4.深
鮫島愛華は、私の親友だった。
だから、私は愛華の死の真相を暴かなければならない。
十月。事件から三ヶ月が経った。警察の捜査は進んでいないのだろうか、進捗は何も報告されていない。自殺か事故か他殺か、いまだに結論は見えてこない。
でも私には分かる。愛華は殺されたのだ。
愛華が自分から死ぬはずがない。自殺なんてするわけがない。あの子はそういう子じゃなかった。私には分かる。親友だから。
学校では愛華の話題はほとんど出なくなった。夏休みが終わり、文化祭が終わり、中間テストが終わり、日常が戻ってきた。愛華の席には別の生徒が座っている。転校生じゃない。ただ席替えがあっただけ。愛華がいた場所に別の誰かがいる。ただそれだけのこと。
みんな忘れていく。でも、私は絶対に諦めない。愛華の親友として、真実を見つけ出す。犯人を見つけ出す。愛華を殺した誰かを、絶対に見つけ出してやる。
ノートを開く。私が三ヶ月かけて集めた情報がここにある。容疑者リスト。怪しい人物。不審な点。ごっこ遊びなんかじゃない。本気だ。
まず、川瀬雄大。愛華のバイト先の先輩。水産加工場で一緒に働いていた。事件の一週間後に会いに行った時、先輩は言った。
「愛華から連絡とか、なかったですか」
「……ない」
嘘だと思う。あの日の朝、愛華は私に電話をかけてきた。「バイトのシフト代わってくれる人、誰か知らない?」と。必死な声だった。バイトもしていない私にまで聞くほど、代わりを探していた。その愛華が、同じ工場の先輩に電話をかけないはずがない。
工場長さんに見せてもらったシフト表を、思い出す。あの日、シフトに入っていなかったのは、川瀬先輩と、パートの吉井さんだけだった。代わってもらうなら、休みの人に頼むしかない。
なぜ「ない」と言い切れたのだろう。きっと何かを隠している。
次に、藤野真帆。愛華と同じクラス。愛華が死んでから、ずっと様子がおかしい。目が泳いでいる。何かを知っている顔をしている。愛華が死んだ直後、彼女は学校を何日か休んでいた。理由は分からない。
そして、愛華の両親。母親の智恵子さんのことは愛華から聞いたことがある。勉強しろ、友達を作れ、もっと明るくなれ。愛華はいつも何か言われていたらしい。父親の浩一さんは遠洋漁業の船乗りで、ほとんど家にいない。愛華が死んだ日、父親の船は出港した。その時間と、愛華が海に行った時間が近い。愛華の足に絡まっていた網は、古い漁網だった。この辺りの漁師が昔使っていた種類のもの。偶然が重なりすぎている。何か裏があるはずだ。
私は真実を見つける。愛華のために。親友として。
放課後、水産加工場に向かった。川瀬先輩をもう一度問い詰めるために。
工場の門の前で待っていると、見覚えのある顔が出てきた。川瀬先輩だ。私を見て、一瞬顔が強張った。
「また来たのかよ」
「川瀬先輩、もう一度話を聞かせてください」
「何度来ても同じだって。俺は何も知らない」
「嘘ですよね」
一瞬、川瀬先輩の目が泳いだ。
「愛華はあの日の朝、私に電話してきました。シフトを代わってくれる人を探して。バイトもしてない私に聞くくらい、切羽詰まってました。……その愛華が、同じ工場の、休みだった先輩に電話しないはず、ないですよね」
「いやそれは……」
「シフト表、見せてもらったんです。あの日、シフトに入っていなかったのは、先輩と、パートの吉井さんだけでした。愛華から連絡があったんでしょう? シフトを代わってくれって」
川瀬先輩は黙っている。図星だ。
「なんで嘘ついたんですか。何を隠してるんですか」
「……関係ねえよ」
「関係あります。愛華は死んだんです。殺されたんです」
「殺された?」
川瀬先輩が眉をひそめた。
「自殺とか事故じゃねえの」
「愛華が自分から死ぬわけないでしょう。私は親友だから分かります。あの子はそういう子じゃなかった」
川瀬先輩は何か言いかけて、やめた。目を逸らした。
「俺は何も知らない。帰れよ」
「先輩、あの日何があったんですか。愛華に何かしたんですか」
「何もしてねえよ!」
川瀬先輩の声が大きくなった。怒っている。でも、その怒りの奥に、何か別のものが見えた。罪悪感? それとも恐怖?
