第二巻 第一章 葡萄の町・ヴァイネラ・二人分の寝床
リヒナを出てから十日ほど歩くと、道の両側に低い葡萄棚が見え始めた。
葉はまだ若い緑色で、房になりかけた実が朝の光を受けている。遠くの丘まで、整然と並んだ棚が続いていた。
「葡萄の町ね」
ロッテが言った。
「葡萄畑の町、かしら」
「そこは、どっちでもいいよ」
「では、葡萄畑の町ね」
ロッテは笑いながら、肩に掛けた修繕鞄を持ち直した。
町の門に掛けられた木の看板には、《ヴァイネラ》と、蔓のような文字で書かれている。その下には、二つの葡萄の房を並べた紋が彫られていた。
王都から遠く離れたこの町にも、手配書は届いているかもしれない。けれど、手配が早く届くのは羽根便の通る大きな町からだ。ロッテが選ぶ農道を十日歩いたあいだ、私たちは、足取りまで知られる場所を避けてきた。
わたしは外套の襟を少し上げ、杖を包んだ布を背中側へ回した。
ロッテは、それに気づいても何も言わなかった。
外では、フリーダ。
二人きりなら、フリーデ。
リヒナでそう決めてから、まだ何度も呼ばれたわけではない。けれど、夜の宿でロッテが「フリーデ」と呼ぶたび、胸の奥に小さな灯りがともる。
それを、本人に言うほど勇気はなかった。
町の中央には、石造りの噴水と、葡萄を積んだ荷車が並ぶ広場があった。
果汁を搾る木槌の音が、あちこちから聞こえる。道端の店では葡萄のパンや、干し葡萄を混ぜた焼き菓子が売られていた。
「お腹、空いてない?」
ロッテが言う。
「少し」
「少し、ね」
彼女は露店で小さな焼き菓子を二つ買い、ひとつをわたしへ差し出した。
「今度は、何枚まで食べていいか訊かないで」
「これは一枚ではないわ。ひとつよ」
「そういうところ」
焼き菓子には干し葡萄がたくさん入っていて、噛むたびに甘い香りが広がった。
わたしたちが噴水の脇で食べていると、葡萄色の前掛けを着た女性が近づいてきた。白髪交じりの金髪を短く切り、背中には小さな木箱を背負っている。
「もしかして、修繕士さん?」
「はい。リーゼロッテ・ベッカーです」
ロッテが答える。
「やっぱり。港町のマリナから、羽根便が来てたの。小柄で、茶髪で、目の前の大きい人へよく文句を言う修繕士がそちらへ向かうかもしれない、って」
ロッテが、ゆっくり私を見る。
「マリナさん、説明が細かいなあ」
「大きい人、というのはわたしのことかしら」
「たぶんね」
女性はにこにこして、手を差し出した。
「私はベルタ。あそこの《二房亭》を、妻のイーダとやってる。泊まるところと仕事を探しているなら、ちょうど頼みたいことがあるの」
「依頼ですか」
ロッテの目が、少しだけ明るくなる。
「葡萄畑の魔脈が詰まってしまってね。今年の実が、日中になっても冷たいままなの。直せるなら、宿と食事をつけるよ」
「見てからになるけど、たぶん」
「助かる! こっちだよ」
ベルタさんは、わたしたちの返事を待ちきれないように歩き始めた。
ロッテが小声で言う。
「フリーダ。焼き菓子、歩きながら食べないでね」
「分かっているわ」
言ってから、まだ半分残っている焼き菓子を見た。
「……先に食べてから行く?」
「うん。その方がいい」
ベルタさんは数歩先で振り返り、声を上げて笑った。
二房亭は、町の外れにある小さな宿だった。
白い壁に深い紫色の扉。入口の両脇には、葡萄の蔓を絡ませた木製の椅子が置いてある。裏手には広い葡萄畑が広がり、その先に、低い石造りの醸造蔵が見えた。
「イーダ、修繕士さんを連れてきたよ!」
ベルタさんが扉を開ける。
食堂の奥から、背の高い女性が顔を出した。黒に近い灰色の髪を太い三つ編みにまとめ、腕まくりしたシャツには紫色の果汁が飛んでいる。
