られた土地を進む。そこから先は、景色が急に悪くなった。草はまばらで、土は白っぽく乾き、石だけがごろごろ転がっている。風が吹くたび、砂とも灰ともつかない細かいものが足元を流れていった。


生き物が少ない土地だ、と思った。


畑にならない。


家も建ちにくい。


人が寄りつかない理由が、地面を見るだけでわかる。


その荒れた土地の中央に、それは立っていた。


黒い城だった。


いや、正確には黒ずんだ廃城だ。


ぽつんと孤立している。城壁はところどころ崩れ、塔の先は半ば欠け、窓の穴は暗く開いている。それでも形は残っていた。門があり、壁があり、尖塔があり、誰が見ても「城」だとわかる輪郭が、まだ生きている。


「……うわ」


ルカが素直に声を漏らした。


それはそうだ。


周囲に何もない荒地の真ん中に、ひとつだけ黒い塊が立っているのだ。絵面が強すぎる。悪い夢の背景みたいだった。


近づくにつれて、その嫌な迫力は増した。


門の上に、半ば壊れたレリーフが残っていた。


教会の聖印じゃない。


翼のある何かだ。ただし、その翼は片方が欠け、顔も風化して表情がよくわからない。人のようにも鳥のようにも見える古い神の像だった。石に刻まれたその姿だけが、教会の時代よりもっと前のものだとわかる。


「古い神さ」


鐘守の老婆が、門を見上げて言った。


「教会の前に信じられてたやつだよ」


「どんな神なんだ」


俺が聞くと、老婆は乾いた声で続けた。


「冥界に人を連れ去って、新しい命に力を吹き込むって話だった。産まれる側にも、死ぬ側にも関わる神だとね」


「へえ」


あまり縁起のいい感じはしない。


だが、老婆の話はそこで終わらなかった。


「代わりに、胞衣を捧げなきゃならない」


「胞衣?」


「赤子を包んで出る、あの血の膜だよ。あれを捧げないと、胞衣が人にまとわりつく」


言い方が、もう嫌だ。


「まとわりつくと?」


「大切な誰かが、あちこちから吹き出物を出して、肉塊に変わる」


ルカが「うげ」と顔をしかめた。


リーゼもわずかに眉をひそめる。


俺は門の上の欠けた翼を見ながら、別のことを考えていた。


胞衣。


吹き出物。


肉塊。


それ、単なる邪教の呪いっていうより――


「……癌じゃないか?」


思わず口に出すと、グプタ4Oがすぐ反応した。


「現代医療的比喩としては、かなり近い可能性がありますね」


「だよな」


「異常増殖、転移、肉塊化。神話的説明としては非常にそれっぽいです」


「やめろ、急に解像度上げるな」


昔の人間が見た、理由のわからない病変。


それを神話で説明したら、まあそうなるのかもしれない。


死と生の境目を司る神。


捧げものを怠ると、肉が勝手に増えて人を壊す。


迷信といえば迷信だが、元にある現象はやけに生々しい。


「つまり邪教の城ってこと?」


リーゼが小声で言う。


「教会から見ればね」


鐘守の老婆は肩をすくめた。


「昔の信仰なんて、だいたい後から邪教にされるもんだよ」


それは、ちょっとわかる気がした。


今の俺たちだって、教会の側から見れば十分邪教寄りだろう。


門をくぐると、内側は思ったより広かった。


草はほとんどなく、石畳も半分ほど崩れている。井戸らしきものがひとつ。馬屋だったらしい建物もある。主塔へ続く階段は残っていて、上から周囲を見渡せそうだった。


コンラートの目つきが変わる。


ああ、これは「使える場所」を見つけた顔だ。


「門は狭い」


彼はすぐに言った。


「二人並んでやっとだ。崩れた壁も逆にいい。登る足場が限られる。塔から見れば接近もわかる。守るなら悪くない」


「悪くないで済むか? かなりそれっぽいぞ、ここ」


俺が言うと、コンラートは真顔で返した。


「それっぽいのは利点だ。追う側も嫌がる」


ものは言いようだな。


でも、たしかに旬なりの利点もあった。


人が散らばる。


壁があるぶん、視線が減る。


門と中庭と塔で、何となく居場所が分かれる。馬小屋や廃教会みたいに、全員がひとつの空間へ押し込まれない。


そのことに、俺は少しほっとした。


正直、最近は人が多すぎる。


目が合うたびに何かが流れそうになるし、誰かが安心すればこっちも少し楽になるし、そのせいでまた周りが寄ってくる。あの循環は、たまに息苦しい。


ここなら少しは離れられる。


一人になれるとは言わないが、少なくとも人混みから半歩くらいは引ける。


俺にとっては、それだけで十分ありがたい。


「ここなら、休めるかもな……」


ぽろっと本音が出た。


それを聞いていたリーゼが、疲れた声で笑う。


「ほんとに、昔話の魔王の城みたい」


「やめろって」


反射で返した。


「俺はそんなものにはなりたくない」


リーゼは「冗談だよ」と言ったが、その言い方が少しだけ本気に近く聞こえたのが嫌だった。


周りを見れば、たしかにそう見える。


荒野の真ん中。


黒い廃城。


古い異端の神。


教会に追われた連中がそこへ流れ着いて、門を閉める。


絵面だけなら、だいぶ終わっている。


グレーテはもう井戸の深さを確かめていた。


マルタは崩れていない部屋を見て回り、オットーはなぜか門上のレリーフまで記録しようとしている。ルカは塔へ登りたがり、コンラートは防衛線のことしか考えていない顔をしていた。


誰もかれも、ここを「休む場所」以上のものとして見始めている。


壁があり、門があり、高い塔がある。


それだけで、人は拠点だと思ってしまう。


拠点だと思った瞬間に、そこへ役割や意味を載せ始める。


本当にろくでもない習性だ。


「旬様」


グプタ4Oが、妙に楽しそうに言った。


「立地、防御性能、象徴性を総合評価すると、かなり優秀な拠点です」


「聞いてない」


「なお、外観は少し魔王城っぽいです」


「言うな」


「事実です」


「だから言うなって」


でも否定しきれないのが最悪だった。


夕方の光の中で見上げる塔は、たしかに妙にそれっぽかった。黒く、尖っていて、荒地の真ん中で孤立している。門上の欠けた翼まで、変な伝説の箔を足している。


俺は門の影に立って、長く息を吐いた。


ただ休めればいい。


人混みから少し離れられれば、それでいい。


本気でそう思っている。


思っているのに、周りはもう別のものを見始めている。


城。


壁。


塔。


拠点。


そして、そこに集まる人間。


嫌な予感しかしなかった。


けれど、その嫌な予感ごと、城はあまりにも都合よくそこに立っていた。


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