糧食と暗闇の作戦
1800時。
第2層の共同食堂に足を踏み入れた瞬間、微かな湯気と温かい香りが鼻腔をくすぐった。冷え切ったコンクリートの空間に、無機質な配膳カウンターがぽつんと置かれている。
『本日から初期ストレステストの解除に伴い、標準戦闘糧食を支給する』
配膳口の脇で腕を組む後藤教官の言葉に、剛田の目が一瞬で輝いた。
『マジか、あの泥みたいなペーストじゃねえんだな』
『言っただろ、剛田。文句を言う前に配給を受け取れ』
多朗が自分のトレーを受け取ると、そこにはアルミ製の加熱パック付き戦闘糧食が載っていた。紐を引いて発熱剤を作動させると、シューという小気味いい音とともに白煙が立ち上り、濃厚な牛肉野菜煮込みの温かい匂いが周囲に広がった。
『うわ、本当に温かい!温かい飯だ!』
陣内はパックから立ち上る湯気を凝視し、信じられないものを見るような目をしていた。
席に座り、レトルトの味噌汁に口をつけた相羽が、小さく息を吐き出した。
『おいしい、、、。昨日までのペーストとは全然違う。身体の芯から温まるよ』
『みなみちゃん、しっかり食べないと夜の演習で動けなくなるからね』
琴音も白飯を口に運び、ほっとした表情を浮かべた。
最端の席で淡々とパックを空けていたマナが、冷徹なトーンで分析を告げた。
『タンパク質、炭水化物、ナトリウムの含有量は極めて合理的です。極限環境下での疲労回復効率は、合成ペーストと比較して230パーセント向上します』
『理屈はともかく、胃袋に温かいものが収まると生き返った気がするな』
多朗は苦笑しながら、牛肉野菜煮込みの汁に白飯を浸して食べた。
『なあ、1900時からの夜間演習のことだが』
剛田が汁物を一気に飲み干し、真剣な眼差しで仲間たちを見回した。
『完全暗黒の第3層で、照明ゼロで暗号中継網を組むんだろ。俺は何をすればいい』
『基本は午前中と同じだ、剛田』
多朗は箸を置き、トレーの上の紙ナプキンにペンで簡単な図を描き出した。
『完全な暗闇だから、オレの自律ドローン小隊がイチ番からロク番まで先行し、不可視の赤外線レーザーで安全な足場と杭打ちポイントを照射する。剛田はその光のガイドに従って重機材を運び、接地杭を正確に打ち込んでくれ』
『任せろ。視界がゼロでも、ドローンの赤外線ポイントさえ見えていれば、音と振動だけで杭を叩き込んでやる』
剛田が分厚い胸を叩いた。
『私の幾何学防壁も、多朗のドローンから送られる素数間引き波形に直結させる』
相羽が自分の端末の画面を確認しながら頷いた。
『敵のジャミングノイズが来ても、講義で習った多重パルスの反転角を守れば、防壁の負荷を半分に抑えられる。もう昨日みたいに一瞬で弾き飛ばされたりはしない』
『波形の計算は僕がバックアップするよ』
陣内が眼鏡の位置を正し、力強く言った。
『座学の暗号プロトコルをそのまま同期コードに組み込む。多朗のドローン制御と完全に噛み合わせるから、データ遅延はコンマ数秒に収めてみせる』
『私は、ドローン群の飛行軸周辺の気流を完全に安定させる』
琴音が両手を軽く合わせ、微かな気流の渦を指先で操ってみせた。
『地下の乱気流を相殺すれば、ドローンのセンサブレはゼロになる。みなみちゃんの防壁も展開しやすくなるはずよ』
『全員の戦闘パラメータの同期率、現時点で96パーセントに達しています』
マナが端末のデータを提示した。
『個々の実戦能力は未熟ですが、合算されたトータルの処理速度は初期想定を上回っています』
温かい食事による生理的な充足感が、昨日までの絶望的な疲労感をわずかに相殺していた。恐怖が消えたわけではない。しかし、互いの役割を信頼し、言葉のラリーで戦術を組み立てる感覚が、確かな結束を生み出していた。
1845時。
食事を終えた6人は、各自の装備点検を素早く完了させた。
自作ドローン小隊の赤外線センサ、暗視カメラの駆動テスト、陣内の情報端末の同期確認、剛田の大型ハンマーと接地杭の固定。どれひとつとして不備がないことを互いの目で確認し合う。
共同食堂の出口に、後藤教官と稲葉先生が音もなく現れた。
『時間だ。移動しろ』
後藤教官の短い号令とともに、冷徹な足音が廊下に響いた。
1900時。
第3層の演習場エリア。
普段はオレンジ色のナトリウム灯が点灯しているはずの巨大なドーム空間は、完全にスイッチが落とされ、一切の光が遮断されていた。
重厚な防爆扉の前に立った瞬間、扉の隙間から凍てつくような冷気と、人間の耳には聞き取れない高周波の電磁ノイズが這い出してきた。
『これより第3層、完全暗黒不整地における暗号通信中継網の構築演習を開始する』
頭上のスピーカから、サイボーグ石田教頭の無機質な音声が降ってきた。
『制限時間は60分。一箇所でも中継波の同期が途絶えた場合、部隊全員の生体評価を最低ランクに引き下げる。状況開始』
一瞬の静寂。
完全な暗黒の闇の向こうで、異界の気配が蠢くような低音がうねりを上げた。
多朗は深く息を吸い込み、ポケットの中でドローンの起動スイッチに指をかけた。
『行くぞ。離れるな』
6人の影が、一歩を踏み出して漆黒の闇の中へと呑み込まれていった。