「おお、本当に来た。私はイーダ。助かるよ」
イーダさんは、私たちへ大きな手を振った。
「まずは泊まりの話をしようか。二人で一部屋なら、寝台は二つにする? それとも一つでいい?」
「二つお願いします」
ロッテがすぐ答えた。
同時に、わたしも言った。
「わたしたちは、まだ恋人ではありません」
食堂が、静かになった。
ロッテの顔が、見る間に赤くなる。
ベルタさんが、口元を手で隠した。イーダさんは一度瞬きをしてから、豪快に笑った。
「いや、恋人かどうかを訊いたんじゃないよ。寝台を二つにするか、一つにするかを訊いただけ」
「そうだったの?」
「そうだよ!」
ロッテが、少し大きな声で言った。
「フリーダ、今のは答えなくていい質問だったからね」
「でも、誤解があってはいけないと思って」
「誤解じゃなかったとしても、今の言い方は急すぎるよ」
「急だったかしら」
ベルタさんは、目尻の皺を深くして笑った。
「急だったねえ。でも、二人とも若いから仕方ない」
「仕方ないのかしら」
「仕方ないよ」
ロッテが、とうとう顔を両手で覆った。
イーダさんは、帳場の引き出しから鍵を取り出した。
「二階の端の部屋だ。寝台は二つ。壁は薄くないから、夜中に話しても大丈夫」
「話す予定はありません」
ロッテが、顔を覆ったまま言う。
「それは残念」
ベルタさんが答えた。
何が残念なのか、わたしにはよく分からなかった。
依頼の場所は、醸造蔵のさらに奥にあった。
葡萄畑の下へ掘られた石室には、大きな樽が何十本も並んでいる。床には細い溝が走り、壁の低いところには、青白い魔導石が等間隔に埋め込まれていた。
「この下に、畑を温める魔脈が通ってるんですか」
ロッテがしゃがみ込み、壁の石を指先で触る。
「昼の熱を地面にためて、夜に根へ返すの。実が甘くなるようにね」
イーダさんが言った。
「昔から、この町の畑はそうやって育ててきた」
ベルタさんは、一番奥の石へ近づいた。
「でも、今年の春から流れが悪い。上の畑では、朝になっても霜が残る日があった」
ロッテの指先から、黄緑の糸がほどける。
糸は石室の床を這い、壁の魔導石をひとつずつ通り、やがて葡萄畑の下へ消えていった。
しばらくして、ロッテは眉を寄せた。
「魔脈そのものは切れてない。畑の北側にある石組みが少し沈んで、熱の通り道だけ塞いでる」
「直せる?」
「石をどければ。けど、根がすぐそばまで伸びてる。掘り返すと、今年の葡萄を傷めるかも」
わたしは、彼女が見ている方向をたどった。
石室の外、北側の畑には、まだ若い葡萄の蔓が絡んでいる。根の近くの土を乱せば、葉も実も弱るだろう。
「石の位置が分かれば、動かせます」
わたしが言う。
「地脈操作で、沈んだ石だけを持ち上げればよいのではないかしら」
ロッテは、すぐには答えなかった。
それから糸をもう一度伸ばし、畑の外へ出た。
「行って、上から見よう」
畑の北側には、古い石垣があった。
崩れた石の隙間から、葡萄の根が細く伸びている。ロッテは地面へ細い木の棒を何本も刺し、根の位置を確かめた。
「沈んでるのは、この下。石組みを一枚だけ、元の高さまで戻せば流れが通る」
「根は?」
「この二本の根は避けて。あと、石を上げるとき、右へ傾けないで」
「分かったわ」
ロッテが、石垣の上と地面の二か所へ、黄緑の糸を結んだ。
「ここまで。上に三指分だけ」
「三指分」
「うん。それ以上はいらない」
イーダさんとベルタさんは、少し離れたところで並んで見ている。
「本当に、根を傷めないのかい」
イーダさんが訊いた。
「フリーダなら大丈夫」
ロッテは、私を見る。
「ね?」
その一言が、魔法の術式より難しかった。
