擬似楔の破壊実験と肉体の軋み
地下第三射撃試験場は、演習場よりもさらに深く、分厚い鉛と超重金属プレートで何重にも遮蔽されていた。
空気は凍りつくように冷たく、換気扇の低い重低音が響いている。防弾ガラスの奥、中央の隔離チャンバーに鎮座していたのは、演習用AIではなく、巨大な真空容器の中に固定された黒い塊だった。
『あれが、映像で見たやつか』
剛田がバイザー越しに睨みつけ、喉を鳴らした。
肉眼で見れば、単なる黒いガラスの破片のようにしか見えない。だが、石田教官が開発した対位相バイザーの電源を入れた瞬間、オレ、上宮多朗の視界は青白い警告色で塗り潰された。黒い破片の周囲の空間が、水面に落とした油のように濁って波打ち、実験室のグリッド線を幾何学的に歪ませている。
『そうだ。九州の山中で採取された、地表侵食の擬似サンプルだ』
監視スピーカーから、稲葉教官の声が届く。
『高次元の侵入者が物質世界を固定解除するために打ち込んだ、極小のバグの楔だ。大人たちが触れれば即座に時間軸から弾き出される。今から真空容器の電磁シールドを解除する。貴様らの即席兵器で、三次元の物理法則を叩き込んで完全に粉砕しろ』
『制限時間は三十秒だ』
後藤教官の冷徹な声が重なる。
『シールド解除と同時に、部屋全体の空間崩壊が始まる。もたつ流せば、貴様らごと部屋の床が別の次元へと抜け落ちるぞ。死にたくなければ、叩き折れ』
警告ブザーが鳴り響き、真空容器の隔壁が激しいエアーの音を立てて跳ね上がった。
途端に、重力が狂った。
オレの足元がふわりと浮き上がり、靴底の感覚が消えかける。バイザーの計器が狂暴な数値を示し、空間の座標軸がねじ曲がっていく。三次元の物質を縛る見えない法則が、黒い破片を中心に急速にほどけ始めていた。
『陣内、座標を固定しろ』
オレが怒鳴ると、端末を構えた陣内の指先が猛烈な速度でキーを弾いた。
『捕捉完了。位相ズレ、右三度、深度四。多朗、ドローンでアンカー杭を撃ち込んで』
『イチ番、サン番、突入』
オレの合図と共に、二機のドローンが急降下した。石田教官が改造した機体底面から、電磁パルス杭が発射され、黒い楔の左右の床へと突き刺さる。火花が散り、青白い力場の格子が展開されて、暴れ狂う空間のねじれが一瞬だけ静止した。
『今よ、相羽』
琴音が叫び、腕に装着されたスリット入りバレルを薙ぎ払う。圧縮された大気がカミソリのような突風となって部屋の空気を切り裂き、相羽の展開する光の多面体シールドを強烈に後押しした。
相羽の幾何学防壁が、暴走する黒いノイズを四方から挟み込み、三次元の直方体の中に無理やり閉じ込める。
『ぐっ、あぁっ。重い、頭が割れそうだよ』
相羽の鼻から、一筋の鮮血が垂れ落ちた。シナプスが限界まで擦り減り、古代ハプロ遺伝子の出力が十代の神経網を容赦なく焼き焦がしているのだ。
『耐えろ相羽、オレがぶっ壊してやる』
剛田が地響きを立てて突進した。背中のバッテリーが甲高い駆動音を鳴らし、油圧シリンダーが剛田の太い腕の骨格を強制的にロックする。
『パルス全開、吹き飛べェッ』
剛田の鉄拳が、相羽のシールドの隙間を縫って、黒い楔の核へと叩き込まれた。
瞬間、鼓膜を劈くような高周波の破砕音が炸裂した。
石田教官が仕込んだ生体波長パルスが、剛田の質量エネルギーと共に解き放たれ、青白い閃光が試験場を真っ白に染め上げた。黒い楔に無数の白い亀裂が走り、まるで氷の塊を巨大なハンマーで叩いたかのように、四散して光の粒子へと崩壊していく。
