第26話 『灰の城』
朝焼けが、焼け落ちた吉備津城を赤く染めていた。
崩れた櫓の柱が黒く折れ、焼けた瓦がそこかしこに散らばり、風が吹くたびに灰が舞う。焦げた木の匂いに混じって、血と肉の焼ける臭いが鼻を刺した。
丘からその光景を見下ろした隼人は、喉の奥が締め付けられるような思いに襲われていた。
「そんな……」
足元から力が抜けそうになる。だが、立ち止まっている暇はなかった。 松山が兵に指示を飛ばす声も、後ろで大和兵たちがざわめく気配も、今の隼人には遠い。
隼人は駆け出した。 灰を蹴り、瓦礫を飛び越え、崩れた石垣の脇をすり抜ける。
「桃藤様……! 武尊殿……!」
返事はない。 聞こえるのは、遠くで誰かが負傷者を呼ぶ声と、まだ燃え残る梁がぱちりと弾ける音ばかりだった。
門前には倒れた兵の亡骸が幾つも横たえられていた。
その顔に見覚えのある者もある。名も知らぬ者もある。
隼人は息を詰まらせながら、その合間を縫って進んだ。
「誰か! 生きている者は……!」
やがて、焼け残った一角で合いの子族の戦士たちが瓦礫をどけているのが見えた。その脇には、布をかけられた大きな亡骸が並んでいる。焦げたような青みがかった腕が布の下から覗いていた。
「こ、この骸は、もしや……」
思わず漏れた声に、近くにいた合いの子族の一人が隼人を見た。しかし何も言わず、黙って視線を伏せるだけだった。
その沈黙で、隼人は悟ってしまった。
「う……、嘘だ」
足が止まる。胸が苦しくなる。だが、それでも探さねばならなかった。
桃藤様は…、武尊殿は……。
鬼はどうなったのか。勝ったのか、負けたのか。
まだ何一つ分からぬまま、この焼け跡だけが目の前に広がっている。
隼人は唇を噛み、さらに城跡の奥へ進んだ。
大手門の近くまで来た時、ようやく人の声がはっきりと耳に入ってきた。
「水を持て!」「こっちはまだ息がある!」「急げ、金槍医を呼べ!」
焼け跡の中では、生き残った兵や合いの子族たちが、負傷者を運び出していた。
その中央に、一人の男の姿があった。
額に布を巻き、血と煤で汚れた顔。傷だらけの甲冑。それでもなお、立っているその姿を見た瞬間、隼人の胸の奥から熱いものが込み上げた。
「……武尊殿!」
振り向いた武尊の目もまた、疲労に沈みきっていた。だが、隼人の顔を認めると、その険しい表情がわずかに緩む。
「は、隼人か……?」
隼人は駆け寄った。声にしたい事は山ほどあった。
無事だったのか、仲間達は?あの時いたキビや合いの子族の戦士達は?
鬼は……。
けれど、どの言葉も喉につかえてうまく出てこない。
武尊は隼人の傷だらけの顔、ボロボロの格好をみて両肩に手をかけた。
「隼人、よくやってくれた」
その一言で、隼人の張り詰めていたものが切れそうになった。大和へ走り、疑われ、捕らえられ、それでも鬼の存在を伝えた。その全てが無駄ではなかったのだと、ようやく思えた。
だが、武尊の目には安堵だけではない、深く重い影が差していた。
「桃藤様はご無事なのですか……」
「生きてはおられる。だが重い傷だ」
その返答に、隼人は息を呑んだ。
「鬼は……?」
武尊はすぐには答えなかった。焼け落ちた城の方へ視線を向け、その奥を睨むように目を細める。
「奴らは数は居なかったが力はとてつもなかった。それでも吉備津勢と合いの子族でなんとか数を減らし、ついには鬼の頭、黒鬼を追い詰めて天守閣から落とした。串刺しにし、致命傷を与え火を放った。だが……黒鬼は海の方へ向かい……」
そこで再び武尊は言葉を詰まらせた。
「……死ななかったのですね」
「追いかけけたが……俺はそこで気を失った……」
「そうですか……、でも武尊殿が生きていてよかったです!」
「しかし、何人もの仲間が死んだ」
武尊の脳裏には南條やソウガ、カカ達の顔が浮かんだ。
出立の前まで、確かにこの地にいた者たちが、もう少数しかいない。その現実だけが、隼人の胸に鈍く沈んでいく。
その時、背後から低い声がした。
「感傷に浸るのは後だ」
振り返ると、煤を被った陣羽織を羽織った松山久雲が立っていた。その後ろには堀川少彦と、数名の大和兵が控えている。
この現実を目の当たりにした所為か、はたまた旅の所為なのか、松山の顔にも疲労は見える。だが、その目だけは鋭く生きていた。
「生き残りを数えねばならん。火の始末も、周囲の警戒もまだ終わっておらぬ」
武尊が松山に向き直る。
「……松山久雲殿、この度は不倶戴天の仲なる我らに御加勢いただき、忝く存じます」
「吉備津の為ではない。これは我が国……いや、我ら人間のために動いているまでだ」
隼人の背に冷たいものが走った。
「まぁ、桃藤がまだ生きているのは良いことだ。主を失えば軍は散る。まだその黒鬼というのが生きている限り、戦は終わらん。今はこちらの体制を立て直すのが先決だ」
そう言い残し、松山は再び兵たちの方へ歩いていった。
長年、吉備津と敵対していた将軍の男が、今はこの地の立て直しに動いている。
隼人はその背を見ながら、不思議な思いに囚われていた。
やがて武尊は、隼人に「来い」とだけ言って歩き出した。
隼人もその後に続いていった。




