赤塚セクター交差点の激突
空気が悲鳴を上げていた。
剛田の右腕を包む外骨格アームの重油圧シリンダーが、鼓膜を劈く甲高い圧搾音を立てる。赤塚新町の交差点、粉砕されたアスファルトの裂け目から噴き出す暗黒の影へ向け、剛田の質量パルス打撃が真っ向から叩き込まれた。
衝撃波が円形に炸裂し、周囲の民家の窓ガラスが一斉に粉微塵となって吹き飛ぶ。
だが、敵の核は砕けなかった。
『ぐあああっ!』
剛田の絶叫が交差点に木霊した。地下試験場で破壊した擬似的な楔とは、質量も次元の抵抗圧も桁が違っていた。激突の瞬間、反作用の力場が剛田の右腕を逆流し、強化炭素繊維のフレームが嫌な軋み音を立てて歪む。シリンダーの隙間から高圧作動油が霧状に噴出し、剛田の生身の肩関節が鈍い音を立てて外れかけた。
影の塊は肉体を持たないまま、多面体の結晶のように身を捩った。三次元の光を呑み込む黒い輪郭が波打ち、空間そのものを切り刻む無数の位相ノイズが、不可視の刃となって全方位へ乱射される。
『防壁、多重展開!』
相羽の鋭い呼気に合わせ、青白い正八面体の幾何学結界が三層に重なって展開した。見えない刃が結界の表面を削り、火花のような発光現象が激しく散る。相羽の白い頬を冷や汗が伝い、極度の脳圧上昇によって鼻孔から鮮血が一筋、顎へと垂れ落ちた。
結界の第二層が、ガラスのように甲高い音を立てて砕け散る。
(防ぎきれない。このままじゃ相羽の脳が焼き切れる!)
多朗の背筋に氷のような戦慄が走った。陣内の端末画面は激しいノイズで埋め尽くされ、琴音の攪拌気流も敵が撒き散らす歪みによって掻き乱されている。
その硬直を破ったのは、横合いの路地から突っ込んできた黒い影だった。
『退いてろ、デカブツ!』
榊先輩だった。
皮下組織に埋め込まれた神経ブースターが極限まで稼働し、首筋から顎にかけて浮き出た血管が毒々しい紫に発光している。激痛を意志の力だけでねじ伏せた獣の眼光。榊は手にした短機関銃をフルオートで撃ち続けながら、影の核の真横へ肉薄した。
撃ち出された特殊曳光弾が、影の輪郭を焼き焦がす。敵の意識が相羽の防壁から榊へと逸れた。
『チンタラやってんじゃねえぞ、一年坊主ども!』
榊の怒号が響く。影から伸びた鋭利な触手が、榊の防刃ベストの左肩を浅く裂いた。鮮血がアスファルトへ散るが、榊は怯むどころか残った右腕で牽制弾を叩き込み続ける。
『俺の命の単価は、てめえらの安い感傷より高えんだよ! さっさと杭を打ち込みやがれ!』
家族へ送られる報奨金のために、自らの肉体を燃料にして時間を稼ぐ男の凄絶な叫びだった。多朗の脳内で、迷いが吹き飛んだ。
(感傷に浸るな。この人の命を、無駄に消費させるな!)
多朗は対位相バイザーの奥で、頭蓋骨が割れるような痛みを無視して空間把握のシナプスを最大まで解放した。上空を旋回する三機の索敵ドローンから送られてくる三次元データが、多朗の神経回路を通じて一本の線に結実していく。
見えた。
影が三次元へ碇を下ろしている結び目。空間の座標がねじれ、黒いノイズが収束している一点。
『陣内、補正座標を送った! 生体波長パルスガンの周波数を三点二ギガヘルツへ固定しろ!』
『了解! 補正完了、いつでもいけます!』
陣内が血の滲む指でキーボードを強打した。
『琴音、敵の足元を凍らせろ! 分子運動をゼロに落とせ!』
『やってやる!』
琴音が両手をアスファルトへ突き立てた。交差点の中心に気流の渦が収束し、激しい断熱膨張によって周囲の湿気が一瞬で氷結する。白い霜が蜘蛛の巣のように広がり、蠢く影の根元を物質的に縫い止めた。
影の動きが一瞬、停止する。
『剛田、立て! もう一発だ!』
多朗の叫びに応え、右肩をだらりと下げた剛田が、左腕で無理やり右腕の外骨格を支えながら立ち上がった。歯を食いしばり、口端から血泡を吹きながら、剛田の目が燃え盛る。
『オレを誰だと思ってやがる! ぶち砕けえええっ!』
多朗が背中の生体波長パルスガンを抜き放ち、前線へ飛び出した。
剛田の壊れかけた外骨格アームが唸りを上げ、多朗のパルスガンの銃口が、影の結び目へと同時に突き刺さる。
引き金を引いた瞬間、多朗の全身を激しい電撃が貫いた。六名の生体アンカーの波長がパルスを介して収束し、剛田の質量打撃とともに、三次元の物理法則を強引に叩き込む。
カツン、という世界の骨組みが噛み合うような、硬質な音が響いた。
白光が交差点を包み込んだ。
影の塊は断末魔の振動とともに無数の黒い破片へと砕け散り、大気中へ溶けるように消滅した。ねじれていた道路の亀裂が収まり、重力異常によって浮遊していた瓦礫が一斉に地面へと落下する。
静寂が戻った。
アスファルトの上で、剛田が膝をついて荒い息を吐いている。榊先輩は壁に背を預け、肩の傷を押さえながら吐き捨てるように笑った。
『へっ、格好だけは一丁前だな』
多朗は膝の震えを抑えながら、対位相バイザーを押し上げた。初めての実戦での完全消滅。だが、安堵の息を漏らす暇は与えられなかった。
装甲車の無線機から、稲葉教官の緊迫した声がスピーカーを震わせた。
『息をつくな、アンカー班。交差点の歪みは末梢の枝葉にすぎん』
続けて、後藤教官の冷徹な声が重く響く。
『本丸が動き出した。光が丘公園の地下深くで、第二種侵食核が急速に膨張を開始した。この規模の十倍だ。全車、直ちに前進せよ』
多朗は息を呑み、北東の空を見上げた。
隣に立つマナの瞳が、青白く濁った光が丘上空の空を静かに見つめていた。大気が巨大な漏斗のように渦を巻き、空間そのものが巨人の手で握り潰されるように歪み始めている。
成増特命即応大隊の本当の地獄は、まだ入り口を越えたばかりだった。