空間の歪みが急速に収束し、重力が元の位置へと引き戻された。
剛田が床に片膝をつき、肩で激しく息を乱した。外骨格アームから白煙が噴き出し、金属の焼ける匂いが充満する。
『壊れた、のか』
剛田が震える金属の拳を見つめて呟いた。
ガラスの破片すら残っていない。三次元の空間を侵食していた黒いバグは、完全にこの物質世界から消滅していた。
『目標の消滅を確認』
陣内が端末の画面を見つめながら、呆然とした声で報告した。
『空間歪曲率、通常値へ復帰。僕たちの武器、本当に効いたんだ』
オレは手の中のパルスガンを見つめた。銃身は熱を帯び、バイザーの数値はすべて安定領域を示していた。
あのシベリアやネバダで、大国の戦車や異星の最新鋭母艦すら手も足も出ずに呑み込まれたバグを、オレたちの手で、この即席の鉄塊で破壊することができたのだ。
だが、代償はあまりにも生々しかった。
相羽は膝から崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返している。琴音も腕の火傷を押さえて脂汗を浮かべ、剛田の腕の外骨格は負荷に耐えかねてボルトが数本吹き飛んでいた。マナの肌も青白く変色し、生体端末としての稼働熱が臨界点近くまで跳ね上がっている。
十代の肉体と神経を極限まで削り、骨を軋ませてようやく手に入れた、わずか一個の破片の破壊。
試験室の重い防護扉が開き、後藤教官と石田教官、そして稲葉教官が姿を現した。
石田教官は散乱した機材の残骸と壊れた外骨格を見て、険しい顔のまま小さく息を吐いた。
『出力の調整が必要だな。だが、理論は正しかった。お前たちの生体波長とこの急造ギアを直結させれば、あの幽霊どもを物質としてぶん殴れる』
後藤教官は煙草を指で弾き、冷徹な目でオレたちを見渡した。
『喜ぶのはまだ早い。今のは演習用に威力を落とした、たかだか小石程度の欠片だ。実戦で地表に突き刺さる楔は、この数十倍の質量と侵食力を持つ』
教官の冷たい声が、疲弊したオレたちの神経に突き刺さる。
『世界各地でも、ロシアやアメリカ、NATO,中国の連中が同じハプロ配列を持つガキどもをかき集め、似たような急造部隊を編成し始めているはずだ。だが、前線の崩壊速度に開発も配備も全く追いついていない。そして、この成増、光が丘、赤塚の東京セクターに打ち込まれた楔を叩き折れるアンカー部隊は、今この地下にいる貴様ら六名しかいないのだ』
『量産はできないのかよ、この武器』
剛田が軋む腕の外骨格を押さえながら呻くように問うと、石田教官が首を横に振った。
『無理だな。このギアは工業製品じゃない。お前たち六人の歪な神経波形と古代配列に合わせて、俺がジャンクを力技で擦り合わせたワンオフの特注品だ。他の人間が持ってもただの鉄屑だし、無理に撃てば脳が焼き切れる。多朗の索敵、相羽の固定、剛田の質量、全員の周波数が噛み合って初めて機能する綱渡りの兵器だ』
『逃げ場はないということだ』
後藤教官が言い放った。
『他国の部隊を待つ余裕などない。休んでいる暇はないぞ。すぐに装備の再調整と最終出撃準備に入る』
オレは泥と煤に汚れた顔を上げ、後藤教官の視線を真っ向から受け止めた。
全身の筋肉が痛み、神経が痺れるような疲労感に苛まれていたが、胸の奥で燻る火は消えていなかった。世界中で同じように足掻く見知らぬ誰かがいるとしても、この足元の街を守るための牙は、いま確実にオレたちの手の中にあった。




