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黎明と踊る  作者: 野良丸
飾章
15/23

4


 その時は、何かが変わった気がしていた。何かが変わるのだろうと思っていた。でも、彼と姫様の関係は変わらず、傷付け、傷つけられながら、暑い季節を過ごした。

 あの夜の熱は、未だに私の中で燻っている。ときおり燃え上がりそうになるそれを抑えることにも大分慣れてきていた。

 給仕達がテーブルの上に昼食を並べていく。椅子に座っているのは、姫様、王子、王太子妃、王の四人。それぞれ専属の給仕が斜め後ろに付いているが、食事が始まれば部屋を出ていくことになる。

 このような場に姫様が呼ばれるのは、この一年で数えられる程度にしかない。前に同じようなことがあったのは、涼しくなってきた頃、二ヶ月前くらいだったと思う。王妃様は、手首を噛み千切られて以来、姫様を見ると精神的に不安定になるため、仕方ないことでもあった。もっとも、それまでも、一緒に食事することなどなかったけれど。

 たまには一緒に食事を。そんな言葉。口実。多分、王は、姫様の出来上がり具合を確かめたいんだと思う。姫様のお歳が十六になった時、隣国の王子へ献上できるかどうか。

 食事が揃った。王の目配せで、私達は一礼の後に部屋を出る。

 廊下で待機しているのが常。他の三人は、足を止めた。

「アルフィン、どこへ行く」

 父の声に足を止めて振り返る。目は合わせずに一礼。

「姫様から言い付かったことがありますので」

「あの男を探しに行くのか」

「あの男というのがフラット様を指すならその通りです」

「他の給仕に行かせればいい。お前は姫様のお付きだ。ここにいなさい」

 目線を上げて、父の顔を見る。久しぶりに会ったような気がした。わざとらしいくらい厳しい表情。答えずにいると、険しい表情に変わった。

「姫様が彼と親しくするのは、致し方ないことだ。だがだからこそ、お前は一歩退いたところにいるべきだ」

「そのようにしているつもりですが」

「出来ていないから言っている。私からだと、お前が一歩退いているのではなく、彼が一歩退いているように見える」

「そこまで私達のことを気にかけてくださっているとは存じ上げませんでした」

 頭を下げてから、早足に立ち去る。呼び声が聞こえたけれど、今度は足を止めなかった。

 この時間なら、食堂か射撃場にいるだろう。先程、姫様と共に廊下を歩いている時、訓練を終えて食事に向かう兵達が見えたから、きっと射撃場だ。

 地下への階段を降りていく。銃声が聞こえた。間をおかず、更に数発。

 彼の姿はすぐに見つかった。この場にいるのは彼一人だったから。近距離射撃の訓練をしているらしい。ネット越しに後ろに付くと、ここからでも的に空いた穴が目視できた。人の上半身を模した的。胸に二発、頭に二発、もう二発は狙いをはずしたのか、それとも狙ったのか、両肩に一発ずつ。

