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第7話「夢の続き」

「外れ。ここは一手目でこの1の三に打って相手の根拠……じゃなくてえっと、相手の眼になりそうなところを潰すの」


 少女の澄んだ声が響き渡る、子ども二人だけの広々とした保健室。

 俺は、隣のベットに押しかけ、少女に詰碁の手(て)解(ほど)きを受けていた。


「それじゃこの石は無駄に取られるだけじゃん」

「無駄じゃないよ。この石をあえて捨てるからこそ、黒はこの辺一帯の白を皆殺しにできる。元からあったこの4の二の黒石もそう」

「これは最初から死んでた石だろ」

「そう、死んでた石。でもね、その死んだ石にも、後付けで意味を持たせることはできる。やってしまった失敗、起きてしまった事故が力に変えられるようにね」


「えっと七転び……七転び八倒れ……だっけ?」

「七転八倒なのか七転び八起きなのかどっちよ。たぶん、言いたかったのは後者だよね」

「そうだよ」

「うん、その言葉も間違いじゃない。でもそれだけじゃないかもしれない」


「それだけじゃないって、何が?」

「私は思うんだよ。不幸から立ち上がり、すぐに遅れを取り戻そうと頑張る。それは確かに立派と言えば立派。誰にでもできるわけじゃない大変なこと。でもね、それだけじゃ結局のところ、不幸は不幸。不幸に遭わなかった人には勝てないし、無かった方が絶対に良かった嫌なことでしかない」


「それは……だってそうじゃないの?」

「私はそうは思わない。不幸は、起きた時点ではただの不幸でしかないかもしれない。でも、その不幸を逆手にとって、不幸に遭わなかった人には持てない、自分だけの力に変えられるなら、それはただの不幸じゃなく、自分の武器になる。だからね、似たような言葉でも、私は『七転び八起き』より『転んでもただでは起きない』の方が好き」

「うーん、難し過ぎて分からないような、でも何となく分かるような」


 俺の口を突いて出る言葉は幼かった。

 客観的に見れば、理解が及んでいないというのはもっともに思われた。

 だが、俺はその抽象的な話に深く共感していた。

 共感? いや、違う。彼女とこうして喋っている俺は、真実よく分かっていないはずだ。ならば、『俺』は一体誰なのか?


「だーもー。今日はもう囲碁はやめだ。それより見ろよ。ほら……つっ……掴まりながらなら、立てるようになったんだぜ……!」

「知ってるよ。だってさっきフンっフンっ言いながらこっちのベッドまで歩いてきたじゃん」

「ありゃ、そうだったなそういえば。んだよもっとすげーって尊敬してもいいんだぞ?」

「頑張ったとは思うけど、すげーまではいかないかな? そうだなー何にも掴まらずに立てるようになったら、尊敬してあげる」

「ま、今に見とけよ。来月には支え無しで立てるようになって、来年になる頃には普通に歩けるレベルまで行ってやんよ。そうなりゃこの化物小屋ともおさらばだ――ってぇ!何すんだよ!」


「教室の子達だって、別に化け物とは限らないよ。そりゃあ実際、化け物扱いでいいような人達もいるかもしれない。でもそれは、障碍の重さとは関係無い。自分との戦いに負けたかどうかの違いだと私は思ってるし、この学校以外の健常者にもそういう人はたくさんいる。まあ、その点、あそこには醜い化け物も多かれ少なかれいるだろうことは否定しないけどね」

「ああもう! はいはい俺が悪かったよ。つーかさ、そう言えば杉穂って結局、何でここいるわけ? お前、俺と違って足も普通に動くし、どこも障碍無いんじゃないの?」


 当たり前のように自分の口から出てきた名前に驚く。

 そうだ、この少女は杉穂。文月杉穂という名前だった。

 一体いつ彼女の名前を聞いたのかは思い出せない。

 だが、俺は確かに彼女の名前を知っている。


「まあ、それもそうかな。現時点でなら普通の公立小学校でも通えるとは思う。でも、それがいつまでかは分からないし、明日には無理になってるかもしれない。私ね――目が悪いんだよ」

「目が悪いって、お前普通に見えてるんじゃないの?」

「視力自体はまだましなほうだね。両目とも〇.〇一だから、ごく普通に視力めっちゃ悪い人達と変わらない。でもね、物凄く視野が狭いんだよ。頑張って顔と両目をずっとぐるぐる動かしてればそれなりには見えるけど、止まってたら、ほんとに真ん前のものしか見えない」

「でも、今は見えてんだろ?」

「辛うじてね。でも年々見える範囲は狭まってるし、お医者さんはどれだけ長くても十歳になるまでには失明するって言ってる」


「十歳って……あと二年もねえじゃん!」

「逆だよ。まだ二年もある」

「え?」

「二年もあれば十分だって言ったんだよ」

「十分って……二年経ったら何も見えなくなって、それで……それで平気なのかよ……!」

「ま、何とかなると思ってる。私ね、女の子としてどうなんだろうって自分でも思うけど、恋愛とかお洒落とかまーったく興味無いの。それより、今ここにある碁の世界こそが私の全て。だから碁さえ打てればそれでいいし、プロになってタイトルたくさん取ればお金持ちにだってなれる」


「目が見えなくてもなれるのか?……その、プロに」

「当たり前じゃん。実力が全ての世界だからね」

「でも……ぶっちゃけきつくない?」

「碁は、子供の頃の成長でその後の強さが大体決まるって言われてる。私はね、この病気をむしろチャンスと捉えてるよ。あと二年で見えなくなるからこそ、今必死で、まさに死ぬ気で碁に打ち込める。最も伸びると言われるこの子供のときに。それに囲碁自体は目隠ししてても打てる。なら、今うんと囲碁を勉強して、圧倒的に才能を磨いて、将来瞑ってても誰にも負けない碁を打てるようになれる可能性はあるはず。なら頑張ればいいだけだし、私はそこで誰にも負けるつもりは無い」

 

 力強く言い切った杉穂に、暫し圧倒されていた。

 俺はここに来たとき、ただただ自分の不遇を呪い、いじけているばかりだった。

 それが、こいつに出会って。挑発されて、俺も負けてられないと意地になって頑張って。それで――


「それなら俺も負けてらんねえな」

 俺の意志に反して、口と身体が動く。

「俺はまだ何がしたいとかは分かんねえ。でも俺は必ず歩けるようになってみせる。俺は不可能を可能にする男だ。お前は目が見えなくても最強の棋士になる凄い奴だけど、病気には勝てない。でも俺は病気にすらも勝つ! だから俺は最強のお前よりもっと強い、本当の最強だ!」


 うーんこの、なんて頭が悪い理論。

 こいつは本当に俺なのか? ガキに言っても仕方無いか。

 そんなことを考えているうちに体が浮き上がる。

 おい馬鹿よせ。

 気概は買うが、麻痺した足が根性だけで突然動くようになることは無い。

 

 無理矢理二本足だけで立とうとした下半身には激痛が走り、バランスを崩した上体は落下する。

 目まぐるしく変化する視界に酔いながら、意識は途絶えた。




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