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都立 成増航空高等学校  作者: 秋津ネオ


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揺らぐ境界線


石田教頭からの冷徹な通信が途絶えた後、参道に漂う静寂は一段と重みを増していた。仮設中継端末の緑色LEDが、規則正しいテンポで脈打つように点滅を繰り返している。


 陣内竜太郎が四角い眼鏡のフレームを押し上げ、手に持った小型の作戦用タブレットへ手早く視線を落とした。


『全員、聞いてくれ。石田教頭の指示通り、当班の任務は成増神社を中心とした半径五百メートル圏内の境界監視、および光が丘緑地方面への観測索敵へ移行する。剛田と俺はここで中継端末の防衛と予備電源の確保を優先する。上宮、相羽、マナ、琴音の四人は、神社北側の鳥居を越えて緑地の外縁部へ向かい、索敵ラインを展開してくれ』


『分かった。中継端末の通信経路はドローン経由で常時バイパスを張っておく。何かあればすぐに探知できる』


 多朗はポケットから取り出した操作端末の液晶画面をスワイプし、上空で待機していた6基の自律ドローンへ新たな移動シーケンスを入力した。


『イチ番、ニ番は上空から広域監視。サン番、ヨン番、ゴ番は神社周辺の通信波形を維持。ロク番は俺たちの頭上五十メートルを先行して低空探査に入れ』


 多朗の操作に応じ、空中で小さなモーター音を立てていたドローン群が手際よく三方に分かれた。先行するロク番の小型カメラが捉えた映像が、多朗の立体モニターへリアルタイムで送信されてくる。


 神社に残る剛田が巨大なハンマーを参道の脇に置き、陣内と共に予備バッテリーのケーブルを中継端末へ接続し始めるのを背にして、多朗たち4人は神社北側の古い石段を下りていった。


 鳥居をくぐり、光が丘緑地へと続く舗装路に足を踏み入れた瞬間、琴音が不意に足を止めた。ポニーテールに結んだ髪が、風もないのに揺れて肩にかかる。


『多朗、何か変だよ』


『変って、何がだ』


『音がないの。さっきまで遠くで聞こえていた川越街道のトラックの走行音とか、東武東上線の踏切の音が、急に聞こえなくなった』


 琴音の指摘を受け、多朗も耳を澄ませた。


 確かに異様だった。成増から光が丘にかけてのこのエリアは、日中であれば常に自動車のロードノイズや生活音が混じり合う住宅街だ。しかし、一歩踏み出した道路の先では、蝉の声すら途絶え、まるで分厚い防音ガラスの向こう側に放り出されたかのような無音空間が広がっていた。


 相羽みなみが手帳型の端末を指先で操作しながら、多朗の少し前へと歩み出た。画面の青い光が、彼女の切れ長な瞳を冷ややかに照らし出している。


『琴音さんの感覚は正しいわ。音が遮断されているんじゃない。この周辺一帯の大気密度と電磁場の波形が、空間そのものの伝播特性を歪めているのよ』


『伝播特性』


『ええ。私の端末の計測データを見て。緑地の内部、かつて陸軍の成増飛行場や米軍のグラントハイツが存在していた地下遺構の上部にあたるエリアを中心に、超高密度の干渉波が発生しているの。それが外部からの音波や通常の電波を跳ね返して、この無音の歪みを形成している』


 相羽が提示したグラフには、空間の位相データが同心円状に激しく歪んでいる様子が記録されていた。


『上宮くん、あなたのドローン(ロク番)のカメラ感度を近赤外とミリ波レーダーに切り替えてみて。通常光のレンズじゃ捉えきれない異変が映っているはずよ』


『了解だ』


 多朗は端末のキーを素早く叩き、ロク番の撮影モードを複合スキャンへ変更させた。画面上の色彩が瞬時に変わり、熱分布と物体の構造輪郭が擬似カラーで表示される。


 その時、多朗の胸元の小型インカムから、境内の中継端末を守っている剛田猛のダミ声が飛び込んできた。


『おい、上宮!聞こえるか!』


『剛田か、どうした』


『神社の方も不気味なことになってやがる。境内の空気が焦げ付いた鉄の臭いと、何十年も湿ったまま日に当たっていない古い土の臭いで一杯だ。足元の土からも不吉な振動が伝わってきやがる。そっちの緑地側は大丈夫か』


