第三巻 第一章 門の町・トーラン・通行証
ロゼンカを出て六日目、東の山の切れ目に、黒い門が見えた。
街道を歩くあいだ、わたしたちは何度も杖を見られた。
宿の帳場では、魔法使いかどうかを先に訊かれるようになった。井戸端で火を灯した若者が、隣町へ行くには書類がいるらしいと話していた。子どもの咳を診るために山を越える治療師まで、王都の印がなければ怪しまれるのだと。
誰も、わたしの名前を口にしなかった。それでも、《落星の魔女》の手配が出たあとに生まれた決まりだと、言葉にしなくても分かった。
ロッテは、道端で休むたびに修繕鞄から小さな帳面を取り出していた。そこには、今まで直した町の名と、次に手紙を出す相手が書かれている。ミュレアのエルゼさん、フルセアのヨナさんとカイさん、王都のエッダさん。返事を急がせるためではない。ただ、今どこにいて、何を見たかを知らせるための帳面だった。
「王都へ行くなら、先に知らせておいた方がいいと思って」
五日目の夜、ロッテは焚き火のそばで言った。
「私たちが勝手に行って、勝手に何かを決めるんじゃなくて。町の人たちにも、知っておいてもらうため」
「わたしたちが、助けを求めることになるかもしれないから?」
「そうなるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、知らないまま巻き込まれるのは違う」
火打ち石で起こした小さな火を、ロッテはじっと見ていた。わたしは相変わらず、火を大きくしないよう魔法を使わずにいる。
誰かへ知らせることも、以前のわたしには苦手だった。助けに来てほしいと言えば、その人を危険へ連れていく気がしたから。
けれど、来るかどうかを決めるのは、知らせた相手自身だ。
「手紙を出しましょう」
そう答えると、ロッテはほっとしたように笑った。
門は城壁よりも高く、両側の岩山をつなぐように建っている。二枚の鉄扉には、昔の王の紋章と、行き交う人のための小さな白い矢印が刻まれていた。
その手前には、荷を積んだ商人、診療所へ向かう家族、旅の職人たちが長い列を作っている。
門の影は昼になっても冷たかった。石畳の両脇には、列から外れた人が荷を下ろすための浅い溝があり、そこへ麦の袋や籠が寄せられている。待つあいだに子どもへ水を飲ませる母親、馬の鼻面を撫でる御者、何度も同じ書類を畳み直す商人。通るための列なのに、誰も先へ進めず、みんなが門の前で一日の形を崩していた。
門番の呼ぶ名前がひとつ聞こえるたび、列のあちこちで肩が動く。それは安心のため息ではなく、次が自分ではなかったと知ったときの小さな緊張だった。
ロッテは鞄の肩紐を持ち直した。修繕士札を見せれば、少なくとも話は聞いてもらえるかもしれない。けれど札ひとつで通れるなら、ここにいる人たちはこんな顔をしていない。
「トーランね」
ロッテが言った。
「大きな門だわ」
「大きいだけじゃない。ここを通らないと、王都側と東の領地を行き来できないんだと思う」
列の横には、新しい立て札が立っていた。
《戦時非常法により、魔法使いの通行は身元・所属・術式の申告を要する》
その下には、黒髪の人物と長杖が描かれていた。
顔は似ていない。けれど、誰を探している紙かは分かる。
立て札の前には、荷車を引く老人が立っていた。荷台には布をかけた籠がいくつも積まれ、その隙間から薬草の匂いがする。
「三つも書かなきゃならんのか」
老人は、立て札を読めないらしく、隣にいた若い娘へ訊いた。
「身元と所属と、使える術式だって」
娘は答えた。腰に小さな杖を下げている。
「畑を温めるのと、苗の根を落ち着かせる魔法しか使えません」
「それでも書けと言うんだろう」
老人はため息をついた。
「娘は隣の谷へ嫁に行った。春に苗を植えに来てくれるんだが、通すのに半日もかかるなら、畑の方が先に駄目になる」
娘は何も言わず、杖の革紐を握り直した。