「俺は……電話を切っただけだ」
「電話?」
「鮫島が電話してきた。シフト代わってくれって。俺は断った。デートの約束があったから。理由も聞かないで、電話を切った」
「えっ……それだけ?」
「それだけだよ。俺は何もしてない。でも……」
川瀬先輩の声が小さくなった。
「でも、あの時理由を聞いてたら、何か変わってたのかもしれない。分からない。分かりたくない」
川瀬先輩は愛華を殺していないみたい。でも、何かを後悔している。それは伝わった。
「お前、鮫島の親友だったんだろ」
「……はい」
「じゃあ聞くけど、鮫島があの日なんでシフト代わりたかったか、知ってるのか? 知らねえだろ。俺も知らない。誰も知らない。鮫島は誰にも言わなかった」
知らない。愛華があの日、なぜシフトを代わりたかったのか。私は知らない。愛華は「大丈夫、何でもない」とだけ言ってくれた。それだけだった。
「お前も俺と同じだよ」
「同じ?」
「聞かなかったんだろ。鮫島が何考えてたか」
返す言葉がなかった。
同じ、だったんだ。
翌日、藤野真帆を捕まえた。
昼休み、教室の隅で一人でいるところを見つけた。愛華が死んでから、藤野さんはいつも一人でいる。
「藤野さん、ちょっといい?」
藤野さんの目が泳いだ。警戒している。
「……何」
「愛華のこと、聞きたいの」
「私は何も知らない」
「嘘でしょ」
藤野さんの顔色が変わった。
「愛華が死んでから、藤野さんずっと様子おかしいよね。何か知ってるんでしょ」
「……いや」
「愛華に何かしたの?」
「してない」
藤野さんの声が震えた。
「何もしてない。ただ……」
「ただ?」
「恨んでただけ」
恨んでた?
「愛華のこと、恨んでた。ある人が愛華のこと気にしてるみたいで。勝手に恨んでた。一方的に」
「それで?」
「それだけ。恨んでただけ。何もしてない。でも、愛華が死んで……自分が呪い殺したみたいな気持ちになって……」
藤野さんの目から涙がこぼれた。
「でも愛華は、私のことなんか見てもいなかったと思う。私が勝手に恨んでただけで、愛華は何も知らなかった。三島さんは、愛華のこと知ってたの?」
「……え?」
「愛華が何考えてたか、知ってたの? 私は知らない。愛華がどんな子だったか、全然分からない。同じクラスだったのに」
「そりゃ……」
私は親友だ。知っているはずだ。知っていなければおかしい。
「知ってたよ」
声に力が宿らなかった。
「愛華はね、静かで、優しくて、真面目な子だった。私の話をいつも聞いてくれて……」
「それ、外側の話でしょ。愛華が何を好きだったかとか、何を考えてたかとか、そういうの。知ってたの?」
「……鳥、とか?」
鳥が好きだったことは知っている。入学式の日、隣の席になった愛華の鞄から、古い野鳥の図鑑が覗いていたから。子供が読むような、表紙の擦り切れた図鑑。高校の入学式に、なんでそんなものを持ってきたのか。あのとき、聞かなかった。私と愛華の一年は、その聞かなかった一問から始まっている。
「……ごめん。私も、よく分からない」
藤野さんは少し笑った。
「私たち、みんな同じだね。愛華のこと、誰も知らなかった」
みんな同じ、か。
帰り道、愛華のSNSを見返した。何度も見た投稿。でも、見るたびに分からなくなる。愛華のアカウントにフォロワーは二十人もいない。投稿は少ない。最後の投稿は、死ぬ十日前。曇り空の写真でキャプションはない。その前。海の写真。空の写真。雲の写真。そして、三月の投稿。海鳥の写真。白と黒の小さな鳥。ピントがぼやけている。キャプションは一言。「見つけた」。
何を見つけたのだろう。この鳥を見つけたってこと? それが愛華にとって、どんな意味があったのだろう。私は親友なのに、分からない。コメント欄を見るが、コメントはゼロ。いいねは二つ。私はいいねを押していない。この投稿を見た記憶すらない。愛華がこの写真を上げた時、私は何をしていたんだろう。自分のことで忙しくて、愛華の投稿なんて見ていなかったのかもしれない。親友なのに。親友なら、友達の投稿くらい見るはずなのに。
