泥濘の洗礼と三日目の限界
0800時。
頭上を切り裂くような非常警報サイレンとともに、第3層の巨大防爆扉がゆっくりと開放された。
一歩足を踏み入れた瞬間、強烈な空間歪曲の波が多朗たちの三半規管を激しく揺さぶった。
『う、ああっ』
陣内が呻き声を上げ、泥水の中に両手をついた。重力方向が微妙に傾ぎ、立っているだけで地面が上下に波打っているかのような激しい船酔い感が襲いかかる。
『目眩に意識を持ってかれるな、前を見ろ』
多朗は胃からせり上がってくる吐き気を奥歯で噛み殺し、腰のホルダーからドローン小隊の起動キーを力づくで引き抜いた。
(たった3日の付け焼き刃だ。プロの兵士みたいに動けるわけがない。だが、立ち止まれば即座に脱落だ)
『全機、射出。低空で索敵ラインを展開しろ』
多朗の手から放たれた6基の超小型ドローンが空中に飛び上がった。しかし、演習場内に渦巻く強烈な電磁嵐と気流の乱れに煽られ、編隊は一瞬で四散しかけた。
『うわあ、目が回る。どっちが天でどっちが地だか分かんねえぜ、マスター』
イチ番が甲高い悲鳴を上げながら不規則に錐揉み回転した。
『ジャイロセンサにエラー頻発、空間の歪み係数が予測値を40パーセント超過している』
ニ番が警告音をけたたましく鳴らし、必死に姿勢を立て直そうとする。
『敵の擬似標的、正面から突っ込んできやがる。ぶち殺してやるぜ』
ヨン番が単機で敵の無人機へ突進していったが、放たれた高圧ゴム弾の掃射を浴び、バチンと鈍い音を立てて壁のコンクリートに弾き飛ばされた。
『無茶するからよ、バカ。早く戻りなさい』
サン番が甲斐甲斐しく叫びながら、落下しかけたヨン番の機体を下から押し上げた。
『やっぱりダメなんだ。ジャンクパーツの僕たちなんかが耐えられる演習じゃない。ここでスクラップになってゴミ箱行きさ』
ゴ番が泥水すれすれの低空でレンズを曇らせ、絶望的な声を上げた。
『敵性標的、3機編隊で多朗たちの足元へ降下中でござる。照準ロックされたでござるよ』
ロク番がパニック気味に赤色ランプを点滅させた。
天井の暗がりから、演習用の黒い無人機が鋭い駆動音を響かせて急降下してきた。容赦のない高圧ゴム弾の雨が、泥濘の大地を激しく跳ね飛ばす。
『幾何学防壁、展開』
相羽が泥の中に踏ん張り、両手を突き出した。
青白い六角形の多面体スクリーンが空中に広がる。しかし、正面から連射されたゴム弾の直撃を受け、防壁の表面にバキバキと白い亀裂が一気に走った。
『くっ、重力の歪みで支点が定まらない。腕が痺れて』
相羽の膝がガクガクと震え、防壁の端から光の破片がボロボロと剥がれ落ちた。
『みなみちゃん、支えてる気流が乱気流に押し負けそう』
琴音も両手を広げて風の流れを抑え込もうと必死に足掻くが、地下特有の重く湿った突風に翻弄され、額から大粒の汗を流していた。
『剛田、走れ。中継地点まであと30メートルだ』
多朗が叫んだ。
『おうよ、任せろっ』
剛田が100キロの中継アンテナ基部を担ぎ上げ、泥を蹴って突進した。だが、足元の砕石と波打つ重力ムラに足を取られ、次の瞬間、ズザザザッと泥水の中に派手に横転した。
重機材が泥の中に鈍い音を立てて沈み、剛田の巨体が泥まみれになって転がる。
『ぐあっ、クソッ、足が抜球しやがった』
剛田が泥水を吐き出しながら叫ぶ。
『剛田』
多朗は泥の中に身を投げ出し、転がった中継機材のコネクタ部分に覆いかぶさった。地面を叩きつけるゴム弾が多朗の背中のプロテクターをバシバシと強打する。
『陣内、電磁ジャミングを切れ。ドローンの誘導が完全に死んでる』
多朗が泥に塗れた顔を上げて怒鳴った。
『やってる、やってるけど、指が震えて入力がズレるんだ』
陣内は泥水で濡れた端末のキーボードを前に、叫び返した。
『エラーコードが消えない。僕の計算じゃ追いつかないよ』
その瞬間、弾幕の飛び交う泥濘を、音もなく疾走する人影があった。マナだった。
マナは空間歪曲による重力ムラを完全に無視した超人的な足さばきで泥を蹴り、陣内の背後へ回り込んだ。濡れた白銀の髪をなびかせ、右腕の通信端子を陣内の端末へ直接突き刺した。
『陣内くん、思考リソースを第1波のノイズ遮断のみに集中してください。波形演算の並列処理は私が肩代わりします』
マナの冷徹な声が響いた。
『マナちゃん、ありがとう。第1波遮断、間引きコード送信』
陣内が強くキーを叩き込み、マナの高速バイパス処理がエラーを一瞬で消し去った。
空気を切り裂いていた電磁ノイズが完全に消失した。
視界を覆っていた砂嵐が晴れ、頭上からサン番とニ番が放った赤いレーザー光が、剛田の目の前の泥濘を真っ直ぐに照らし出した。
さらにマナは低く身を沈めると、相羽の崩れかけた幾何学防壁の真下へ滑り込み、落ちていた鉄製アングルを拾い上げて頭上から迫るゴム弾の軌道を物理的に弾き返した。
『相羽さん、防壁の角度を上方12度へ修正。負荷を逃がせます』
『了解、マナちゃん。多面体防壁、再固定』
相羽の防壁が再び硬質な青い輝きを取り戻し、敵の掃射を弾き返した。
『立て、剛田。そこが杭打ちポイントだ』
多朗が叫びながら、泥から引きずり出した接地杭を地面に突き刺した。
『うおおおおっ、舐めるんじゃねえぞ』
剛田が泥まみれの顔を上げ、咆哮とともに大型ハンマーを両手で振り抜いた。
ドガァァンという凄まじい打撃音がドームに響き渡り、泥水と火花が四方に飛び散った。杭が硬い岩盤に力づくでめり込んでいく。
『第1中継ポイント、物理固定完了』
多朗が泥のついた手でケーブルを接続し、コネクタをロックした。
カチリという音とともに、アンテナの青いシグナルが泥の中で淡く点灯した。
頭上の敵性無人機が一旦旋回し、距離を取る。
相羽はその場に膝をつき、琴音も荒い息を吐いていた。剛田は泥の中に大の字に倒れ、陣内は端末を抱え込んで震えていた。マナだけが無表情のまま、衣服についた泥を軽く払って周囲を警戒している。
管制室のスピーカーから、後藤教官の冷徹な声が響いた。
『第1ポイントの確保を確認。経過時間、45分。残り75分で残り2箇所を攻略しろ』
まだ1箇所目を、命からがら泥仕合で突破したに過ぎない。
多朗は泥だらけの手で顔を拭い、荒い呼吸を整えながら、暗闇の奥に広がる過酷な演習場を睨み据えた。




