歪曲回廊の突破と脈動する第二種核
地下四階から地下五階へと下る巨大搬入路は、すでに通常の建築力学が完全に破綻した異界の回廊と化していた。
壁面のコンクリートはまるで波打つ水面のようにうねり、一定のリズムで伸縮を繰り返している。天井の照明は粉々に破裂し、代わりに空間の亀裂から漏れ出す紫色の燐光が、通路全体を不気味な薄明かりで照らし出していた。
『階段が直角にねじれてやがるぞ。どこに足を乗せりゃいいんだ』
剛田が額に脂汗を浮かべ、外骨格アームを構えながら呻いた。先の交差点での負荷により、アームの油圧シリンダーから漏れ出た黒いオイルが足元に点々と落ちている。
『文句を垂れるな、デカブツ。足を止めた瞬間、床のコンクリートに膝まで呑み込まれるぞ』
背後から榊先輩の乾いた声が飛んだ。皮下神経ブースターの紫光を爛々と灯した榊は、短機関銃を構えたまま壁の変形を油断なく睨み据えている。その皮膚の端々からは、過負荷による微細な出血が滲んでいたが、歩調には一切の乱れがなかった。
『きよし、ザルクスの素材を組み込むぞ。時間をかけるな』
後藤教官の合図に、石田教官が素早く動いた。煙草の吸殻を靴底で踏み消し、多朗の手からザルクスの位相変異金属を受け取る。
『へっ、あのトカゲの旦那め、とっておきの宝物を出し惜しみしやがらなかったな。おい剛田、腕を突き出せ!』
石田は腰の工具ホルダーから銀色のキャニスターを抜き放ち、青白く発光する触媒ゲルを剛田のアーム駆動部へ擦り付けた。そこへ、ザルクスから託された六角柱の結晶を力技で押し込む。
キィン、と耳を劈く硬質な共鳴音が通路に反響した。
『うおおっ、なんだこれ。急に軽くなったぞ!』
剛田が目を見開いた。破損していた油圧シリンダーの亀裂が、まるで生き物の傷口のように青白い光を帯びて瞬く間に塞がり、炭素完全結晶のシームレスなフレームへと再構築されていく。ザルクスが秘蔵していた超高純度金属と、石田の泥臭い技術が融合し、急造兵器は桁違いの剛性を獲得していた。
『浮かれるな。てめえの神経を直接喰いながら動いてるんだ。多朗のパルスガンにも直結したぞ。これで第二種の歪みにも弾かれずに杭を打ち込める』
石田がパルスガンの機関部を激しく叩いて多朗へ投げ返した。多朗はそれを受け止め、ずっしりとした重力感を手袋越しに確かめる。
(ザルクス隊長や石田教官、大人たちが命を削って繋いでくれた牙だ。絶対に無駄にはできない)
『陣内、通路の位相データを更新しろ。どこが本物の床だ』
多朗が対位相バイザーの縁を押し下げながら問う。陣内は震える指先で携帯端末のキーボードを強打し、激しく明滅する画面を睨みつけた。
『空間歪曲係数、四点五! 通路全体が万華鏡のように多重屈折しています。視覚情報に騙されたら即座に圧死します!』
『ドローンを先行させる。オレの頭の中に座標を流し込め!』
多朗は背中のコンテナから二機の索敵ドローンを低空へ射出した。青いインジケーターを点滅させながらドローンが歪んだ回廊へ突入する。
ドローンが捉えた立体測量データが、多朗の空間把握能力へとダイレクトに流れ込んできた。頭蓋骨の奥を熱い鉄条網で引っ掻かれるような激痛。多朗は奥歯を砕けんばかりに噛み締め、網膜に結像する無数の虚像の中から、唯一三次元に繋がっている細い実体ラインを掴み取った。
『オレの踏んだ足跡だけを踏め! 右に三十センチでもズレたら虚空に落ちるぞ!』
多朗が叫び、歪んだ空間の裂け目へと身を躍らせた。
重力が右へ九十度傾くような強烈な吐き気が襲いかかる。三半規管が狂い、上下感覚が消失しそうになるのを、多朗は気迫だけでねじ伏せた。
『琴音、前方の気流を均一に固定しろ! 空間の揺れを止めろ!』
『了解、任せて!』
琴音が両手を突き出し、大気中の分子を激しく衝突させた。キィンという高周波の唸りとともに、前方のねじれていた大気がガラスのように硬化し、空間の不規則な振動が目に見えて減衰していく。
『相羽、側面の防壁を維持しろ! 破片を通すな!』
『展開中。問題ない』
相羽が眼鏡の奥の瞳を研ぎ澄まし、青白い幾何学の八面体防壁を多朗たちの左右に滑り込ませた。歪んだ壁から弾け飛ぶコンクリートの破片が、防壁の表面で激しい火花を散らして弾き飛ばされる。
『強襲班、全周警戒! 一歩も遅れるな!』
後藤教官と榊先輩が、アンカー班の背後を固めながら確実に歩調を合わせる。泥臭く、しかし寸分の狂いもない連携。
そして、十数メートルに及ぶ狂気の歪曲回廊を突破した瞬間。
視界が一気に、爆発的な広がりをもって開けた。
旧陸軍成増飛行場の地下要塞において最大の容積を誇る、第三主機室。
巨大な発電タービンや配管が林立していたはずのドーム状の空間は、いまやその中央部が巨大な擂り鉢のように抉り取られていた。
空間のへそとも呼ぶべきその中心に、それは浮遊していた。
直径十メートルを超える、光を呑み込む漆黒の多面体結晶。
それはまるで脈動する心臓のように、ドクン、ドクンと重々しい低周波を放ちながら空間そのものを軋ませていた。結晶の表面からは、三次元の物理法則を解体する黒紫色のノイズが稲妻のように奔流となって迸っている。
第二種侵食核。
赤塚の交差点で打ち砕いた歪みとは、質量も密度も次元の格もまるで違っていた。立っているだけで神経が内側から削り取られるような圧倒的な重圧の中、多朗は生体波長パルスガンを固く握りしめた。