魔法使いを一人の危険として数える決まりは、同時に、畑を手入れする人、薬を運ぶ人、夜道を照らす人を止めている。わたしはそのことを、立て札の黒い字より重く感じた。
ロッテが、わたしの袖を軽く引いた。
「引き返す?」
わたしは門を見上げた。
ここまで来たのは、王都から遠ざかるためではない。王都の外にある人たちの声も、王都の中で起きていることも、同じ門を通るのだと知るためだった。
「いいえ。入れるか、訊きましょう」
「“通してもらえるか”じゃなくて?」
「ええ。わたしたちが通る理由を、話しましょう」
ロッテは少し笑った。
「それなら、私も一緒に話す」
列の先には、石造りの詰所があった。
窓口の奥で、眼鏡をかけた若い男性が、通行証へ次々と印を押している。けれど彼の横では、白い腕章をつけた騎士が書類を確かめ、一人ずつ荷物を開かせていた。
窓口の前で、泣いている子どもがいた。母親らしい女性が、病人用の紹介状を握りしめている。
「東の診療所へ行きたいんです。夫が、昨日から熱を出していて」
「紹介状だけでは通せません。術式の確認と、身元の照合が必要です」
騎士は事務的に答えた。
「でも、あの人は魔法使いじゃありません」
「同行者に魔法使いがいる場合も同じです」
女性の後ろには、杖を持った老女がいた。おそらく治療師だ。彼女は小さな声で言った。
「わたしは治療しかできません。人を傷つける魔法は」
「規則です」
列の人々は、目を伏せた。
治療師の老女は、杖を持たない手で小さな革鞄を開いた。中には布に包まれた薬瓶と、何度も使われた診察用の銀匙が入っている。
「熱を下げる術は、人の体温を少し分けるだけです」
彼女は騎士へではなく、泣いている子へ説明するように言った。
「この子のお父さんの熱も、薬だけでは間に合わないかもしれない。わたしが通らなければ、明日の朝まで待つことになる」
騎士の顔が、ほんの少しだけ固くなった。
「事情は記録します。ですが、今は規則です」
それは、悪意のある言い方ではなかった。だからこそ、余計に怖いと思った。誰かが悪人だからではなく、誰も責任を選ばない仕組みの中で、人が門の前に置かれている。
ロッテが息を吸う。
「これ、ひどいね」
「ええ」
最強の魔法使いを止めるための規則が、病人を運ぶ人まで止めている。
わたしは、自分のせいではないと言い切れなかった。
窓口の男性が、騎士へ何か言いかけ、やめた。そのとき、彼の机の後ろで小さな音がした。
印を作る魔導機が、火花を散らして止まったのだ。
「またですか」
男性が額を押さえる。
騎士は苛立った声を出した。
「通行証の発行は止める。全員、待機だ」
列に不満の声が広がった。
ロッテは、機械を見てから男性へ近づく。
「修繕士です。見てもいいですか」
「今は、通行の手続き中で」
「だから直した方がいいと思う」
男性は、ロッテの修繕士札と、止まった機械を見比べた。
「……お願いします。私は門番書記のレオン・マールです」
「リーゼロッテ・ベッカー。こっちはフリーダ」
「よろしくお願いします」
わたしが頭を下げると、レオンさんはわずかに戸惑った。
手配書の絵と、わたしを見比べたのかもしれない。
通行証の魔導機は、机ほどの大きさだった。
人の名前、通る理由、期限を記した紙を差し込むと、魔力の印が紙に浮かぶ仕組みらしい。戦時中は避難民を早く通すため、何台も作られたという。
ロッテは蓋を開け、内側の細い導線を覗き込んだ。
彼女はすぐに手を入れなかった。焼けた導線の両端へ細い木べらを当て、どこまで熱が回っているかを確かめる。焦げた金属は、つなぎ直しても、そのままでは次に流れる魔力を受け止めきれない。ロッテは傷んだ部分を少しずつ外し、無事なところだけを残していった。
わたしは机の端で外した部品を受け取った。小さな輪や留め具ばかりなのに、掌へ置かれるたび、そのひとつが誰かの半日の待ち時間につながっている気がした。
「この留め具、落とさないでね」
「落とさないわ」
「大きな石を動かすより、ずっと難しい顔をしてる」
