第25話 『使者の覚悟』
そこは春の陽光に包まれていた。城下の桜並木は満開を迎え、淡いピンクの花びらが風に舞い、川面に散らばる。城門近くの茶屋からは、湯気の立つ茶の香りと、旅人たちの穏やかな笑い声が漏れていた。そんな長閑な風景の近くには、湿った土の匂いと鉄の錆びた臭いが混じ合う、息苦しい闇に満ちている場所があった。
――大和城の地下牢。
鉄格子に寄りかかる影。縄で縛られた傷だらけの体を震わせている男がいた。
――隼人であった。
額から流れる血が目に入り、視界を赤く染める。
馬で大和城手前まで辿り着いたところで兵と出来わし、鬼の襲来の仔細を述べる間もなく縄を打たれた。共に来ていた合いの子族のナギは直前に身を隠し、隼人は一人で捕らわれていた。
「くそ…吉備津が…」
隼人は呟き、唇を噛んだ。
まだ元服したばかりの隼人は、戦える者として選ばれた誇りを胸に、鬼の脅威を伝える使命を負っていた。
しかし、大和城の兵士たちは隼人を不審者として捕らえたのだ。
大和の兵達が隼人の前へやってくる。
「吉備津の者が一人で何用だ?一騎当千でも試みたか、この童が」
「違うと申しておるだろう! 鬼が迫っておるのだ!吉備津に加勢を願わんがためである!」
「まだ言うか。……松山様がお呼びだ。生きて出られると思うなよ」
二人の武士が隼人を引きずり出し、階段を上らせる。
隼人は抵抗せず、足を引きずりながら従った。
大和城の表御殿は重厚な柱、城内は金屏風が並び、威厳に満ちていた。
玉座に座るのは、
松山久雲まつやまひさぐも──大和城の殿様。
厳つい顔立ちの五十代の男で、桃藤の宿敵として知られる。
周囲には家臣たちが並び、鋭い視線を隼人に向けていた。
隼人は膝をつき、頭を垂れた。
体は震え、血が床に滴り落ちる。
「名を名乗れ」
松山の声は低く、重い。
「隼人と申します……。吉備津城の使いとして参りました」
隼人はゆっくり頭を上げ、傷だらけの顔で説明を始めた。
声は掠れ、痛みに耐えながらも、言葉を紡ぐ。
「鬼が……真の鬼が吉備津城へ攻めてきます。桃藤様は国中の戦える者を集め、共に戦うことを決意されました。大和城の皆様にも、援軍をお願いしたい……」
家臣らが嘲笑う。
松山の表情は変わらなかった。
「鬼……か。吉備津に伝わる話はもちろん知っておる。ももたろう……伝説。いつから桃藤はおとぎ話を信じるようになったのだ?」
「鬼はいます!」と力んだ隼人が前のめりになる。
〝動くな!〟
家臣らが一歩前に出る。
〝鬼だ?桃藤の奴が、そんな馬鹿げた話で俺たちを騙そうとは信じられるか!〟
「これは桃藤様の企みなどではありません。鬼は…人間と、そして人間と鬼との間の種族、合いの子族を奴隷にしようと……」
松山が目を細める。
家臣たちがどよめく。
〝あい…のこ?わけの分からぬ事を!〟
〝切腹させるぞ!〟
「まぁ待て」
家臣達が静まる。
「戯言か真か、それのみでは判じかねる。実であることを何をもって示すつもりだ」
「……実は、その合いの子族の一人と共にここへ参りました」
「何?」
家臣が互いに顔を合わせ騒然となる。
「ナギと名乗るその合いの子は、恐らくこの近くにまだ居ると思われます。呼んでその合いの子が姿を表さなければ……某は切腹いたします」
〝それが攻撃の合図ではないのか!?〟
〝そんな虚言、誰が真に受けるか!〟
家臣が騒ぐ中、松山は隼人の血と涙で滲んだ目をじっと見つめ、腰を上げた。
「……叫んでみろ」
〝……松山様?〟
「その合いの子族とやらの者を呼べ。もしもそやつが現れたら考えてやる」
「……」
「切腹は、己の脇差を使え」
一同は隼人を城の外、大手門の前へ連れていくことにした。
――大和城・大手門前
家臣らの前へ出る隼人。松山は扉が開かれた後方の石垣で、その様子を見ていた。
何事かと町の人間達も足を止め始める。
「さぁ、呼んでみろ。もしも吉備津の企みの場合は、即座に殺さしてもらう」
左右、後方にいる大和の家臣が刀を抜刀し、弓を構える。
「……」
後方で見据える松山。
隼人は大きく息を吸い込んだ。
「……合いの子族のナギよ!隼人だ!この声が聞こえていたら出てきてはくれるか!」