私は頷く。
「ええ。ロッテが、止めるところを教えてくれるから」
杖を地面へ向ける。
土の下には、石組みと、細い根と、止まった熱の流れがあった。わたしの魔力は、戦場なら城壁を持ち上げるほどの力になる。
けれど、今必要なのは三指分だけだ。
ロッテの糸が、わたしの魔力が届く場所を示している。
沈んだ石が、ゆっくり持ち上がった。
土は崩れない。根も切れない。石はちょうど三指分の高さで止まり、石組みの隙間へ、温かな魔力がすうっと流れ込んだ。
畑の魔導石が、一本ずつ淡く光る。
光は派手ではなかった。葡萄棚の根元に埋められた石が、夕暮れの前の空気より少しだけあたたかい色を帯びる。近くで作業していた年配の農夫が土へ手を差し入れ、何度も確かめるように指を動かした。
「冷えてない」
彼は小さく言った。
「今朝まで、ここだけ石みたいだったんだ」
畑の奥から、籠を抱えた子どもが走ってくる。彼女は葡萄の若い蔓へ顔を近づけ、葉の裏に触れた。
「あったかい!」
「根が眠らなくなったのよ」
ベルタさんが答える。
子どもはその言葉を聞くと、蔓へ向けてひそひそと何かを話し始めた。ロッテが耳を傾けると、今年も甘くなれ、と頼んでいるらしい。
「頼む相手、間違ってないかしら」
わたしが訊くと、ロッテは首を傾げた。
「水路だけ直しても、畑の人が世話しなかったら葡萄は育たないもの。お礼を言う相手が多い方が、きっと育てやすいよ」
その返事を聞きながら、わたしは土の下を通る魔力を見た。力を入れたのはほんの一度だ。そのあと何年も畑を温め、蔓を結び、実を摘むのは、この町にいる人たちだ。
「直った」
ロッテが、嬉しそうに言った。
イーダさんが石垣へ駆け寄り、手のひらを土へ当てる。
「温かい。戻ったよ、ベルタ」
「本当だ」
ベルタさんの声が、少し震えていた。
彼女は葡萄の蔓をそっと持ち上げ、まだ小さな房を見つめる。
「今年も、育つね」
その言葉には、畑のことだけではないものが混じっていた。
依頼が終わってから、イーダさんは畑の端にある木陰へ大きなテーブルを出した。
葡萄ジュース、チーズ、焼きたての薄いパン。ロッテは作業用の手袋を脱ぎながら、目を輝かせている。
「これ、全部いただいていいんですか」
「フリーダに移った?」
「違うよ。確認しただけ」
「食べておくれ」
ベルタさんが笑った。
わたしは葡萄ジュースを一口飲んだ。濃い甘さのあとに、少しだけ酸味が残る。
「美味しいわ」
「まだ今年の葡萄じゃないんだよ」
イーダさんが言った。
「去年の最後の樽から搾ったもの。ワインにするか、ジュースにするかで、まだベルタと揉めてる」
「揉めてはいないわ」
ベルタさんが言う。
「話し合っているの」
「三週間、同じ話をしてる」
「それは、長い話し合いね」
ロッテがパンを持ったまま言った。
ベルタさんは、少し困ったように笑った。
「戦争が終わったら、今年の葡萄で、また二人のワインを作ろうって、昔から話していたの」
「《双房》っていう赤葡萄酒だ」
イーダさんが言う。
「最初の一本だけ、二人の名前を並べた札をつける。結婚してから毎年そうしてきた」
「でも、戦争の間は葡萄酒を作らなかった」
ベルタさんが続ける。
「蔵は避難してきた人の食べ物を置く場所になったし、畑も手入れできなかった。いざ戻ったら、前と同じように『今年も作る』と言うのが、少し怖くなって」
イーダさんは、ジュースの杯を両手で包んだ。
「私は作りたい。酒にして、皆で飲みたい。ベルタは、失敗するのが怖いんだ」
「違う」
ベルタさんは、すぐに言った。
「失敗してもいいの。今までと違う味になったら、それを前のワインの代わりにしなきゃいけなくなるのが怖い」