他の投稿も見返す。海。空。鳥。たまに食べ物。人は写っていない。私も写っていない。愛華と一緒に撮った写真は、愛華の投稿には一枚もない。私の投稿には? ……ない。探してみたが、一枚もなかった。
数日後、愛華の家を訪ねた。
愛華のお母さんに連絡を取って、愛華の部屋を見せてほしいと頼んだ。犯人を見つけるためだ。愛華の部屋に何か手がかりがあるかもしれない。
でも、心のどこかで別のことを考えていた。
愛華のことを、もっと知りたい。
親友なのに知らないことが多すぎる。それを埋めたい。
愛華の家は、港から少し離れた住宅街にある、古い一軒家。私は愛華の家に、彼女が生きている間一度も来たことがなかった。親友なのに。なぜ来なかったんだろう。誘われなかったから? 私から「行っていい?」と言わなかったから?
インターホンを押すと、愛華のお母さんが出てきた。三ヶ月前より痩せていた。
「あなたが三島さんね。どうぞ」
家の中に入る。古い匂い。潮の匂いも少しする。
「愛華の部屋、二階なの」
階段を上った先、廊下の突き当たりのドアを開けると、愛華の部屋がそのまま残されていた。教科書は本棚に並び、制服はクローゼットにかかり、机の上には何もない。愛華らしい、と思うと同時に違和感があった。この部屋には個性がない。愛華という人間の痕跡がほとんどない。ポスターも写真も飾っていない。好きなものが何も見えない。私の部屋は違う。好きなアイドルのポスターが貼ってあるし、写真も飾ってある。一目で私の部屋だと分かる。愛華の部屋は、誰の部屋でもないみたいだ。
何か怪しいものがないか、手がかりを探す。脅迫状や、誰かとのやり取りとか。机の引き出しを開けてみる。文房具。便箋。スケッチブック。何の変哲もない。
「この子、絵を描いてたの。知ってた?」
知らなかった。愛華が絵を描いていたなんて。
スケッチブックを受け取り開いてみる。鳥の絵ばかりだ。何枚もの海鳥。白と黒の羽。
「ウミスズメっていう鳥らしいの。私も知らなかった。この子が絵を描いてたこと」
私が知らなかった愛華の世界。最後のページに近い場所に、日付が書いてあった。七月十五日。死ぬ二日前。描かれている鳥は、羽がぼろぼろで、翼が変な方向に曲がっている。ケガ、明日も見に行こう。そう手書きで書いてある。
明日。七月十六日。愛華が死んだ前日。愛華は傷ついた鳥を見つけていた。だからあの日、海に? いや違う。そんなはずはない。鳥を見に行って死んだ? それは事故だ。他殺じゃない。でも、愛華がなぜ海に行ったのか、これで説明がついてしまう。犯人を探していたのに、見つかったのは別のものだった。
「三島さん、愛華と仲良かったのよね」
「……はい」
「愛華、三島さんに何か言ってた? 私に話してくれなくても、友達には話してたのかなって」
思い出そうとするが、思い出せない。私がずっと喋っていて、愛華は聞いていただけ。愛華から話しかけてきたことが、あっただろうか。あった。一度だけ。でも、私は聞き流した。
「……あんまり、話してくれなかったです」
正直に答えた。嘘はつけなかった。
「そう……愛華は誰にも話さなかったのね。私にも、友達にも。愛華って、どんな子だったのかなぁ」
その質問に、言葉が詰まった。愛華はどんな子だったか。静かで、優しくて、真面目で。でもそれは外側の話だ。藤野さんに言われた言葉が蘇る。愛華の内側。愛華が本当に考えていたこと。愛華が何を見て、何を感じていたか。私は知らない。
