数学の授業がただの気合の千本ノックかと思ったらクラスメイトのスペックが色々と察せるレベルで異常だった件
シャトルランという名の合法的な拷問で壊滅しかけた俺たちの肉体に、さらなる容赦のない追い打ちがかけられていた。
五時限目、応用数学。
ガラッと教室の扉が開いた瞬間に流れ込んできたのは、息が詰まるほどの熱気だった。教壇に立つ数学教師、後藤和明は、相変わらず昭和の熱血ドラマからそのまま飛び出してきたような、無駄にギラギラとしたオーラを全身から放っている。
「いいかお前ら! 身体を動かした後は、脳みそを極限まで回せ! 肉体の汗の次は、脳に血の汗をかかせる! これが成増航空高校伝統の、数学千本ノックだッ!」
バキィッ! と、授業開始の挨拶代わりに景気のいい音を立ててチョークが真っ二つに折れた。後藤先生はそんなことは一ミリも気に留めず、短くなった破片のまま、ものすごいスピードで黒板に数式を書き殴り始める。
黒板を埋め尽くしていくのは、高校一年生が習うはずのない高度な微分積分の数式だ。熱血な割に、教えている内容は殺意が湧くほどに難解だった。
「ここからは気合の千本ノックだッ! 当てられた奴は前に出て、この数式を完結させろ! まずは剛田ッ! 一本目、いけェ!」
「ぶふっ!? お、俺ですか!?」
後ろの席で、今にも霊魂が口から抜け出しそうな顔をしていた剛田が、椅子をガタつかせて飛び起きた。シャトルランで足がガクガクのまま、引きずられるように黒板の前へ進む。
だが、チョークを持った剛田の手は、一ミリも動かなかった。
「せ、先生、、これ、数字じゃなくてニョロニョロした記号しか見えません」
「根性が足りん! チェンジだ、次、真壁ッ!」
後藤先生の容赦のない怒声が飛ぶ。即座に席を立ったのは、度の強いメガネをかけた真壁駆だった。彼は待ってましたとばかりに目の色を変えて教壇へ上がると、剛田からチョークをひったくった。
「この流体計算の最適化アプローチ、最高にシビれますね!」
真壁はオタク特有の早口をボソボソと呟きながら、ものすごい速度でチョークを走らせていく。流れるような手つきで、あっという間に複雑な数式の一角を解き明かしてしまった。
「うむ! 素晴らしい気合だ! では次、鷹司ッ!」
後藤先生がさらに難解な補正計算の式を書き加える。
指名された鷹司は静かに立ち上がり、ブレザーのボタンをきっちり留めて黒板の前へ進んだ。品のある佇まいのままチョークを手に取ると、一切の無駄がない洗練された所作で、淡々と、しかし完璧な模範解答を書き上げていく。
「美しいアプローチだ」と、あの後藤先生すらも小さく唸るほどだった。
俺は席でその光景を見ながら、背中に冷たいものが伝わるのを覚えていた。
剛田はともかく、真壁も鷹司も、なぜ高校一年生でこのレベルの航空力学の計算が平然と解けるんだ。このクラス、やっぱり何かがおかしい。変な奴が集まりすぎている。
そんな戦慄を胸に秘め、俺は必死にノートの手を動かしていた。黒板の数式を頭の中でなぞり、次の展開を無意識にペン先で弾き出していく。
「上宮、、、」
後藤先生の怒声が響く教室の片隅で、低い声がした。
振り返ると、斜め後ろの席から、クラスのデータ観察者である四條蓮が、冷めた目で俺のノートをじっと見つめていた。シャープペンシルをスマートに回しながら、四條がボソッと囁く。
「お前、さっきの真壁の答え、書かれる前に自分のノートで弾き出してただろ」
「え?」
四條の指摘に、俺は息を呑んだ。
自分のノートを見る。確かに、真壁が黒板に書くよりも数秒早く、俺の手元には同じ計算結果が記されていた。理解して解いた自覚はない。ただ、手が勝手に動いていた。自分の無自覚な異常性を突きつけられ、心臓の鼓動がドクンと跳ね上がる。
授業中ということもあり、それ以上の会話はなかった。四條はすぐに興味を失ったように前を向いた。
だが、そのわずかなやり取りを、周囲の視線が見逃さなかった。
左側の席では、琴音がシャーペンをぎゅっと握りしめ、少し心配そうに、かつ不満げな目を俺に向けていた。幼馴染としての距離感が少し揺らいだような、そんな焦りの色が彼女の瞳に微かに浮かんでいる。
そして右側の席では、隣のマナが、黒板の前に立つクラスメイトたちと、ノートを凝視する俺の姿を、静かに見つめていた。
大きな瞳をパチパチとさせながら浮かべるその表情は、いつもの天然な笑顔ではない。どこか切なく、愛おしそうな、妙に落ち着いた視線。まるで、このありふれた教室の賑やかな光景を、記憶の底に一生分焼き付けようとでもしているかのような、静かな眼差しだった。
「よし! じゃあ次の問題に行くぞ! 全員、根性入れてついてこい!」
黒板を叩くチョークの音が再び激しく鳴り響く。
俺は小さく息を吐き、再びシャープペンシルを握り直した。
熱血すぎる後藤先生の怒声。それぞれに異常なスペックを覗かせるクラスメイトたち。何かを察している四條。俺を見つめる琴音とマナ。
成増航空高校の一クラスしかないこの教室で、俺たちの日常は、確実に、何かが少しずつ軋み始めていた。