わたしは、彼女の言葉を聞きながら、夜星の杖を見た。
変わったものを、新しい形で使うこと。
失ったものを、なくさなかったことにするのではなく、そこにあったまま次へ進むこと。
ロッテは、そのための言葉をよく知っている。
「前のワインと同じにしなくていいんじゃない?」
彼女は言った。
「前の年の葡萄は、もうないんだから」
「それは、分かっているよ」
ベルタさんが言う。
「でも、じゃあ何を作ればいいのかね」
ロッテは少し考え、畑の方を見た。
「今年の葡萄でしかできないもの。二人が、今は作りたいと思えるもの」
イーダさんとベルタさんは、顔を見合わせた。
それだけでは答えにならない。けれど、答えを決めるのは、二人でしかできない。
しばらくして、イーダさんが言った。
「赤だけじゃなくて、白も混ぜるか」
「白を?」
「前は、赤葡萄だけだった。でも、今年の白はよく育ってる。ベルタが毎日、根元の水を見てたから」
ベルタさんは、呆れたように眉を上げた。
「それを、今さら褒めるの」
「褒めてるよ」
「もっと早く褒めて」
「今、言った」
ロッテが、くすくす笑った。
ベルタさんはしばらく考え、それから葡萄棚を見上げた。
「赤と白を混ぜたら、前の《双房》じゃないわ」
「うん」
「でも、二人で作る葡萄酒ではある」
「うん」
「……じゃあ、今年は《新しい双房》にしましょうか」
イーダさんは、すぐに笑った。
「それなら、札も二人分だな」
「最初からそう言ってるでしょう」
「そうだった?」
「本当に、聞いてないんだから」
言いながら、ベルタさんの口元はやわらかかった。
夕方、イーダさんとベルタさんは、まだ日が高いうちに畑へ出た。
今年初めて色づいた赤葡萄と白葡萄を、房ごと少しずつ籠へ入れていく。収穫には早すぎる量だったけれど、二人の手つきは祭りの準備をするように慎重だった。
「今日、もう作るんですか」
ロッテが訊く。
「一本ぶんだけね」
ベルタさんは答えた。
「畑の熱が戻った日に、何も決めずに寝たら、また三週間同じ話をしそうだから」
「それは、たしかに」
ロッテが頷く。
醸造蔵の小さな樽の前には、古い木札が一枚置かれていた。紫の染みがついた札には、細い字で《双房》と書かれている。
イーダさんは、新しい札と墨を持ってきた。
「昔は、これに二人の名前だけ書いた」
「今年は、何て書くの」
ベルタさんが訊く。
「《新しい双房》」
「それ、さっき決めたばかりでしょう」
「決めたばかりだから、今書くんだよ」
ベルタさんは、少し笑ってから、イーダさんの手から筆を取った。
《新しい双房》。
彼女が書いた文字の横へ、イーダさんが二人の名前を並べる。
古い札は捨てずに、樽の脇へ立てかけられた。
ロッテはそれを見て、嬉しそうに息を吐いた。
「これなら、前のワインもなくならないね」
「なくならないよ」
イーダさんが言う。
「今年のが失敗したら、前の札を見て笑えばいい」
「失敗させないで」
「じゃあ、二人で飲んでから笑う」
「それならいいかも」
ベルタさんは、呆れた顔でそう言った。
搾り機の柄を回す前に、ベルタさんがわたしへ視線を向けた。
「フリーダさん。重い籠を、そこの台へ上げてもらえるかしら」
「もちろんです」
葡萄の籠は両手で持つとずっしり重かった。けれど、魔法は使わずに台へ置く。
ロッテが横から、満足そうに頷いた。
「今日は、飛ばしてないね」
「葡萄は飛ぶものではないわ」
「フリーダなら、何でも飛ばせそうだから確認しただけ」
「飛ばしません」
「その自信だけは信じる」
イーダさんが柄を回し、ベルタさんが二種類の葡萄を少しずつ足していく。
最初の果汁が、細い管を伝って空の樽へ落ちた。
