2. エルムの里
しばらく二人でじっと卵を見つめていたが、卵が孵化する様子はない。
それどころか、ぴくりとも動かないので、アムルが痺れを切らし始めた。
「むー……さっきは、本当に動いたんだけどなぁ」
口を尖らせながら、卵を拳でコンコンと叩くアムルをユースティスが慌てて止めた。
(ちょ、ダメだよ。卵が割れちゃったらどうするのさ。
まだ寝ているのかもしれないよ。そっとしておいてあげよう)
アムルは、つまらなさそうな顔をして、傍に置いてあった魔鉱石を指で弾いて遊び始めた。
じっと卵をただ見ているのに飽きたのだろう。
魔鉱石は、ユースティスが持ってきたものではなく、アムルが拝殿から持ち出したもののようだ。
同時に二つも魔鉱石がなくなっていることに気付いたら、樹官長は、どれだけ怒るだろう、とユースティスが考えたところで、はたと自分がここへ来た目的を思い出した。
(……あっ、そうだった。僕、樹官長に言われて、アムルを呼びに来たんだ。すぐに拝殿へ来いって)
「えっ、モリスがあたしに?
どどど、どうしてかしら。あたし、なーんにも悪いことなんて、してないのになぁ」
何か思い当たることでもあるのか、アムルは、挙動不審な様子で視線を泳がせている。
その手が絨毯の端をつまんでいるのを見て、ユースティスは、アムルが何を隠そうとしているのかを悟った。
やはりこの絨毯は、樹官長に黙って持ち出して来たのだろう。
でも、ユースティスは、それに気付かないフリをして、首を傾げた。
(とても大事な話があるって、言っていたよ)
「そう言えば……今朝、モリスがそんなことを言っていたような……。あはっ、すっかり忘れてた」
全く悪びれない様子でぺろっと舌を出して見せるアムルに、ユースティスがため息を吐く。
(確かこの前も、樹官長にお使いを頼まれたのに、水遊びをして忘れて帰ったことがあったよね。
今度こそ、本当に叱られるだけじゃ済まないよ)
「だーって! あたしは、ゆーくんみたいに記憶力が良くないの!
ゆーくんの記憶力がすごいんだってば」
怒っているのか、褒めているのか分からないアムルの気迫に押されて、ユースティスは、頬を赤らめながら肩をすくめた。
そして、少し寂しそうに笑う。
(……僕は、アムルのことが羨ましいよ)
樹官長をあまり待たせると後が怖いので、二人は、とりあえず、洞穴の外へ出ることにした。
卵のことは気になるが、今すぐ孵化しそうな気配はない。
それでも、自分たちの居ない間に孵化してしまっては嫌なので、夜に村を抜け出して、またここへ来よう、と二人は約束をした。
暗く細い道を二つの光が並んで動いていく。
アムルとユースティスは、魔鉱石を持っていない方の手で、互いの手を繋ぎ、来た道を戻った。
ユースティスは、自分と同じ視線の高さにあるアムルを見た。
これから樹官長に叱られるであろうに、アムルは、楽しそうに卵の話をし続けている。
来た時には、あんなに怖かった道が今はちっとも怖くないことにユースティスは気付いた。
――二人一緒なら、どんな暗闇でも怖くない。
ユースティスは、アムルに伝わらないよう、静かにそう思った。
§ § §
森の中に、アムルとユースティスが暮らす<エルムの里>はある。
こぢんまりとした一階建ての家々には、木造であることが分からないほど表面に緑の蔦や苔が生い茂り、森の一部に見える。
まるで妖精や小人たちが住む場所のようで、アムルは、この村が大好きだ。
村の中央には、神樹となる大きなハルニレの木があり、そのすぐ傍に向かう拝殿はある。
ハルニレの根が屋根を覆っているため、ぱっと見には、それと分からない。
生い茂る葉と蔦を掻き分けると、ようやく扉らしきものが見えた。
「もう~どうしてこんなに不便なの。こっちは、急いでるっていうのにー!」
(……仕方ないよ。神樹は、村の守り木。傷つけちゃいけないのが村の掟だもの。
枝一本でも折ってしまったら、村に災いが起こるんだって、樹官長いつも言ってる)
「それは、知ってるけどさぁ。せめて、拝殿を神樹から離れたところに造ればいいのに。
これじゃあ、神樹の根っこに押しつぶされちゃうわよ」
拝殿がこの状態なのは、アムルが物心つく前からこうなので、今更、特段不思議には思わない。
むしろ、隠れ家のようでわくわくする。
でも、今は、拝殿の中で待っているであろうモリスをこれ以上怒らせてはいけない、と焦る気持ちの方が強かった。
アムルとユースティスは、同時に取っ手を掴むと、互いに目配せをする。
なるべく音を立てないよう注意して扉を開けた……つもりだった。
しかし、古くなった扉は、建付けが悪く、二人が思っていた以上に、ぎぎぎと大きな音を立ててしまう。
あっと思った時には、もう遅く、開けた扉の先に、見覚えのあるオリーブ色のローブを身に纏った老爺が仁王立ちでこちらを見下ろしていた。
「遅いっ! 老人を待たせるでない。生い先短い大事な時間なんじゃぞ。
待っておる間に死んでしまったら、どうするつもりじゃ」
頭上から唾と共に落ちてくる雷の如き怒声をアムルとユースティスは、耳を塞ぎ、目を閉じて耐えた。
そして、怒声が収まると、二人は、顔にかかった唾を拭いながら目を開ける。
そこに居たのは、見事な白髪に白い髭を蓄えた枯れ木のような老爺、名を【モリス=イーヴィック】という。
この村で唯一つしかないこの拝殿の樹官長だ。
ユースティスは、モリスの顎から生える白い髭を目で追った。
床まで伸びるその髭は、モリスの膝下辺りから茶色い枝に変わっている。
(……それはない。樹官長の寿命、千年はある)
「あはは、あと九百年は生きるよ」
身体の一部が木化していくのが樹官長として永い長寿の命を与えられた代償であり、その証でもある。
千年を超える永い歳月を生きる神樹と添う必要のある樹官長には、就任と同時に千年を生きる寿命が約束されるのだ。
木化した部分が多い程、その就任歴が長いと言える。
つまり、髭の先だけが木化しているモリスが今すぐに死ぬことはありえない、ということだ。
モリスは、アムルの笑い声から自分のジョークが受けたと思ったようで、満足げに咳払いを一つすると、声を落として言った。
「……アムルよ。今日は、お前に大事な話がある。まずは、こちらへ来なさい。祭壇の前で話そう。
……ああ、ユースティス。ご苦労だったな。お前は、下がってよい。アムルを連れてきてくれて、ありがとう。助かったよ」
(でも、まだ祭壇の掃除が途中なんだけど……)




