暗黒の赤外線レーザー
1900時。
背後で重厚な防爆扉が鈍い金属音を立てて密閉された瞬間、世界から一切の光が消失した。
完全な暗黒だった。掌を目元にかざしても輪郭すら見えない。足元からは冷たい泥水と砕石の感触が編上靴の底を伝って伝わり、換気口から吹き出す冷湿気が濡れた作業服を冷たく撫でていた。
『う、本当に何も見えない。一歩も動けないよ』
暗闇のすぐ隣で、陣内の引きつった声が響いた。
『慌てるな、陣内。足場を崩すぞ』
剛田の太い声が闇を震わせる。背負った100キロ級の大型暗号中継機が、鎖骨に擦れてジャリと擦過音を立てていた。
(視界ゼロ、周囲は未知の泥濘地。だが、昼間の座学で叩き込んだ手順通りに動けば道は開ける)
多朗は腰のホルダーから自律ドローン小隊の起動キーを引き抜いた。
暗闇の中で指先の感覚だけを頼りに、自作端末のトグルスイッチを一気に跳ね上げる。
『イチ番からロク番、全機射出。暗視走査モード起動、不可視赤外線レーザー照射開始』
掌から放たれた6基の超小型ドローンが、甲高い風切り音を立てて漆黒の空間へと飛び立った。
多朗たちが装着した暗視ゴーグルのレンズに、淡い緑色の輪郭が浮かび上がる。ドローン小隊が天井付近から下方へ向けて放った不可視レーザーの格子が、泥濘の凹凸や砕石の深さを網目状に浮かび上がらせていた。
『見えた。多朗、レーザーのグリッドが出てるぞ』
剛田が息を呑んだ。
『イチ番、ニ番は前方の安全ルートを走査。サン番は目標地点の杭打ちポイントへ固定照射しろ』
多朗が指示を飛ばす。
『ドローン周辺の気流を整えるよ』
琴音が両手を前に突き出した。
『突風のベクトルを相殺、ドローンの姿勢制御を補助する』
暗闇の中で風の摩擦音が微かに鳴り、飛行するドローンのブレが一瞬で収まった。
『助かる、琴音。剛田、緑のラインに沿って進め。深みは左に逸れてる』
『おう、任せとけ』
剛田が重機材を担ぎ直し、泥を跳ね上げながら力強く踏み出した。
『みなみ、陣内、オレたちも続くぞ。機材のコードを弛ませるな』
多朗が叫ぶ。
『了解です。暗号パケットの同期ライン、維持しています』
相羽の落ち着いた声が返ってきた。
『周囲に薄い幾何学防壁を展開、電磁ノイズの直撃を防ぎます』
『多朗、端末の座標データ受信したよ』
陣内が泥まみれの指で端末を操作しながら言った。
『ドローンが拾った地形データから最短ルートを割り出した。前方20メートル地点、右へ3度修正だ』
暗闇の中を、6人は互いの呼吸と足音を頼りに泥濘を突破していった。
夕方の食事で得た熱量が、凍えそうな身体を内側から支えていた。
だが、目的地まであと10メートルの地点に達した瞬間、天井の擬似敵性ジェネレータが不気味な唸りを上げた。
キィィィンという鼓膜を裂くような高周波ノイズがドーム内に充満した。
暗視ゴーグルの視界が激しく歪み、緑色のレーザーグリッドが砂嵐のように乱れ飛ぶ。
『擬似ジャミング発生。空間位相ノイズ、急速に増大しています』
最後尾を追従していたマナが無機質に警告を発した。
『ドローン小隊との通信リンク遮断まであと12秒』
『うわっ、レーザーが消えかかる。足元が分からない』
陣内が泥に足を取られて体勢を崩しかけた。
『陣内、座学を思い出せ』
多朗が叫びながら陣内の腕を掴み上げた。
『ノイズの振幅を見るな。素数周期の間引きコードを叩き込め』
『素数間引き、、そうだった、3、5、7、11の周波数をカット』
陣内が歯を食いしばり、目隠し状態でキーを連続打鍵した。
『多重パケット反転、暗号キー再送信』
『みなみ、防壁の角度をマイナス15度だ』
多朗が指示を重ねる。
『多面体防壁、反転角固定』
相羽が叫び、青白い六角形の光の膜が空間の歪みを力づくで押し返した。
乱れていた暗視ゴーグルの視界が一気にクリアに戻り、目標地点の泥の中にサン番ドローンが照射する赤いマーカーが鮮明に浮かび上がった。
『道が開いたぞ。剛田、そこだ』
『うおおっ、着いたぞ』
剛田が雄叫びとともに、背負っていた100キロの暗号中継機を泥の中に叩き降ろした。ズシンという重い地響きが足元を揺らす。
『多朗、杭を持て』
剛田が大型ハンマーを構えた。
多朗は泥の中に膝をつき、太い超硬合金製の接地杭を両手で垂直に固定した。
(一撃でもズレれば手が吹き飛ぶ。だが、剛田を信じる)
『打て、剛田』
『っしゃあ』
剛田の全身の筋肉が軋み、暗闇の中で大型ハンマーが唸りを上げて振り下ろされた。
ガァァァンという凄まじい衝撃音がドームに轟き、泥の中から激しい火花が散った。
多朗の手のひらに痺れるような衝撃が突き抜けるが、杭は硬い岩盤層へ確実に数寸沈み込んだ。
『もう一発だ』
『うおおおおっ』
2打、3打。剛田の渾身の打撃が暗闇を切り裂き、杭は完全に地中深くまで打ち込まれた。
『接地完了。中継ケーブル直結』
多朗が素早く端子を杭の頭部に差し込み、ロックを回した。
『暗号化プロトコル、全周波数帯域で同期完了しました』
陣内の歓声が響いた。
『最終パラメータ正常。通信網の接続を確認』
マナの報告と同時に、設置された暗号中継機のインジケータが、暗闇の中で鮮やかな青色に点灯した。
ピーという演習終了を告げる電子音が鳴り響き、ドームの天井照明が一斉に点灯した。
白い蛍光光が広大な演習場を照らし出す。
そこには、泥と汗で全身を真っ黒に汚しながら、青い光の柱を囲んで立つ6人の姿があった。
『所要時間、48分15秒。目標時間を11分45秒残しての完了だ』
管制室のスピーカーから、山口顧問の淡々とした声が流れた。
多朗は泥の中に座り込み、肩で大きく息を吐き出した。隣では剛田がハンマーを放り出して大の字に倒れ込み、陣内が泥だらけの顔で笑っていた。琴音と相羽も互いの肩を支え合いながら、安堵の表情を浮かべている。
教壇デッキから見下ろすサイボーグ石田教頭が、右眼の赤い光を静かに明滅させた。
『泥臭い連携だが、暗黒下における初動としては及第点を与えよう』
教頭の冷徹な言葉すら、今の6人には確かな前進の証として響いていた。
地下要塞の深い闇の中、少年たちの間に結ばれた見えない絆が、泥濘の大地の上に確固たる根を張り始めていた。




