第5話 『 新たな誓い 』
「……何が、どうなっている」
どれほどの時が過ぎたのか、自分でも分からなかった。
波音だけが、変わらず耳に残っている。
武尊は浜辺に一人、立ち尽くしていた。視線の先には、先ほどまで命のやり取りがあった場所が広がっている。倒れた者たち。血に濡れた砂。引いては寄せる波が、そのすべてをゆっくりと飲み込もうとしていた。
現実感がなかった。
だが——いつまでもそこに立ち尽くしているわけにはいかなかった。
武尊は、重くなった足を引きずるように動かし、城の方へと向かい始めた。
浜を離れ、城下町へと続く道へ入る。
そこは、先ほどの惨状が嘘のように静まり返っていた。
人の気配がない。
逃げたのか。隠れたのか。それとも——
考えを途中で断ち切る。見渡す限り、ここには亡骸はない。だが、それが安心を意味するわけでもなかった。
ただ、不気味なほどの静寂が、そこにあった。
「武士の方ですか?」
不意に声がかかる。
顔を上げると、道の先に一人の青年が立っていた。
刀の鞘を握りしめているが、その手はわずかに震えている。年の頃は武尊よりも若く、まだ元服したばかりと見える。
「城から知らせがありまして、戦える者を呼んでいると……」
青年はそう言いながら、落ち着きなく周囲を見回した。その目が、やがて武尊へと戻る。
血に濡れた短刀、傷だらけの体。
すべてを見て、言葉を失った。
「……あ、あなたは、一度戦ったのですね」
静かに、だが確かめるように言う。
武尊は、しばらく沈黙した後、ゆっくりと頷いた。
「これから、真の鬼がここへやってくるそうです!」
青年の声が、一気に強まる。
武尊の眉がわずかに動く。
「何……? 真の鬼……だと?」
かすれた声で問い返す。
青年は待っていましたと言わんばかりに、身を乗り出した。
「はい! 城に現れた鬼たちは——我々に戦えと言ったのです! 本当の敵は別にいると!」
「では、さっきのは……」
武尊の問いに、青年は言葉を重ねる。
「味方かもしれません!定かではありませんが、敵ではないと—— 」
そこまで言いかけて、青年はふと口をつぐんだ。
そして、まっすぐに武尊を見つめる。
「お命を繋がれましたこと……本当に良かったです」
その言葉には、飾り気がなかった。ただ、まっすぐな実感だけが込められていた。
武尊は、その視線を受け止めたまま、何も言えなかった。
「他の場所も探してきます!」
青年は一礼し、踵を返す。
そしてそのまま、城下の奥へと駆けていった。
小さな背中が、遠ざかっていく。
武尊はしばらく、その姿を見つめていた。
やがて——胸の奥に、かすかな熱が灯る。
消えかけていた火種。それが、ほんのわずかに息を吹き返した。
武尊は自分の短刀に手をやった。
柄に付いた血は、まだ乾いていない。
それをしっかりと握りしめ顔を上げた。
視線の先には、夕焼けに染まる吉備津城。桃色に滲んだ空が、その輪郭をぼんやりと浮かび上がらせている。
武尊はその城を見据えて一歩、踏み出した。
その頃、天守では。
桃藤が、静かに鬼たちと向き合っていた。
「桃太郎は……我々に大きな代償を残したな」
赤鬼の言葉が、重く部屋に落ちる。
桃藤は、ゆっくりと目を閉じ、そして開いた。
「……ならば、その代償を果たす時が来たようだ」
その声に、もはや迷いはなかった。
語られた事実はあまりにも浮世離れしている。だがそれを否定するには、現実が揃いすぎていた。
鬼。
合いの子。そして、自らの血。
“我々は合いの子族だ”
赤鬼の言葉が、胸の奥で反響する。
桃藤は立ち上がり、ゆっくりと歩みを進めた。
部屋の片隅——そこに置かれた、ミイラ化した鬼の手首。
干からび、異様な気配を放つそれに、静かに手を伸ばす。
そして——
強く、握りしめた。
その瞬間、遠い過去と現在が、確かに繋がった気がした。
桃藤は顔を上げる。
天守の窓の外。そこには、倒れた者、立ち尽くす者、まだ状況を理解できぬ者たちの姿があった。
それでもここで止まるわけにはいかない。
「城門を開けろ!」
天守に響き渡る声。
その一声で、空気が変わる。
兵たちが動き出し、やがて重い音を立てて、城門がゆっくりと開かれていく。
その先には——
すでに辿り着いていた、合いの子族の者たち。
人とも鬼ともつかぬ姿の彼らが、静かにこちらを見ている。
桃藤は、一歩前へ出た。
「お前たち……いや、遠い血縁の者たちよ」
声はよく通り、揺るがなかった。
「私はこの国を守る大名、桃藤政健だ」
一瞬の静寂。
そして——
「お前たちの言葉を信じる!迫り来る真の鬼を退けるため——共に戦おう!」
夕焼けが、すべてを桃色に染めていた。
桃藤は、その空を見上げ、静かに頷いた。




