飢えた狼の血路と切断される限界点
第三主機室の巨大な空間に満ちていたのは、物理法則そのものが軋み声をあげる異様な不協和音だった。
中央に浮遊する第二種侵食核。光を呑み込む漆黒の多面体結晶から、空間を剪断する紫色の雑音光が幾重にも放射されている。その周囲を取り巻く大気は分子配列を失い、触れた鋼鉄の支柱が音もなく砂のような微粒子となって崩落していった。
さらに、その核を守るようにして、空間の亀裂から無数の異形が這い出していた。
赤塚の交差点で遭遇した影とは別物だ。半透明の結晶質の外骨格を持ち、関節が逆方向に折れ曲がった黒い獣のような尖兵群。数十匹に及ぶ異形の群れが、床を侵食しながら侵入者である多朗たちへと切先のような眼光を向ける。
『散開! 射線を開け!』
後藤教官の怒号が響くよりも早く、一筋の紫の光が前方の闇を切り裂いた。
榊先輩だった。
首筋に埋め込まれた神経加速器が、常人なら脳の血管を破裂させる臨界値を超えて青紫の光を放っている。全身の筋肉を痙攣させ、眼球を赤く充血させた榊は、常軌を逸した初速で床を蹴っていた。
『一年坊主どもに、余計な手間をかけさせるんじゃねえ!』
咆哮とともに、手にした短機関銃が火を噴いた。
超重金属の弾頭が結晶質の獣の頭蓋に直撃し、甲高い破砕音とともに吹き飛ばす。だが、直後に別の二匹が左右から榊の首を刈り取ろうと跳躍した。
『榊、跳べ!』
背後から強襲班の上級生二名が滑り込み、携帯散弾銃を一斉に斉射した。鉛の散弾が異形の脚部を薙ぎ払う。しかし、弾け飛んだ異形の体液が床に触れた瞬間、そこにある空間が反転し、上級生の一人の右足が軍靴ごと壁の石材の中へ分子レベルで融合した。
『ぐあああっ!』
絶叫が地下空間に反響する。
『足を止めるな! 引きずり出せ!』
後藤教官が駆け寄り、軍用ナイフで石材と癒着した装甲服の裾を力づくで切り裂いた。山口教官が背中から太い神経遮断薬の注射器を抜き、叫ぶ上級生の首筋へ容赦なく突き立てる。
『痛がっている暇はないぞ! 意識を保て!』
これが、大人の、そして先陣を切る者たちの戦場だった。一瞬の油断が即座に身体の存在そのものを消滅させる。
『おい、デカブツ! パルス銃の射点を確保するぞ!』
榊が床を転がりながら叫んだ。短機関銃の弾倉を叩き落とし、予備の弾薬筒を素早く装填する。その指先からは、神経過負荷による激しい震えが止まっていなかった。皮膚の毛穴という毛穴から赤い血が吹き出し、制服の襟元を赤黒く染め上げている。
(この人は、本当に自分の身体を削り倒す気だ。家族に金を残すために、ここで命を燃やし尽くすつもりなんだ)
多朗の胸を熱い塊が突き上げる。
逃げ場のない地下要塞の底。大人たちが必死に補給路を支え、先輩たちが血を吐きながら道を切り拓いている。ならば、自分たちが怯える理由など、どこにもない。
『琴音、前方の獣の足を止めろ! 陣内、外周の歪み波形を読め!』
多朗が叫ぶと、琴音が前進した。
『大気の摩擦熱、一気に奪う! 凍りついて!』
琴音が両手を大きく広げると、主機室の外周に突風が吹き荒れた。分子の衝突運動が極限まで減速し、床を這う結晶獣の足元が白い霜に覆われて動きを鈍らせる。その隙を逃さず、剛田が地響きを立てて突進した。
『どけええッ!』
石田教官によって修復された鋼鉄腕が、唸りをあげて振り下ろされた。ザルクスの結晶を噛ませた質量打撃が空気を圧搾し、凍りついた獣の群れをまとめて粉砕する。
『多朗、道は開いたぞ! 核の直下へ飛び込め!』
榊先輩が血まみれの顔で叫び、最後の尖兵を銃床で叩き潰した。
その足元に広がるのは、漆黒の巨大結晶が鎮座する、三次元の崩壊点だった。




