赤塚の湯気と軋む剛力
地下要塞の無機質な非常ブザーが、鼓膜を裂くような音量で鳴り響いた。
冷酷な朝の訪れを告げる電子音。天井の蛍光灯がバチバチと火花を散らしながら、暴力的な白色光で宿舎の部屋を照らし出す。オレは重い鉛を流し込まれたような身体を引きずり、パイプベッドから上体を起こした。
『訓練開始十分前。全員、第一演習場へ集結せよ』
壁のスピーカーから流れる稲葉先生の冷徹な声。昨日までの疲労と筋肉痛が全身の関節を軋ませ、呼吸するだけで肺の奥が焼けるように熱い。だが、隣のベッドで立ち上がろうとしていた巨躯の少年は、オレ以上の激痛に顔を歪めていた。
剛田だ。
太い丸太のような両腕をつき、ベッドのフレームを歪ませながら立ち上がろうとするが、その両足が小刻みに痙攣していた。皮膚の下で、常人の数倍に達する過密な筋繊維が悲鳴を上げているのが目に見えるようだった。
『剛田、大丈夫か。無理に立つな』
オレが肩を支えようと手を伸ばすと、剛田は歯を食いしばりながら、太い首を横に振った。
『へへっ、情けねえな多朗。身体が鉛みたいに重えや。だけど、ここでへばったら、あの鬼教官の思う壺だからな』
剛田は分厚い手のひらを見つめた。生まれつき骨密度と筋肉のリミッターが外れたその肉体。常人なら即死するような衝撃を受け止め、鉄骨すらへし折る怪力。だがその力は、使えば使うほど自らの骨と腱を内側から削り取る諸刃の剣だった。
(剛田の独白:ガキの頃から、オレはこの手が大嫌いだった)
剛田の脳裏に、赤塚新町の商店街の風景が浮かんでいた。
少し力を入れただけでドアノブをもぎ取り、友達と手を繋げば骨を折ってしまう。触れるものすべてを破壊してしまう自分の身体を恐れ、泣きじゃくっていた幼少期。そんな剛田を、赤塚新町で「定食屋さわや」を切り盛りする祖母の規久子ばあちゃんだけは、決して化け物扱いしなかった。
大きな釜から立ち上る真っ白な湯気。炊き立ての白米に、熱々の味噌汁と香ばしい焼き魚の匂い。
『いいかい、剛力。お前のその手はね、何かを壊すためにあるんじゃないよ。誰かを守って、温かい飯を腹いっぱい食わせてやるために天から授かったんだ』
規久子ばあちゃんのゴツゴツとした温かい掌が、いつも剛田の頭を優しく撫でてくれた。どれだけ腹を空かせて帰っても、ばあちゃんは山盛りのどんぶり飯と分厚い生姜焼きを出して、豪快に笑い飛ばしてくれたのだ。
成増航空高校に連れてこられた日、ばあちゃんは泣き言一つ言わず、巨大な握り飯を剛田の手に握らせて送り出してくれた。
『行ってきな。お前の力が必要な場所があるなら、胸張って行ってきなさい』
剛田は荒い息を吐き出しながら、床を強く踏みしめた。コンクリートの床に、ピシリと細い亀裂が走る。
(剛田の独白:モルモットだろうが、神様のシミュレーションだろうが関係ねえ。オレはこの力で、みんなを無事にさわやへ連れて帰るんだ。ばあちゃんの作った豚汁を、全員で腹いっぱい食うんだよ)
『おい、陣内、多朗。ぐずぐずしてると後藤の野郎にケツ蹴り上げられるぞ』
剛田は口元の血を手の甲で乱暴に拭い、いつもの豪快な笑みを浮かべて見せた。
下段のベッドから這い出してきた陣内が、目の下に濃い隈を作りながらも、冷徹な目で端末をポケットにねじ込んだ。
『剛田、無理に虚勢を張らない方がいいよ。君の筋疲労指数は、すでに通常の安全域を百二十パーセント超過している。次に無理をすれば、大腿骨にヒビが入る計算だ』
『計算なんざクソ食らえだ。オレの筋肉は、オレの気合いで動くんだよ』
宿舎の重い鉄扉が開き、女子棟から合流した琴音、相羽、そしてマナが姿を現した。
『おはよう、男子たち。ずいぶん無様な顔してるじゃない』
琴音が腕を組み、いつもの強気な口調で言い放つ。だがその双眸には、昨夜のような孤独な怯えはなく、オレたちをしっかりと見据えていた。
『琴音こそ、足元ふらついてるぜ』
オレが笑い返すと、琴音はフンと鼻を鳴らして視線を逸らした。
『ふん、あんたのドローン操作が下手くそだから、余計な風を起こさなきゃいけなかったのよ。今日こそは、ちゃんと私の突風に合わせなさいよね、多朗』
『ああ、任せろ』
その後ろで、相羽がフランクに手を挙げた。
『上宮くん、剛田くん、陣内くん、おはよう。私の光の防壁、昨日のデータをもとに展開角を広げておいたから。前衛は剛田くんに任せるけど、危なくなったらすぐ後ろに下がりなよ』
『おうよ、頼りにしてるぜ相羽』
剛田が親指を立てる。その隣で、マナが静かに告げた。
『全員のバイタルを確認。疲労度は極限状態ですが、昨日と比較して戦闘連携の同調率が三十五パーセント向上しています。第一演習場へ向かいましょう、多朗さん』
オレたちは互いに頷き合い、冷たいコンクリートの通路を歩き出した。
第一演習場の巨大な防壁扉が開くと、そこには昨日以上の禍々しい空気が渦巻いていた。広大な空間には無数の瓦礫と遮蔽物が配置され、天井からは重機関銃を懸架した無人防衛ユニットが不気味に赤く明滅している。
その中央、腕を組んで仁王立ちしていたのは、後藤教官だった。
隣には端末を構えた稲葉先生が立ち、冷ややかな視線をオレたちに向けている。
『よく生き残ったな、モルモットども』
後藤教官の低く濁った声が、演習場全体にビリビリと反響した。
『泣き言を垂れて逃げ出すかと思ったが、多少は面構えが変わったようだな。だが安心しろ。今日の訓練は、昨日までの生ぬるい運動会とは違う』
後藤教官が合図を送ると、演習場の照明が一斉に暗転し、空間全体に不気味な重力歪曲のアラートが鳴り響いた。
『第四フェーズ、位相崩壊総合防衛戦を開始する。目標、空間内の全防衛ユニットの殲滅、および教官の突破。制限時間は三十分。死ぬ気で足掻いてみせろ』
オレは意識を研ぎ澄まし、頭上を旋回するドローン小隊の感覚を自らの神経へと接続した。
(やれる。今のオレたちなら、どんな不条理なシミュレーションだろうと突破できる)
『全員、散開。オレが空間の死角を突く。陣内はシステムのハッキング、相羽は防壁展開、琴音は大気を攪拌しろ。剛田、いくぞ』
『応ッ、まとめてへし折ってやるぜ』
過酷な運命に抗う六人の若者たちの、四日目の死闘が今、幕を開けた。