「比べるものではないでしょう」
「でも、今はこっちの方が大事」
叱るでもなく言われて、わたしは留め具を見た。戦場なら、壊れた地面の下にあるものまで考える余裕はなかった。けれどロッテは、切れた線をつなぐ前に、残せるものをひとつずつ選んでいる。
「導線が焼けてる。術式を強くしすぎたんだね」
機械の中には、三つの異なる印が重なっていた。ひとつは、紙が本物かを確かめるためのもの。ひとつは、発行した門と日付を残すためのもの。そして、もうひとつは、杖を持つ人の魔力の癖まで読み取ろうとしている。
魔力の癖は、術式を組んだときの形に残る。火を得意とする人、治療を得意とする人、土を動かす人。完全に同じものにはならない。けれど、それは人を危険か安全かへ分ける印ではないはずだった。
「これ、照合じゃない」
ロッテが言った。
「通る人を確かめるための機械に、誰がどんな魔法を使えるか、全部押し込もうとしてる」
レオンさんが、隣の騎士を見た。
「昨夜、新しい照合術式を追加するよう命令がありました。偽造を防ぐために」
「それで、通行証が一枚も出せなくなったの?」
ロッテが訊く。
「本来は、こんなはずでは」
「本来の話をしてる間に、待ってる人は困るよ」
騎士が眉をひそめた。
「民間の修繕士が口を挟むことではない」
「壊れたものを直すのは、私の仕事です」
ロッテは導線から視線を上げない。
「でも、ここは機械が壊れたんじゃない。通すための仕組みに、止めるための仕組みを重ねすぎてる」
レオンさんは黙っていた。
わたしは、窓の外の老女を見た。子どもは、母親の上着の端を握っている。
「レオンさん」
「はい」
「以前、この門は、どんな人を通していたのですか」
彼は、古い帳面を取り出した。
「戦争の最中は、避難民、負傷者、配給の荷、兵士。あとは、家族を探す人も」
「名前が分からない人も?」
「いました」
「その人たちは、どうやって通行証を受け取ったのですか」
レオンさんは帳面を開いた。
端の擦り切れた頁に、短い記録が残っている。
《東へ避難。母子二名。氏名不明。青い外套。三日間有効。》
「目的と人数だけで、出していました」
レオンさんは、その頁の端へ触れた。
「これは、私の妹の記録です」
わたしとロッテは顔を上げた。
「戦争が始まった年、妹はまだ六歳でした。母と東の親戚のところへ逃がしたんです。でも、途中で母とはぐれて、名前も住所も言えなくなって」
彼は、帳面を閉じなかった。
「青い外套を着ていたから、この記録になった。三日後、親戚が見つけてくれました。妹は今、東の町でパン屋をしています」
「よかったわ」
「ええ。でも、あのとき誰かが『名前が分からないから通せない』と言っていたら、妹はどうなっていたか分かりません」
窓の外では、治療師の老女が、小さな鞄を握って待っている。
レオンさんは、老女の方を見た。
「私は、この帳面をしまわずに置いていました。規則としては古い。けれど、人を通すためにここにあるものだから」
騎士は何も言わなかった。
「今も、それは使えますか」
騎士がすぐに答えた。
「非常時の旧式です。今は廃止されています」
「今も非常時でしょう」
わたしが言うと、騎士の目がこちらへ向いた。
「あなたは何者だ」
その問いは、静かな詰所に落ちた。
ロッテの指が、わたしの袖に触れる。
隠れるためなら、今までと同じように外へ出ればいい。けれど、今日は自分で話すと決めた。
「フリーダ・リンデンと申します。旅の魔法使いです」
偽名は、本当の名を隠すためのものだった。それでも今、この名で直してきた水車や橋や夜道がある。
「通行証を持たない方が、病人のために門を越えることを妨げる理由にはならないと思います」
「規則を変える権限は、あなたにはない」
「ええ。ありません」
「ならば、従え」
その言葉を聞いて、列の娘が一歩だけ前へ出た。先ほど、苗の魔法しか使えないと言っていた人だ。
「従います」
彼女は、震える声で言った。