「お見事です」

 彼は私のことに気付いていたのか、振り返って笑って見せた。気付いてなかったとしても、彼が驚くとは思わないけれど。

「動いてないんだ。当たって当然だよ」

「そうなんですか?」

「君だって、少し練習すれば出来る」

 そうは言っても、本当にそうならば、こうしてわざわざ訓練場を作る必要もない気がする。

「動く的を増設してほしいって隊長には言ってるんだけどね」

「そんなものがあるんですか?」

「さぁ。僕にも分からない」

 銃の手入れをしながら話をしていたけれど、終わったらしい。最後に銃身を布巾で軽く拭いてベルトに差すと、ネットをくぐって出てきた。

 こうして並ぶと、出会った頃よりも身長の差が大きくなったことがよく分かる。私が成長していないというのもあるけれど、彼も大分大きくなった気がする。

「僕に何か用?」

 射撃場の入り口へ歩きながら話す。

「姫様が午後からお会いしたいと仰っています。昼からは特にご予定もないので」

「分かった。昼御飯を食べたら行くよ」

「それともう一つ、これは姫様からではなく私からの質問なのですが」

 彼は振り返った。

「近頃、貴方が、その、風俗街に通っているという噂が流れています」

「そうなんだ」

 再び歩き出して、階段を上っていく。

「否定しないんですね」

「本当のことだからね」

「では、夜に姫様とお会いになる前に城を出ているのは」

「うん。そういうこと。年齢的に問題はないはずだよ」

「そういうことではないんです」

「じゃあ、どういうこと?」

「姫様という方がいらっしゃるのに、そのようなところに行っていることが、私は理解できません」

「姫様は僕の恋人でもなければ婚約者でもないよ」

「しかし、罪悪感はないのですか。他の誰かに触れた手で、姫様を抱き締めることに。一年も一緒にいれば分かります。貴方は、間違いなく姫様を愛している」

 彼は足を止め、わずかに振り向いて笑みを見せた。その表情からは、弱さと嘲りを感じた。

「それなら、僕の行動の理由が分かるんじゃ?」

 少し考えた。彼がそのような場所にいく理由。やはり分からずに首を振ると、彼はまた笑った。

「君は、本当にいい人だね」

「どういう意味ですか?」

「そのままの意味だよ」

 会話の主導権は、完全に彼が握っていた。でも、どうしてだろう。私よりも、彼の方が苛立っているように見えた。表情は、怖いくらいいつもと同じなのに。

「姫様は、少しずつ、快復に向かってる。昔は人の優しさを怖がっていたけど、少しずつ、心で理解出来るようになってきた。昔はいくら優しく接しても返事一つなかったのに、今じゃあちゃんと笑ってくれる。二年かけて、ようやく、同じ心を持つことができたんだ。それは、昼も夜も変わらない。笑えば笑ってくれる。抱き締めれば抱き締めてくれる。顔や背中に爪をたてられたり、えぐれるほどに噛まれることもない。たまにある発作的なものを除けば、彼女はもう正常だ。警戒心が萎んでいって、代わりに欲が膨れ上がった。それは、君が言うみたいに愛故なのか、ただ単に本能なのかは分からない。だけど、きっと僕は、いつか、彼女と一線を越えてしまう」

「だから、その欲を別のところで満たそうと? でも――こんなことを言うのは気が引けますが、貴方と姫様が一線を越えたとして、お二人ともが黙っていれば、誰にもバレることは――」

「万が一、バレたらどうなる? 処刑、最低でも、この城を追放される。僕はまだ、彼女と一緒にいたい」

「今のままでもですか」

 彼は頷いた。諦めたように笑いながら。

 愛しても愛されることはなく、愛されるようになれば愛することができなくなる。近いようで遠い。でも、付かず離れず。そんなダンスを踊り続けるのだろうか。曲が止む、その時まで。彼はそのつもりだろう。でも、姫様は。

「いつか別れの時が来るまで、そんな生活を続けるんですか」

「うん」

「そんなのは、悲しすぎます」

 そう言った瞬間だった。肩を掴まれて、壁に押し付けられた。背中に痛み。口から漏れそうになった声は、大きな手によって出口を失った。

「もう喋るな」

 彼の口から出たとは思えない、低い声。

「それ以上、綺麗なだけの言葉を吐かないでくれ」

 震えた声からは、確かに怒りを感じた。でも、間近にある顔は、悲しんでいるようにしか見えなかった。まるで、怒りの表情を忘れてしまったみたいに。

 口が自由になり、彼の顔が離れていった。そのまま一歩後退り、また階段を上がっていく。

 胸に手を当てる。激しく脈をうっていた。

「待ってください」

 足音が止まる。振り向きはしなかった。

「私に、何か出来ることはありませんか?」

 数秒。振り向く。

「それなら、君が僕の相手をしてよ」

 優しい顔。嘲笑うような声。

 でも、そのどちらも、私には向けられていないような気がした。

 胸に熱。

 燻る。

 煙が目に染みた。



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