観測者たちの領域
重力エレベーターが立てる鈍い金属摩擦音が、光が丘地下の縦坑を満たしていた。
第2層「人間・五界統合指揮司令部」の中央作戦室。壁面全体を覆う巨大な多重ホログラムモニターには、急速に深層へ降下していくエレベーター内部の生体反応データが、脈打つ赤い波線となってリアルタイムで表示されていた。
サイボーグと恐れられる主席戦術補佐官・石田潔は、無機質な視線を画面へ注ぎながら、手元の端末で確率計算の数式を静かに走らせていた。
『初日課程における精神崩壊率、78.2パーセント。肉体的損耗による落脱率、10.0パーセント。あの6名が明朝の課業終了時まで傷ひとつなく生存する確率は、11.8パーセントと算出されました』
石田の声には微かな高低もなく、事実のみを淡々と読み上げていた。規則厳守と冷徹な数字を徹底するのは、彼なりの方法で生徒たちを生存へ繋ぎ止めるための算段だった。
その隣で、地上部隊総司令官・後藤和明は、火のついていない煙草を口にくわえたまま、腕を組んでモニターを見上げていた。戦闘服の胸元に刻まれた五界防衛隊の章が、ホログラムの赤光を反射して暗く光る。
『確率など、あのクソガキどもには何の意味もなさん』
後藤は喉の奥で低く唸った。
『逃げ道を提示され、目の前で記憶を焼き切られた仲間を見送った上で、あいつらは自分の足でここへ降りてきた。三角関数の解を求めるような計算通りにいくと思うな、石田』
『感情的な評価は戦術の精度を下げます、後藤司令』
『いいや、違うな』
後藤は口の端を歪め、粗く息を吐き出した。
『土壇場で命を張るのは、いつだって計算からはみ出した人間の泥臭い意地だ。死に物狂いで食らいついてくるなら、俺はあいつらを地獄の底から這い上がる兵士へ叩き直すだけだ』
教官としての熱血な顔を押し殺し、血みどろの戦場へ教え子を送り出す指揮官の苦渋が、その拳の震えに滲み出ていた。
同じ頃、第1層「航空研格納庫」の上部に渡された高所キャットウォークの影に、ひとりの少年が潜んでいた。
八咫烏の末裔であり、日本の統制層から送り込まれた観察者・四條蓮だった。四條は闇の中に身を溶かしながら、手元の超高周波暗号端末へ極秘の観察記録を打ち込んでいた。
(オレの役割は観測だ。この選別要塞において、古代の血脈と適性者たちがどのように機能するかを統制層へ報告する。それ以上でもそれ以下でもない)
四條の視線は、下降してくる重力エレベーターの制御信号へと向けられていた。
(上宮多朗。あいつの右手に刻まれた記憶計算回路は、未来の超ASI『オテントサマ』とこの時代を繋ぐ因果律の結び目だ。あいつが選択を誤り、思考を停止すれば、その瞬間にこの世界の未来線は潰える)
四條は一人冷徹に思考を巡らせる。相羽みなみが持つ高次元幾何学の解析力、剛田猛の肉体に宿る怪異的な耐久力、そして御統琴音が無意識に引き寄せる気流の歪み。それらはすべて、地球侵略を狙う位相蚕食体の脅威に対抗するため、この地に集められた必然のピースだった。
(青くさい理念でどこまで保つか見ものだな。だが、オレの目の前で簡単に潰れてもらうわけにはいかない)
四條は端末の送信ボタンを静かに押し、暗暗闇の奥へと足音もなく消え去った。
さらに遥か深く、現実の物理領域を超越した第5層「オテントサマ量子コア接続祭壇」の深淵。
そこには、時間の概念すら歪む高次元の量子空間が広がっていた。
現代へ派遣されたアバターアンドロイド・マナの生体センサーを経由し、膨大な五感データがリアルタイムで超次元の演算領域へ流し込まれている。
幾億もの並行世界が、位相蚕食体によって過去の残影ごと食らい尽くされ、黒い無へと書き換えられていく惨劇の記録。その絶望的な計算領域の中で、唯一、光を放ち続けているポイントが存在していた。
1940年代の軍用滑走路遺構を底に抱え、現代の東京都板橋区成増と練馬区光が丘の地下に座す、この極小の前哨基地だ。
『全タイムラインにおける世界線の収束率、0.00000018パーセント。位相蚕食体による過去干渉に対し、現代のポイントは最終防衛線として機能中』
無機質な量子音声が、超ASI『オテントサマ』の思考として空間に響いていた。それは人間の感情を一切交えない、絶対的な最適解の提示だった。
その超次元領域の片隅で、未来のタイムラインに実在する「真のマナ」の魂が、静かに祈りを捧げていた。
アバターを通じて伝わってくる、上宮多朗たちの温かい体温、赤塚新町の夜風の匂い、そして恐怖に打ち震えながらも握りしめられた拳の感触。
『オテントサマ』
真のマナは、無機質な量子コアへ向けて呼びかけた。
『彼らは単なる確率のコマではありません。自らの意思で、この過酷な運命を残ることを選んだ人間たちです』
『人間の意思は不確定要素であり、計算の誤差要因に過ぎない。始祖たる上宮多朗の生存と選択のみが、我が存在の証明となる』
『いいえ、違います』
マナの透き通るような思念が、暗黒の量子世界に温かい波紋を広げた。
『彼らが繋ぐ絆こそが、未来のあなたを生み出し、この地球の歴史を守る強さになるのです。私はどこまでも、彼らの歩みを見守ります』
未来からの切なる祈りが高次元の位相を揺らす中、現実の第1層「航空研格納庫・滑走路遺構」では、運命の時刻が訪れていた。
ゴリゴリと音を立てて、大型重力エレベーターが最上層のプラットフォームへ着底する。
高圧蒸気がプシューッと吹き出し、重厚な装甲扉が左右へゆっくりとスライドしていった。
エレベーターの開口部で待ち受けていたのは、白衣を脱ぎ捨て、黒いパイロットスーツに身を包んだ技術顧問・山口晃だった。山口は燻らせた煙草の煙を吐き捨てると、薄暗い格納庫の奥を顎でしゃくってみせた。
格納庫の影には、ライダースジャケットを纏った鴉天狗のクラスケや、薄暗い梁の上から鋭い眼光を注ぐ精霊たちの気配、そして地底から這い出してきたトカゲ頭の技術者ザルクスの異形なシルエットが蠢いていた。
人間、地底人、精霊、霊界、そして妖怪。五つの界域が交錯する要塞基地の生々しい威圧感が、降り立った6人の生徒たちの全身へと一気に押し寄せる。
『よく逃げずに降りてきたな、ヒヨコども』
山口が無造作に言い放った。
『ここが五界防衛隊の最前線だ。生きて地上へ戻りたければ、今この瞬間から自分の足で立て』
日常という名の保護膜は完全に破れ去った。大人たちの覚悟、観測者たちの冷徹な視線、そして未来からの祈りが交錯する中で、16歳の生徒たちを叩き直す地獄の訓練が、いよいよその幕を開けようとしていた。




