第10話 『 不穏な気配 』
夕焼けが沈みきり、夜の帳が城下町を覆った。
星の見えぬ空。篝火がぽつぽつと灯っていく。
城門前の広場では赤鬼のゴウキや合いの子族の指導のもと、町人らが武器の扱いを学び、陣形を組む訓練に励んでいた。しかし、その熱気とは裏腹に、不穏な空気が城内に満ちていた。
目に見えぬ“何か”が、静かに忍び寄っているような……。
始まりは、小さな違和感だった。
備蓄していた食料が下水に捨てられていたり、武器の手入れ道具がいつの間にか消えてしまったりと。
誰も決定的な証拠を掴めないまま、それでも確かに――“何かがおかしい”という感覚だけが積み重なっていった。
そしてその夜、城の土塁――平虎口で、小さな火の手が上がった。
すぐに消し止められたが、それは偶然では済まされぬ“意図”を感じさせるものだった。
天守閣。
燭台の炎が、静かに揺れている。
卓の上には、あのミイラ化した鬼の手首。
その乾いた表面を、淡い光が不気味に照らしていた。
桃藤は、その前に立っていた。
動かず。ただ、見つめている。
背後には、吉備津を代表する刀鍛冶の鉄蔵。
彼は刀の柄を握りしめたまま、震えていた。
「……大名様」
絞り出すような声。
「あの者たちを……本当に信じてよいのですか」
桃藤は振り返らない。
「信じる、信じぬの話ではない」
静かに言う。
「奴らなくして、真の鬼に抗う術はないだろう」
言葉は淡々としていた。
鉄蔵は唇を噛み、やがて刀を置いて端座する。
「……僭越ながら」
視線を伏せたまま続ける。
「血が同じでも、心まで同じとは限らぬかと。現に何やら不審な事が起き始めています 」
桃藤は、窓の外――闇に沈む森へと目を向けた。
「ああ……。すべてが同じ方向を向いているとは限らぬ。ゆえに、手は打ってある」
鉄蔵が顔を上げる。
「……恐れ入ります」
深く頭を下げた。
――その頃。
城下町北の森。
月明かりが、かろうじて木々の輪郭を浮かび上がらせていた。
その中を、一匹の犬が地面を嗅ぎながら進む。
足音を殺し、その後に続く三つの影。
武尊。ソウガ。そしてキビ。
昼間とは違う、張り詰めた空気。
ここにあるのは、戦いではなく――“探り”の気配だった。
この探索は、合いの子族の戦士からの報告によるものだった。森の奥で、不審な動きがあったという。
それを受け、桃藤が命じた。
“真相を暴け”と。
「近い……」
キビが低く言う。
その時だった。
犬が低く唸った。
同時に――
「……っ!」
武尊の鼻を突く、異様な臭い。
獣のような、そして――何かが焦げたような、鼻を焼く臭気。
「ぐっ……なんだ、この匂いは……!」
武尊が思わず腕で口元を覆う。
隣でソウガが静かに口を開いた。
「鬼の術だ」
「術……?」
「鬼の符を燃やし、妖気を孕んだ煙と匂いで遠くの鬼へ報せる」
武尊の目が見開く。
「そんなことが……」
その瞬間――
頭上を、黒い影が横切った。
一羽の雉。
夜空を裂くように飛び去っていく。
「……くそッ!」
キビが空を睨む。
「符を持っている……伝書も飛ばしたか!」
次の瞬間、キビは地を蹴っていた。
「行くぞ! 敵は近い!」
犬もまた、吠えずに駆け出す。
武尊とソウガもそれに続く。
森の中を駆ける。
枝を踏み、息を殺しながら。
武尊の手は、すでに刀の柄を強く握っていた。
「ソウガ!」
走りながら叫ぶ。
「相手は裏切り者か!?それとも……!」
「鬼の可能性もある」
ソウガの声は冷静だった。
「島を離れる前に斥候が紛れたか……あるいは――」
その言葉が途切れる。
前方。
キビが、ぴたりと動きを止めた。
右手を上げ、合図を出す。
武尊とソウガも、即座に足を止めた。
静寂。
風が木々を揺らす音だけが、かすかに響く。
そして――霧の奥。
そこに、“それ”は立っていた。
背は低い。
全身を覆うような装束。顔は布で隠されている。
ただ――
その隙間から覗く、赤い瞳だけが。
暗闇の中で、異様な光を放っていた。