「でも、私の術式を書いて、どうするんですか。畑を温める魔法だって書いたら、次は畑の外で使うなと言われるんですか」
騎士は答えなかった。
「誰かを止めるための紙なら、私たちの暮らしまで止めないでください」
彼女はそれだけ言って、また荷車のそばへ戻った。老人は娘の肩へ手を置いた。
わたしは、彼女の言葉を覚えておこうと思った。王都へ行くのは、わたし一人の自由を求めるためだけではない。門の前で、何もしていない人まで止められないようにするためでもある。
その言葉に、レオンさんが椅子を引いた。
「旧式の緊急通行証は、門番書記の判断で発行できます。目的と人数と期限を残せば、名前や魔力の照合ができない人にも、避難や診療のための通行を認める書式です」
騎士が振り返る。
「レオン」
「期限は半日。記録はすべて残します。規則を破るのではなく、残っている規則を使うだけです」
声は震えていた。それでも、彼は古い帳面を閉じなかった。
「まず、診療所へ向かう方から」
窓の外の母親が、息を呑む。
ロッテは魔導機の焼けた導線を、手持ちの細い金属線で仮継ぎした。
「これで旧式の印なら出せる。でも、新しい照合術式は一度外さないと」
レオンさんが騎士を見る。
騎士はしばらく黙っていたが、やがて窓口の列へ目をやった。
「半日だけだ。記録を残せ」
「私は照合の監督であって、王都の捕縛隊ではない。捕縛令の有効性まで、この門で決める権限はない」
許可というより、責任を押しつける言い方だった。
それでもレオンさんは頷く。
「承知しました」
機械の内部で、淡い光が灯った。
ロッテが、わたしへ小さく手を振る。
「フリーダ。起動の魔力、入れられる?」
「どこまで?」
「この白い線まで。紙を焦がさないでね」
「努力するわ」
「努力じゃなくて、私の印を見て」
「ええ」
ロッテが機械の底に、指先ほどの青い印をつける。
わたしは杖を掲げず、掌を導線の上にかざした。小さく保つ魔法は苦手だ。けれど、ロッテが作った終点は、目の前にある。
魔力を、白い線の内側へだけ落とす。
最初は、何も起きなかった。
小さな魔法を保とうとすると、どうしても力が手の中で膨らみたがる。指先の下で、導線がかすかに震える。
「急がなくていいよ」
ロッテの声がした。
「白い線まで。そこから先は、私が受け取る」
わたしは息を吐いた。
守るための魔法は、いつも遠くへ届かなければならなかった。届かなければ、誰かが傷つくと思っていた。
けれど今は、目の前に小さな終点がある。
紙一枚が通るだけの、細い場所。
そこへ、魔力を落とす。
機械が低く唸り、差し込まれた紙へ淡い門の印が浮かんだ。
紙は焦げなかった。
「できた」
ロッテが言う。
わたしは少し遅れて、息を吐いた。
「できたわ」
光は強くない。詰所の窓から差す夕方前の光に紛れてしまいそうな、薄い印だった。それでも、窓口の外で待っていた人たちは、誰からともなく一歩ずつ近づいた。
ロッテはすぐに次の紙へ手を伸ばさず、導線の脇へ小さな布を敷いた。熱の残る部分へ直接触れないようにするためだ。
「一度にたくさん通すと、また焼けるよ」
「どれくらいなら」
レオンさんが尋ねる。
「三枚ごとに休ませて。紙を差し込む前に、印が薄くなっていないかも見て」
「私にも、できますか」
「できることを、順番にやればいいよ」
ロッテはそう言って、詰所の隅に立っていた見習いらしい少年へ紙束を渡した。
「あなたは、ここに日付を書いて。急がなくていいから、間違えないように」
少年は驚いた顔をしたあと、両手で紙束を受け取った。
魔法を使える人だけが門を動かしているわけではない。紙を整える人、名前を聞き取る人、次の人へ水を回す人がいて、ようやく一枚の通行証が形になる。その当たり前のことを、止まっていた列が少しずつ思い出していくようだった。
最初の通行証は、病人の家族と治療師へ渡された。
母親は紙を両手で受け取ると、すぐには動けなかった。子どもが、印の浮いた紙を覗き込む。
「これ、光ってる」
