波紋の格子
参道の湿った土に打ち込まれた杭の金属音が途絶え、仮設中継端末の上面で緑色の指示灯が淡い明滅を繰り返していた。打ち込みを担当した剛田猛が巨大なハンマーを肩に担ぎ直し、太い腕の汗を袖口で拭う。
陣内竜太郎がすぐさま大型無線機の送話ボタンを押し込み、口元を寄せた。
『こちら第三班、陣内。参道への通信中継点の固定作業、すべて完了しました。端末の同期インジケーターは正常な点灯状態を維持しています』
ノイズを孕んだスピーカーから、息を吐き出すような吐息と共に担任の後藤和明の声が弾けた。
『ようし、聞き取れた。第一関門は通過だ。あの境内の妙な静けさに騙されるなよ。電波の壁が綺麗に整ったということは、そこに明確な境界線が引かれたという証拠だ。現場の六人は配置を崩すな。そのまま周辺の監視を継続しろ』
『了解。第三班、現位置を保持し監視を続けます』
陣内が通信を終えて息を吐くと、隣に立っていた相羽みなみが手帳型の端末画面を高速でタップしていた。彼女の整った眉間に、深い皺が刻まれている。
『陣内くん、後藤先生の言う通りだわ。喜ぶのは早すぎる』
多朗は相羽の背後から画面を覗き込んだ。そこには、先ほどまでの激しいジャミング波形とは全く異なる、不気味なほど規則正しい幾何学的な図形が描かれていた。
『これ、どういうことだ相羽。ノイズは消えたんじゃないのか』
『表面上の雑音が消えただけよ、上宮くん。見て、この特定周波数帯の数値。先ほどまで参道全体を狂わせていた乱雑なノイズが消滅したのではなく、極めて高密度に圧縮されて、この周波数帯の裏側に押し込められているの。例えるなら、暴れていた猛獣を檻に閉じ込めた状態に近いわ』
相羽の指先が画面上の波形を拡大する。そこには、一定の周期で細かく拍動する微少な振幅が刻まれていた。
多朗は胸のポケットからドローン小隊の制御端末を取り出し、上空を旋回する6基の自律機へとアクセスを切り替えた。イチ番からロク番までの全機体から送られてくる全方位の映像と空間スキャンデータが、多朗の手元にある透明モニター上に統合されていく。
『イチ番、高度を維持したまま、境内の上空から光が丘緑地方向への全周波数を再スキャンしろ』
モニターの端で、イチ番の応答を示す青いシグナルが明滅した。直後、ドローン小隊が捉えた立体的な空間構造データが展開される。
多朗の目が見開かれた。
成増神社の境内を中心として、空中に目に見えない幾何学的な格子模様が張り巡らされていた。それはまるで、透明な格子戸が何重にも重ね合わされたかのように、神社上空から光が丘公園の広大な敷地、さらにはその地下深域へと向かって放射状に伸びていた。
『なんなんだ、このパターンは。ドローンの波形補正フィルターを通さないと見えないが、空間そのものが格子状に歪められている』
多朗が呟くと、静かに佇んでいたマナがそっと視線を落とし、低く澄んだ声で応えた。
『それは結界の骨組みです、多朗さん。応為姉様がふかした煙によって、この場所の歪みが整えられ、本来あるべき防衛の格子が展開されたのです』
『結界の骨組み』
『はい。ですが、これは外からの干渉を遮断するための箱ではありません。内に存在するものを逃がさず、同時に外からの圧力を一点に集約するための基盤です』
マナの言葉には一切の感情が含まれていなかったが、それゆえに圧倒的な現実感となって多朗の身体に重く圧しかかった。
その時、相羽の端末のスピーカーから、微かな電子音と共に低く落ち着いた音声が割り込んできた。相手は校内に残っている観察者、四條蓮だった。
『相羽、聞こえるか。君たちが固定した中継点からのデータは、こちらでも完全に捕捉している』