「……分からないんです。親友だったのに、愛華のこと、分からないんです。絵を描いてたことも知らなかった。この鳥のことも知らなかった。何も知らなかった。私、学校では愛華と毎日一緒にいました。お昼も一緒に食べてたし、帰りも一緒だった。でも、愛華が何を好きで、何を考えてたか、全然分からない。今日初めて知ったことばかりで……」
「私も同じよ」
「十七年一緒にいたのに、何も知らなかった。親友も、母親も、同じね」
同じ。近くにいたはずなのに、何も知らなかったという点で。
ページを戻してみた。
日付が飛び飛びに入っている。三月二十八日。四月十日。四月十七日。五月二日。どれも鳥の絵で、どれも短い言葉が添えてある。元気そう。今日はいない。潜るのが速い。
五月三十日のページで、手が止まった。
その日は、絵がなかった。
いつもと同じ場所に、日付だけがある。その下に、鳥じゃない字。
五月三十日 蒼を誘った 断られた
三行。それだけだった。
前後のページをめくった。人の名前が出てくるのは、そこだけだった。四十枚近い鳥の絵の中で、そのページだけが、私のページだった。
思い出そうとした。五月の終わり。帰り道。愛華が何か言っていた。海鳥がどうとか。水の中を飛ぶとか。朝早いから無理、と私は言った。眠いし、と言った。それから、たぶん、別の話をした。何の話をしたかは、覚えていない。
覚えていないのだ。私が断ったその日のことを、私は覚えていない。
でも愛華は、家に帰って、スケッチブックを開いて、絵の代わりにこれを書いた。
蒼を誘った。断られた。
責める言葉は、一つもない。ひどい、とも、悲しい、とも書いていない。愛華はいつもそうだ。ケガしてた。元気そう。断られた。見たことを、見たとおりに書くだけ。だから余計に、逃げ場がなかった。
これは、証拠だ。
私がずっと探していた、事件の証拠じゃない。愛華の生活に私が登場していたという、証拠。そして私が、その登場を無駄にしたという、証拠。「あの日」がいつだったのか、愛華の側には日付があって、私の側にはない。
同じ一日を、私たちは違う濃さで生きていた。私にとっては、断ったことも忘れる程度の帰り道で、愛華にとっては、絵を描かずに三行書く日だった。
親友って、こういうことじゃないと思う。
親友なら、覚えているはずだ。誘われたことを。断ったことを。次の日に、やっぱり行こうかな、と言えたはずだ。言えるタイミングは、あの日から死ぬまでに、四十八日あった。
私はそのうち一日も、思い出さなかった。
スケッチブックを閉じようとして、できなかった。指が動かなかった。三行の上に、指を置いたまま、私はしばらくそのページを見ていた。
「……蒼ちゃん?」
おばさんの声で、我に返った。
「……ううん、なんでもないです」
嘘をついた。愛華みたいに。
愛華の家を出て、海岸に向かった。
犯人を探していたはずだった。川瀬先輩を疑った。藤野さんを疑った。愛華の両親も疑った。でも、誰も犯人じゃなかった。川瀬先輩は電話を切った罪悪感を抱えていた。藤野さんは一方的に恨んでいた罪悪感を抱えていた。愛華のお母さんは知らなかった罪悪感を抱えていた。
誰も愛華を殺していない。でも、私を含めて誰も愛華を見ていなかった。
愛華が見つかった海岸に着いた。岩場の献花は少なくなっている。三ヶ月経って、みんな忘れていく。私だけが覚えている? 違う。私も忘れていた。愛華のことを、最初から知らなかった。
岩場に座って、海を見た。秋の海。夏よりも灰色が濃い。
ふと、思い出した。五月か六月か、放課後、一緒に帰っている時のこと。
「蒼」
「ん?」
「海鳥って、水の中を飛ぶんだよ」
珍しく愛華が話しかけてくれていた。
「え? 何それ」
「ウミスズメっていう鳥。翼を使って水中を泳ぐの。空を飛ぶより、水中の方が得意なんだって」
「へえ」
正直、興味がなかった。
「この前、浜で見つけたの。すごく小さくて、一生懸命泳いでて」