「門を通っていい印です」
レオンさんが答えた。
子どもは、治療師の老女を見上げた。
「お父さん、治る?」
老女はすぐには約束しなかった。
「行って、診て、できることをするよ」
その答えを聞いて、子どもは母親の手を引いた。三人が門へ急ぐ背中を、わたしは見送った。
大きな結界で町を守ることと、紙一枚を通すことは、比べようもなく違う。けれど、どちらも誰かが次の場所へ行けるようにするためのものだった。
次に、東の町へ戻る仕立て屋。その次に、孫の見舞いへ行く老夫婦。レオンさんは一枚ずつ、目的と期限を書き込んでいく。
通行証は、特別な人を選ぶ札ではなかった。
誰かが、どこかへ行くための紙だった。
次に窓口へ来たのは、背の低い少年と、片腕を包帯で吊った女性だった。
「東の織物町へ帰るんです」
女性が言う。
「家が、あちらにあるので」
少年は、緊急通行証を受け取ると、何度も表と裏を見た。
「これで、母さん、帰れる?」
「帰れますよ」
レオンさんが答える。
「期限までに、もう一度ここを通ってください」
「うん」
少年は頷き、母親の手を取った。
その手つきが、エミちゃんが姉の手を握っていた姿と重なる。
通ることも、帰ることも、誰か一人の強さだけで決まるべきではない。
日が傾くころ、列はようやく短くなった。
レオンさんは、最後の紙を机へ置く。
「フリーダさんとリーゼロッテさんの分です」
わたしは紙を見た。
《東門通行。修繕士一名、同行魔法使い一名。トーラン市街滞在、三日間。》
名前は書かれていない。
「いいのですか」
「あなた方が何者か、私は知りません」
レオンさんは言った。
「でも、今日ここで何をしたかは知っています。期限内に、必ず門へ戻ってください」
「ええ。約束します」
騎士は詰所の外で、まだ不機嫌そうに立っている。
「書記」
彼が、低い声で呼んだ。
「今日の緊急通行証については、上へ報告する。新しい照合術式を外したことも」
「はい」
「処分があっても、文句は言うな」
レオンさんの手が、通行証の束の上で止まった。
「文句は言いません。ですが、待っている人を通したことまで、間違いだったとは言いません」
騎士は返事をしなかった。
やがて門の外を一度だけ見て、見張り台の方へ戻っていく。
強い言葉で誰かを負かしたわけではない。明日になれば、レオンさんは責任を問われるかもしれない。
それでも彼は、古い帳面をもう引き出しへしまわなかった。
窓口の端に置き、誰にでも見えるように開いたままにしている。
ロッテが、小さな声で言った。
「私たちだけが助かったわけじゃないね」
「ええ」
「だから、余計にちゃんと戻らないと」
「約束したもの」
騎士も、病人を止めることが正しいとは思っていないのかもしれない。ただ、命令を正しい形で守ることだけを選んでいる。
それでも、選び方によって誰かが門の前で待たされる。
ロッテとわたしは、通行証を受け取った。
門をくぐる前、レオンさんが小さな封筒を差し出した。
「これは、昼前に届いたものです。ロゼンカから来た修繕士二人へ、と」
花びらの香りがする封だった。
ロッテが、わたしを見る。
エッダさんへの手紙の返事だ。
「ここで読んでも?」
「どうぞ」
封を開く。
中には、短い便箋と、小さな鍵が入っていた。
《手紙を受け取りました。トーランの旧記録庫、第三書庫へ。鍵は北側の小扉に合います。そこに、あなたが知るべき記録があります。急がなくてよい。ただし、一人では来ないでください。――エッダ》
便箋を持つ指が、少し震えた。
「一人では来ないで、だって」
ロッテが読んで言う。
「ええ」
「じゃあ、二人で行こう」
それは問いではなかった。
わたしは小さな鍵を握りしめる。
門の向こうには、石畳の町と、夕食の匂いと、人々の暮らしが広がっている。そのどこかに、王都から届いた記録が待っている。
「ええ。二人で」
通行証を胸の内ポケットへしまい、わたしたちはトーランの門をくぐった。