『四條くん。この上空の格子データも見えているのね』
『ああ。統制層の観測網が成増神社を基点として正常に立ち上がった証拠だ。上宮、君のドローン小隊が吐き出している自律補正データが、その格子の精度を異常な数値まで高めている。君の無意識の計算能力が、この土地の防衛線を補強していると言ってもいい』
四條の静かな指摘に、多朗の背筋に冷たいものが走った。
『俺が、防衛線を補強している』
『自覚の有無は関係ない。現実として、成増神社は単なる避難所や通信中継地ではなくなった。そこは現在、光が丘の地下に潜む構造体と地上を繋ぐ、第一級の防衛ノードだ』
通信の向こうで四條が短く息を吸う音が聞こえた。
『覚悟を決めておけ。格子が完成したということは、そこに歪みが溜まった際、最初に跳ね返りが来るのもその場所だ』
四條からの通信が途絶えると、参道に再び静寂が戻った。しかし、それは決して平穏な静寂ではなかった。
琴音が多朗のすぐ側に歩み寄り、ポニーテールを揺らしながら周囲の樹々を見上げた。彼女の周囲で、微かな大気が旋回し、風が葉を擦れ合わせる乾いた音を立てている。
『多朗。風の音が、さっきと違う』
『風の音』
『うん。ただ吹いているんじゃない。境内の外側から、大きな壁にぶつかって跳ね返ってくるような音がする。あたしたち、本当に変な場所に閉じ込められちゃったんじゃないのかな』
琴音の声には震えはなかったが、強がりの中に潜む緊張が痛いほど伝わってきた。多朗は手元のモニターをしっかりと握り直し、琴音の顔を見つめた。
『大丈夫だ、琴音。ドローン小隊の防衛フィールドは正常に動いている。何が起きても、俺が全機体を使ってお前たちを守る』
『多朗』
琴音が何か言いかけたその時、剛田猛が突然、地面に片膝をついた。大柄な体をかがめ、太い掌を参道の湿った土に直接押し当てている。
『どうした剛田』
陣内が駆け寄ると、剛田は険しい表情のまま地表を見つめていた。
『陣内、足の裏だ。靴底越しじゃ分かりにくかったが、地面の下で何かが唸っている』
『唸っている』
『ああ。機械の振動じゃねえ。もっと重くて、深い場所にある巨大な生き物が、ゆっくり寝返りを打った時みたいな気味の悪い揺れだ。骨に直接響いてきやがる』
剛田の言葉を裏付けるように、社殿の奥深くから、耳鳴りに似たごく微小な高周波が空気を通じて伝わってきた。境内の灯籠の影が、一瞬だけ不自然に引き引き伸ばされたように揺らめく。
直後、陣内の無線機から、先ほどの後藤先生とは異なる、氷のように冷徹な機械的音声が流れた。教頭の石田潔の声だった。
『第三班へ通達。通信中継点の固定を確認した。これより、本部は第二フェーズへ移行する。第三班は現位置を維持しつつ、神社を中心とする半径五百メートル圏内の境界監視を実施せよ』
石田教頭の通告は淡々と続いた。
『光が丘緑地方面からの空間干渉波の増幅が予想される。何かが境界線を突破しようとした場合、各自の判断で初期対応を行い、直ちに本部へ打電すること。以上だ』
通信が切れた。
多朗は上空を見上げた。青々とした初夏の樹々が覆いかぶさる成増神社の空は、一見すると何の変哲もない昼下がりの風景に見える。だが、ドローンが映し出す透過データの中では、幾重にも重なった透明な格子線が、怪しく青白い光彩を帯びて微細に明滅を繰り返していた。
校庭に搬入されたあの巨大な軍事車両、後藤先生たちの怒声、応為が吐き出した紫煙、そして地面の底から伝わる微かな不穏な拍動。日常という確固とした土台が音もなく崩れ去り、自分たちが完全に異変の渦中に組み込まれたことを、多朗は冷えた空気と共に全身で実感していた。