『こっちは無音状態で、空間のデータが異常値を示している。油断するなよ』


 剛田の野性的で鋭い不快感は、現地にいる4人が感じ取っているプレッシャーと完全に一致していた。剛田からの報告とほぼ同時に、先行するロク番から送られてくるモニター映像に明確な異常が表れた。


 緑地の樹林帯と大気の境目が、まるで陽炎のように揺らめいていた。樹木の枝葉が立ち並ぶ風景の隙間で、大気が鏡のように反転し、現実の地形とは僅かに傾きが異なる不自然な「重なった幾何学の影」がチラチラと明滅していた。


 多朗の手が端末の上で止まる。


『なんだこれは。風景の中に、別の構造体が重なって見えている』


 多朗の隣で静かに並んで歩いていたマナが、透明感のある瞳を緑地の奥へと向けた。彼女の表情には微かな動揺すらなく、ただ氷のように澄み切った声で言葉を紡いだ。


『境界の合わせ目が引き剥がされようとしています、多朗さん』


『引き剥がされる』


『はい。かつてこの土地に刻まれた記憶の層と、現在私たちが立っている時間が、上空の干渉波によって強制的に分離を起こしつつあります。あの重なって見える影は、異なる位相から滲み出してきた事事象の輪郭です』


 マナはそれ以上詳しく語らなかったが、彼女の佇まいそのものが、目の前で起きている事態の不可逆性を雄弁に物語っていた。


 多朗が息を呑んだその瞬間、全員の胸元や腰に装着された通信機から、激しい静電気が弾けるようなバリバリという摩擦音が響いた。


『第三班、聞こえるか!後藤だ!』


 無線から飛んできたのは、担任の後藤和明の荒々しく切迫した怒声だった。背景からは、校庭に設置された大型通信機器が発する高圧電流の重低音が混じり込んでいる。


『後藤先生!こちら多朗です!緑地外縁部で視覚的な歪みと無音領域を確認しました!神社境内の陣内たちとも回線は繋がっています!』


『バカ野郎、それ以上前進するな!緑地の地下深域で測定不能のエネルギー増幅が始まった!山口先生の解析によれば、そこは現在、位相の崩落点になりかけている!直ちに索敵ラインを五十メートル下げろ!神社の中継点まで巻き込まれるぞ!』


『ですが先生、この歪みを放置したら境内の防衛線へ』


『深追いは厳禁と言ったはずだ!お前たちの役割は突撃じゃない!境界線を死守することだ!』


 後藤先生の怒声が途切れると同時に、緑地の深い樹林帯の奥から、目に見えない巨大な何かが膨張する気配が漂い始めた。


 それは物理的な風ではなかった。大気そのものが異常な高圧力となって重く押し寄せてくる感覚だった。頭上の樹々の葉がいっせいに逆立ち、地面に落ちていた乾いた枯葉が、重力を無視して宙へ浮き上がり始める。


『みんな、下がるんだ!ドローン小隊、全機緊急防御陣形!ロク番、フロントシールドを展開しろ!』


 多朗の叫びと共に、上空のイチ番からロク番までのドローンが一斉に急降下し、前進していた4人の前面に青い光の干渉フィールドを形成した。


 重苦しい圧力波が、多朗たちの立つ境界線へと容赦なく叩きつけられ、ドローンの防衛波形が激しい摩擦音を立てて火花のように明滅した。神社を守る陣内と剛田、そして緑地外縁で踏みとどまる多朗たち。日常の皮膜が完全に引き裂かれ、未知なる脅威が目の前まで迫っていることを、多朗は全身の肌で感じ取っていた。


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