赤だけでも白だけでもない、薄い紫の色だった。
「前と違うわね」
ベルタさんが言う。
「うん」
「でも、悪くない」
イーダさんは、彼女の肩へ軽く額を寄せた。
「最初から、そう言ってた」
「言ってない」
「心の中では」
「心の中は、聞こえないのよ」
「では、これからは口にする」
「毎日ね」
「毎日」
二人のやりとりを聞きながら、わたしは樽の中へ落ちる果汁を見つめた。
変わっていくものは、いつも前のものを失くすのだと思っていた。
けれど、古い木札を脇へ残し、新しい札を隣へ置くこともできる。
それは、ロッテが得意とする修繕と、どこか似ている気がした。
夜、二房亭の二階の部屋には、本当に寝台が二つ並んでいた。
窓の外には、月に照らされた葡萄畑が見える。ベッドのあいだには、小さな丸机と、葡萄の葉を模したランプがひとつ置かれていた。
ロッテは、自分の寝台へ座ると、靴紐をほどいた。
「今日、すごく働いた」
「ロッテが?」
「二人とも」
「そうね」
わたしは杖を壁際へ立てかけ、外套を畳む。
しばらく、部屋には衣擦れの音だけがあった。
昼のことを、ロッテはまだ気にしているように見える。
「ロッテ」
「なに」
「昼間、わたしが恋人ではないと言ったことで、嫌な思いをさせたかしら」
ロッテの手が止まった。
「嫌、というか」
彼女は顔を上げ、少しだけ笑った。
「びっくりした。フリーダがあまりに真顔だったから」
「事実だから」
「うん。事実だよ」
「でも、事実を言うのがいつも正しいわけではないの?」
「その言い方、急に難しいな」
ロッテは枕を抱え、少し考えた。
「恋人じゃないって言われたことが嫌だったんじゃない。イーダさんたちの前で、あんなふうに急に線を引かれたみたいで、ちょっとだけびっくりしたんだと思う」
胸の奥が、小さく痛んだ。
「線を引くつもりはなかったわ」
「分かってる」
「ロッテと一緒にいることを、違うと思ったわけでもない」
彼女は、また少し赤くなった。
「うん」
「ただ、わたしは、ロッテと恋人ではないのに、恋人のような寝台に入るのは、不誠実ではないかと思ったの」
「恋人のような寝台って何」
「一つの寝台よ」
「そこ!?」
ロッテが枕を抱えたまま笑い出した。
「フリーダ、二人用の寝台は、恋人だけのものじゃないよ」
「そうなの?」
「家族とか、子どもとか、宿が混んでるときとか」
「そうなのね」
「でも、二人で使うのに慣れてない人が、慌てて二つ頼むのは分かる」
ロッテは笑いを収めてから、静かに続けた。
「今日の寝台が二つでよかった?」
答えを急ぐと、間違える気がした。
わたしは二つの寝台を見た。近いけれど、触れない距離だ。
「今は、これでよかったと思うわ」
「うん。私も」
ロッテは頷いた。
それから、少しだけいたずらっぽい顔をする。
「でも、フリーダ」
「なに?」
「もし、そういうふうになったら、一つでいいかどうかは、そのとき二人で話そうね」
わたしは、何と答えればよいか分からなくなった。
「……ええ。話し合いましょう」
ロッテが、今度は声を立てずに笑った。
「真面目だなあ」
「大事なことではないかしら」
「大事なことだよ」
ランプの光が、ロッテの茶色の髪をやわらかく照らしている。
外では、葡萄畑の下を通る魔脈が、昨日までより少し温かく光っていた。
「おやすみ、ロッテ」
「おやすみ。……フリーデ」
その呼び方を聞くと、昼間の恥ずかしさも、よく分からない胸の痛みも、静かにほどけていく。
「おやすみなさい」
わたしは、自分の寝台で目を閉じた。
すぐそばに、もう一人の寝息がある。
それが、眠る前に聞く音として、少しずつ当たり前になっていく気がした。