「ふうん」
「蒼も今度、一緒に見に行かない? 朝早いけど」
「えー、朝早いのは無理。眠いし」
「……そっか」
それから私の話を愛華は黙って聞いていた。いつものように。あの時、私が「行く」と言っていたら。愛華と一緒に、あの鳥を見に行っていたら。何か変わっていただろうか。
愛華のことを、もう少し知れていただろうか。
愛華は二度と誘ってこなかった。私が断ったから。私が興味を示さなかったから。 愛華は諦めたのだ。私に何かを見せることを。
風が吹いた。冷たい、秋の風。
ふと、何かが飛んでいるのが見えた。
小さな鳥。白と黒の羽。海面すれすれを、ばたばたと飛んでいる。そして、ふっと海に潜った。消えた。数秒後、少し離れた場所で顔を出した。口に小さな魚をくわえている。
ウミスズメ。愛華が好きだった鳥。愛華が絵に描いていた鳥。愛華が私を誘って、見に行こうと言った鳥。私は初めて、その鳥を見た。愛華が死んでから三ヶ月経って、初めて。
小さい。本当に小さい。一生懸命飛んでいる。
愛華は、これを見ていたのか。私が断った朝も、愛華は一人でここに来て、この鳥を見ていたのか。私が隣にいない場所で、愛華は自分の好きなものを見ていた。私は知らなかった。知ろうとしなかった。胸が締めつけられる。私は愛華の「親友」だった。毎日一緒にいた。隣にいた。でも、愛華が何を見ていたか、知らなかった。愛華が何を好きか、知らなかった。愛華が何を考えていたか、知らなかった。愛華が一度だけ見せようとしてくれた時、断った。
だから、分からないのだ。愛華を殺した犯人が誰なのか。愛華がなぜ死んだのか。
私が愛華のことを何も知らないから。私は「親友」というポジションに安心していただけだった。一人でいるのが嫌で、誰かの隣にいたかった。愛華は何も求めてこないから、都合がよかった。一緒にいても疲れない。何も要求されない。楽だった。
愛華にとって、私は何だったんだろう。友達だったのか。それとも、ただ隣にいる人だっただけなのか。
でも、だからこそ、私は探し続けなければならない。愛華は殺されたのだ。誰かに。
川瀬先輩は嘘をついていた。藤野さんは愛華を恨んでいた。愛華のお母さんは過干渉だった。お父さんは不在で、網を残していた。誰かが愛華を殺した。誰かが愛華を海に突き落とした。愛華が自分から死ぬはずがない。自殺なんてするわけがない。そう信じたい。
そう信じなければ、私は、愛華の苦しみに何も気づかなかった最低の「親友」になってしまう。他殺なら、私のせいじゃない。犯人のせいだ。自殺なら、私のせいだ。気づかなかった私のせいだ。
だから、他殺であってほしい。そう思っている自分が、醜い。
海に向かって呟いた。
「私、あなたのこと何も知らなかった。親友だと思ってたのに。あなたが何を見てたか、何を好きだったか、何を考えてたか、全然知らなかった」
風が頬を擦る。冷たい風が、撫でるように吹いているとは思えない。
「でも、犯人は見つける。あなたを殺した誰かを、絶対に見つける。それまで諦めない」
ウミスズメが、また海に潜った。
波の音だけが聞こえる。愛華は答えない。答えるはずがない。
帰ろうとして、足が、岩場の方へ向いた。
噂で聞いていた。愛華の靴は、岩の上に、揃えて置いてあったらしい。だからみんな言う。自分で入ったんだ、って。覚悟のある人の脱ぎ方だ、って。
どの岩なのかは、噂は教えてくれない。
平らな岩は、いくつもあった。腰かけられそうな岩。荷物を置けそうな岩。三ヶ月分の波と風が通り過ぎた岩場は、どこも同じ顔をしていて、何も覚えていなかった。
私はそのひとつに、座ってみた。
冷たかった。十月の岩は、制服のスカート越しでも冷たい。ここから見る海は、教室の窓から見る海と、同じ灰色をしていた。あの子が最後に見た景色の候補が、目の前にある。候補、としか言えないことが、悔しかった。
