地下プラットホームの死線と鱗持つ守護者
冷え切ったコンクリートの粉塵が、微小な火花とともに舞っていた。
地下四階、五族協和軍の共同前線補給プラットホーム。太平洋戦争の時代から秘匿され、戦後も極秘裏に拡張され続けてきた地下要塞の中枢は、凄まじい衝撃波によって激しく損壊していた。
数千トンの圧力を支える極厚の超重金属隔壁には無数の亀裂が走り、天井の鉄骨がねじれて垂れ下がっている。高圧電線が火花を散らす薄暗がりの中、青黒い液体が床のあちこちに飛び散っていた。
『止まれ、索敵ラインを崩すな』
先頭を進む後藤教官が低く押し殺した声でハンドサインを出した。後藤の構える自動小銃が、硝煙の立ち込める通路を鋭く左右へ走る。そのすぐ背後では、神経ブースターの紫の光を首筋に脈打たせた榊先輩が、油断なく短機関銃の銃口を突き出していた。
だが、後続の多朗たちの目は、通路の床に転がる異様なものに釘付けになっていた。
そこに倒れ伏していたのは、人間ではなかった。
鋼鉄のように硬質な漆黒の鱗に覆われた皮膚。太い尾。人間の二倍はある太い腕に、鋭利な鉤爪。二メートルを遥かに超える巨大な爬虫類の怪異が、装甲板ごと床にねじり倒されていた。
『な、なんだよこれ。バケモノか』
剛田が息を呑み、恐怖に顔を歪めて外骨格アームを反射的に胸元へ引き寄せた。
『敵の死骸じゃないですよね。自衛隊の装備とも、侵食の影ともまるで違う』
陣内が端末を持つ手を小刻みに震わせ、後退りする。琴音も息を詰まらせ、両手に纏わせた気流の膜を強張らせていた。多朗の喉の奥が一気に乾き上がる。地上で見た影の化け物とは別の、圧倒的な質量を持つ異形の生物。それが地下通路のいたるところに転がり、青黒い血を流している。
そのとき、通路の奥、ひしゃげた重金属コンテナの影で巨大な瓦礫が音を立てて崩れ落ちた。
ズシン、と床を揺らす重い足音。
煙の奥から立ち上がったのは、さらに一回り巨大な、黒い鱗を持つ筋骨隆々の影だった。胸部に深い裂傷を負い、青黒い血を滴らせながらも、その怪異は片腕で煙を噴く大型重機関砲を軽々と握り直していた。
『敵か!』
榊先輩が反射的に銃口を跳ね上げ、引き金に指をかけた。剛田も叫び声を上げながらアームを突き出そうとする。
だが、その銃口の前に、制服の裾を翻して飛び出した影があった。
『撃たないで!』
マナだった。
多朗たちが制止する間もなく、マナは瓦礫を飛び越え、その恐ろしい巨躯の足元へと駆け寄った。
『ザルクス叔父さん!』
『はあ!?』
剛田が素っ頓狂な声を上げた。多朗の思考が完全に凍りつく。
(叔父さん? いま、マナは何て言った。あの怪物が叔父さんだと!?)
『お嬢! 来るなと言ったはずだ!』
怪異はマナを見下ろすと、地鳴りのような太い咆哮をあげた。黄色い縦裂きの瞳が怒りに見開かれ、牙の並ぶ口から青黒い血泡が吹き飛ぶ。
『おとなしく待っていろとあれほど言っただろうが! ここは貴様のような小娘が来る場所じゃねえ!』
『叔父さんのバイタルが消えかけたから来たんです! 息も絶え絶えなくせに怒鳴らないで!』
目の前で繰り広げられる、あまりにも世俗的で、剥き出しの怒鳴り合い。
多朗、琴音、剛田、陣内は、銃を構えたまま完全に言葉を失い、白昼夢でも見ているかのように棒立ちになった。
『全員、銃を下ろせ! 敵ではない!』
後藤教官が歩み寄り、多朗たちの前に立ちはだかって銃身を押し下げさせた。
『五族協和軍の同盟部隊、地底レプティリアン部隊のザルクス隊長だ。この地下要塞の防衛と補給を共同で担っている正規の同盟者だ。説明している時間はなかったが、味方だ』
『トカゲの同盟軍だと!?』
剛田が目を白黒させ、榊先輩も忌々しそうに舌打ちして短機関銃を下げた。だが、多朗の胸の中の混乱は収まらない。地底人の存在すら信じがたいのに、なぜマナがあの巨躯を叔父と呼び、激しく怒鳴り合っているのか。マナという少女の背後に潜む底知れない謎が、冷たい水のように多朗の背筋を伝い落ちる。
『カズ、手間をかけさせたな』
ザルクスと呼ばれた隊長は、痛む脇腹を太い腕で圧迫しながら、後藤を見下ろした。
『状況は最悪だ。主機室の空間が内側から弾けた。二個小隊が持ってかれたが、隔壁を噛ませて基地全体の圧壊だけは食い止めた』
『よく耐えてくれた。礼を言うぞ、ザルクス』
二人の間に漂う、長年の戦火を潜り抜けてきた男同士の確かな信頼感。それを見て、多朗はようやくザルクスが敵ではないことを理解した。
『礼などいらん。おい、そこのガキども』
ザルクスの黄色い瞳が、ぎろりと多朗と剛田を射抜いた。二メートル半の威圧感に、剛田が思わず息を呑む。
『主機室に第二種侵食核が根を下ろしやがった。奴らはオレたちの超重金属装甲すら、空間ごとねじ曲げて紙屑に変えちまう。物理攻撃だけじゃ傷一つ付かねえ。あの歪みを縫い止められるのは、貴様ら生体アンカーの周波数だけだ』
ザルクスは腰のホルダーから、青く脈打つ六角柱の結晶体を二本引き抜き、多朗と石田教官へ放り投げた。
『受け取れ。お嬢の身体を護るために持っていた秘蔵の位相変異金属だ。石田、貴様の即席パルス兵装に噛ませろ。三次元の固定圧が跳ね上がるはずだ』
多朗は飛び込んできた結晶を両手で受け止めた。
ずっしりとした異常な重み。冷たいはずの金属の奥から、守るべき者のために命を削る、この異形の戦士の熱い血潮が伝わってくるようだった。
(バケモノなんかじゃない。この人も、オレたちと同じように、命懸けでこの街を護ろうとしているんだ)
多朗は恐怖をねじ伏せ、結晶を握りしめてザルクスを見上げた。
『確かに預かりました、ザルクス隊長』
多朗の眼差しに迷いが消えたのを見て、ザルクスは獰猛に牙を剥いて小さく笑った。
『背後はオレたちが死守する。一匹たりとも通さん。多朗と言ったな。お嬢を必ず生きて連れ帰れ。傷一つでも増やして帰ってきたら、貴様の頭を万力で締め上げるからな』
『了解しました!』
多朗が力強く頷くと、マナは安堵したように胸に手を当て、ザルクスへ小さく頭を下げた。
『行ってきます、叔父さん』
『おう。ひと暴れしてこい』
異形の同盟軍が血を流して死守するプラットホームを背に、成増特命即応大隊は、さらに深く、歪み狂う地下五階の深淵へと足を踏み入れた。




