位相反転の揺り戻しと地下からの生還
核が粉砕された瞬間の静寂は、真の安息ではなかった。
主機室のドーム状の天井から、巨大なコンクリートの塊が轟音を立てて落下した。粉塵がもうもうと立ち込め、視界を灰色に塗り潰す。三次元の空間が無理やり引き戻されたことで生じた、強烈な空間の揺り戻しだった。
『退避しろ! 空間の歪みが元の座標へ収束するぞ!』
後藤教官の裂帛の気合が、粉塵を切り裂いた。
『このフロアの構造強度はすでにゼロだ! あと三分で天井全体が落ちてくる! 動ける者は負傷者を担げ!』
床が激しく上下に揺れていた。多朗は震える足に力を込め、仰向けに倒れていた剛田の元へ駆け寄った。剛田の右腕の外骨格フレームは破裂し、炭素繊維の破片が肉に食い込んでいた。肩の関節は異様な方向に下がり、激痛に顔を歪めて脂汗を流している。
『おい、剛田! しっかりしろ!』
『多朗、か。へへっ、どうだ、オレの渾身の一撃はよ』
剛田は口端から血を垂らしながら、力なく笑おうとした。
『最高だったよ。お前の一撃がなけりゃ、オレたち全員ミンチだった。ほら、肩を貸すぞ。立つんだ!』
多朗は剛田の無事な左腕を自らの首の後ろに回し、必死に引き起こした。百キロ近い巨躯の重量が多朗の細い肩に食い込む。多朗自身の両腕も、パルスガンの反動で筋組織がズタズタに裂けていたが、歯を食いしばって激痛をねじ伏せた。
すぐ横では、相羽が壁に手をついて荒い息を吐いていた。割れた眼鏡のフレームを捨て去り、血の滲む瞼を細めて足元を確かめている。
『相羽、見えるか!』
琴音が駆け寄り、相羽の腰を抱きかかえるようにして支えた。
『ええ、輪郭だけは。防壁の過負荷で視神経が一時的に麻痺しているけれど、歩行に支障はないわ。琴音、あなたの腕の火傷は大丈夫なの』
『こんなの、ただの擦り傷よ! それより早くここを出るわよ!』
琴音の両手の甲は、大気冷却の反動で皮膚が赤黒く変色していたが、相羽の身体をしっかりと抱え直して前を向いた。
『陣内、ドローンの帰還信号を切れ! 機器を捨てて走れ!』
石田教官が怒鳴りながら、通信機器のケーブルを軍用ナイフで一気に叩き切った。
『機器なんぞ後でいくらでも調達できる! てめえの生身の肉体を運ぶことだけに集中しろ!』
『は、はい!』
陣内は鼻血を袖口で拭い、壊れかけた小型端末だけを胸ポケットに押し込んで走り出した。
主機室の出入り口へ向かう多朗たちの前で、よろめく影があった。
榊先輩だった。
皮下神経ブースターの強制稼働による反動で、榊の全身の皮膚は赤黒く充血し、膝が小刻みに痙攣していた。手にした短機関銃を杖代わりに引きずりながら、それでも前へ進もうとしている。
『榊、無理をするな!』
後藤教官が駆け寄り、榊の脇の下に肩を入れようとした。
『触らないでください、教官。俺はまだ、自分の足で歩けます』
榊は血の気の引いた唇を噛み、後藤の手を振り払おうとした。
『上級生の俺が、一年坊主どもに背中を押されて帰れるかよ。俺はまだ死んでねえ。家族に金を送るまでは、這いつくばってでも生きて帰るんだよ』
その凄まじい執念に、後藤はそれ以上言葉を挟まず、無言で榊の歩調に合わせて横を固めた。
一行は崩落する主機室を抜け、地下四階の補給プラットホームへと続く搬入スロープを駆け上がった。背後で、第二種核が鎮座していた主機室が完全に崩壊し、数百トンの瓦礫が退路を埋め尽くす轟音が響き渡る。間一髪だった。
煙の立ち込める地下四階の隔壁を潜り抜けた瞬間、前方から鋭い足音が迫ってきた。
『誰だ!』
現れたのは、地底レプティリアン部隊の兵士たちだった。生き残った巨躯の戦士たちが、大型の防護盾を構えて通路の安全を確保していた。その中央から、痛む脇腹を包帯で固めたザルクス隊長が姿を現した。
『全員、生きて戻ったか』
ザルクスの黄色い瞳が、煤まみれの多朗たちを一人ずつ見定めていく。その視線が、多朗の肩に担がれた剛田の砕けたアーム、血まみれの榊、そしてマナの無事な姿に止まった。
『叔父さん』
マナが小さく呼びかけると、ザルクスは鼻から太い息を噴き出した。
『言ったはずだぞ、多朗。お嬢に傷一つでも付けて帰ってきたら、貴様の頭蓋骨を万力で締め上げると』
『見ての通りです、ザルクス隊長』
多朗は息を切らしながら、真っ直ぐにザルクスを見つめ返した。
『マナには、かすり傷一つ負わせていません』
ザルクスはしばし多朗を睨み据えていたが、やがて獰猛な牙をわずかに緩め、太い喉を鳴らした。
『合格だ、クソガキが。主機室の反転波形が消滅したのを確認した。貴様ら生体アンカーの働き、見事だったぞ。五族協和軍の名において、貴様らの戦功を認める』
ザルクスは部下に合図を出し、担架と応急処置キットを運ばせた。
『カズ、地上へのエレベーターシャフトはオレの部隊が確保してある。早くこのガキどもを上に連れて行け。ここはまだ、完全に安定したわけじゃない』
『恩に着る、ザルクス。社務所の酒の件、忘れるなよ』
後藤教官が短く返し、多朗たちを促した。
鋼鉄の非常用エレベーターのケージに乗り込むと、重い鉄扉が閉ざされた。
上昇を始める振動の中、多朗は壁に背中を預けて深く息を吐いた。生き残った。あの暗黒の底から、全員で生きて戻ってきたのだ。