みんなが言う「覚悟」を、私は信じていない。
靴が揃えてあったから、自殺。そんなの、あの子を知らない人の推理だ。愛華は、いつも靴を揃える子だった。昇降口で、脱いだローファーを、毎朝手で直していた。かかとを、こつん、と合わせて。誰も見ていないのに。体育館でも、家庭科室でも、あの子の脱いだ靴だけ、いつも揃っていた。
癖なんだよ、あれは。
覚悟なんかじゃない。ただの、癖。
でも、それを知っているのは、たぶん、毎日隣で靴を脱いでいた私だけで、警察も、町の人も、誰も私に聞きに来ない。「親友」の私が持っている、たったひとつの本物の証拠は、証拠として、どこにも提出できない。
試しに、靴を脱いでみようと思った。
あの子がしたことを、順番になぞれば、何かにたどり着ける気がした。岩に座ったまま、ローファーのかかとに、指をかけた。
脱げなかった。
指が、かかったまま、動かなかった。波打ち際までは、まだ十メートルもある。海に入るわけでもない。ただ靴を脱ぐだけ。それだけのことが、できなかった。十月の風が足首を撫でて、私は指を離した。
愛華は、ここで、脱げたのだ。
それが何を意味するのか、まだ決めたくなかった。私は靴を履いたまま立ち上がって、岩を一度だけ、手のひらで払った。座った跡を、消すみたいに。
家に帰って、自分の部屋に入った。愛華からもらったものを探してみる。誕生日プレゼント。クリスマスプレゼント。手紙。何か無いかと思ったが、見つからなかった。愛華から何かをもらった記憶がない。私が愛華に何かをあげた記憶もない。「親友」だったはずなのに。
かわりに、ノートを開いて、後回しにしていた作業を始めた。
愛華のアカウントの投稿を、最初から最後まで、全部書き写す。日付。写真の中身。キャプション。いいねの数。二年ぶんで、四十一件。一晩あれば写せてしまう量だということが、まず、こたえた。
書き写してみて、気づいたことが三つあった。
ひとつ。今年に入ってから、写真は全部、浜だった。去年までは、たまに空とか、猫とか、文化祭の景品とかが混ざっていたのに、三月からは、浜と、海と、波だけ。
ふたつ。全部、朝だった。影が、どの写真でも同じ向きに、長く伸びている。放課後の浜じゃない。朝の浜。バイトも学校もある子が、わざわざ早起きして行く時間。
みっつ。「見つけた」。三月二十八日の、ピントの合っていない写真。いいねが、二つ。どこの誰かも知らない、二つ。
私は、押していなかった。
流れてきたはずだ。見たはずだ。ピンボケの、なんだかよく写っていない写真。ふうん、と思って、指を止めずに、通り過ぎた。親友の「見つけた」を、私は素通りした。どこの誰かも知らない二人の方が、私より、あの子の報せを受け取っていた。
ノートに、事実だけを書いた。
愛華は、今年の三月から、朝の浜に通っていた。
書いてから、その一行を、長いこと見ていた。三ヶ月調べて、増えた確かなことは、これだけだった。理由の欄は、空白のままだ。
スケッチの鳥と、朝の浜。並べれば、何かが見えそうな気もした。でも、鳥は容疑者になれない。私が探しているのは、犯人だ。朝の浜で、誰かと会っていたのかもしれない。待ち合わせみたいに、通っていたのかもしれない。その誰かが——ノートの新しいページに、書いた。朝の浜。誰と?
誰と、じゃないのかもしれない。その可能性だけ、私はまだ、ページに書けなかった。
深い付き合いだと思っていた。でも、浅かった。私は愛華の深いところに一度も触れていなかった。だから今度こそ、深く潜る。愛華の死の真相まで、深く、深く。
でも愛華は証拠を何も遺さなかった。私に何も遺さなかった。遺す気がなかったのか。遺すものがなかったのか。遺しても無駄だと思っていたのか。
彼女は、何も遺さなかった。