息を呑む家臣達。
「我は無事である!鬼の存在を証する為に出てきて欲しい!」
町人らは隼人の叫びに驚き、辺りは静寂に包まれた。
「……頼む」
人々も立ち止まり、鳥の囀りだけが静かに耳にはいってくる。
「くだらん命乞いだったか」
ひとりの家臣がそう呟いた時だった。
〝ジャリ、ジャリ……〟
と砂利道を歩いてくる足音が段々と近づいてきた。
〝ひ、ひぃ!〟と町人が怯える声と共に人々が城から離れていくのが見えた。
「なんだ……」
角から現れた人物、青みがかった肌、小さなツノが2本生えた頭、そして薄い黄色の瞳をもった合いの子族の姿、ナギだった。
「と、止まれ!」
家臣らが刀と弓を構えた。
「やめろ!何もしない!」と隼人が叫ぶ。
「あれは、人間じゃないのか…?」
狙いを定めている矢が震えさせ、額に脂汗を滲ませる家臣。
大手門へ歩いてくる松山。そのまま隼人達を通り越していく。
「松山様!?」
「大丈夫だ」
ナギに体をむける松山。
静かに立ち、鋭い目を皆に見せたナギは口を開いた。
「私は、鬼と人間の血を引く者、ナギと申します。真の鬼が、この島に来ます。
私たちを奴隷から解放するために、桃藤様は戦うことを選びました。人間の人々もこのままでは危険です。どうか鬼を倒すために、力を貸してください」
その異形の姿に、一同が息を呑む。
「……そうか。鬼の伝説とやらは、本当、だったのか」
先ほどの隼人の切腹の覚悟、そしてナギの存在が隼人の言葉に現実味を与え、松山の心を動かした。
「お前達の存在は信じよう。だが、この目で吉備津を確認する必要がある。先ずは兵を半ば率い、吉備津城へ向かう」
「鬼は今にでも吉備津を襲っているかもしれません!全兵で向かわねば!」
後方でそう訴える隼人に松山は冷静に答えた。
「鬼との前に大和が吉備津と不倶戴天の敵だと言うことを忘れるな。出向いて検分するだけでもありがたく思え。桃藤と会ってやる。その〝真の鬼〟の襲来に降ってなければいいがな」
この宿敵からの奇想天外な話に、松山は大和の殿様として最後まで慎重であった。
「……ありがとうございます……松山様」
頭を下げる隼人。ナギも静かに頷く。
大和城は即座に準備を始め、兵を率いて吉備津城へ向かうこととなった。
松山は隼人とナギと共に先頭へ立ち、甲冑の音を響かせ馬を駆けらせる。
松山の両側後方には、側近の堀川少彦と坂上田麻呂が距離を保ちついていく。
堀川は小柄ながらも大和を代表する剣豪で、松山の近侍として仕える。坂上も同じくその腕を認められた重要な若き側用人だ。
「鬼など…、本当にいるのか?」
坂上がボソッとそう呟くが、横の堀川は先を見つめ口を開いた。
「俺は信じるぞ。幼き頃からの言い伝え、それが今、吉備津にあると」
「されど、その鬼が如何なる力を秘めているか計り知れぬぞ」
「行けばわかる……」
坂上は、堀川少彦のどこか高揚したような表情に不気味さを感じるのであった。
大和の軍勢は、夜の闇を切り裂き、吉備津城へ急いだ。
馬を飛ばして二度の日の出を背に浴びた。
「な、なんだ……この匂いは……」
松山、そして後方の兵達にもそれは感じていた。
ようやく辿り着こうとしていたその辺りで、野火のような不吉な匂いが漂い、時折視界に入る灰が不穏な空気を感じさせていた。
「まさか、嘘だ!」
隼人とナギは城が見える丘へと駆け上がって行った。
「し…、城が……」
隼人は膝から崩れ落ちた。
そこへ聳え立っていた勇ましい吉備津城の姿は無惨にも消えていた。山となっている焦げた城の瓦礫。その周りには赤く残る火の粉と黒煙が見え、この壊滅が起こったのが間もない事が窺えた。
「な、なんという事だ……」
馬を降りた松山が吉備津を見下ろして目を剥いた。
そして堀川、坂上、後方の兵達がその光景を目の当たりにし、言葉を失うのであった。
「鬼は…いたんだ」
堀川の手は刀の柄を握り、震えていた。
「坂上!今すぐ残りの大和兵を呼べ!」
「は…はい……」
「全軍だ」
「はい!」
再び馬を走らせる坂上。
血脈の戦いは、まだ終わっていない。
援軍の到着が、運命を変えるのかもしれない。隼人とナギは無惨な城跡見つめながらそう思うのであった。




