社務所の縁側と紫煙
上空から押し寄せていた強烈なノイズと圧力が不自然に凪いだ直後、境内奥にある社務所の古い木造引き戸が、ガラガラと静かな音を立てて開いた。
建物の湿った陰からふらりと姿を現したのは、使い込まれた朱色の着物を崩し気味に羽織り、手に長い煙管を携えた女性だった。多朗にとっては下赤塚にある行きつけの古本屋の店主であり、マナと同居している応為だった。
『応為さん』
多朗が普段通り声をかけると、応為は煙管の吸い口を唇から離し、薄い笑みを浮かべて軽く片手を上げた。
『なんだい多朗、学校の行事かい。ゾロゾロと大きな荷物を抱え込んで』
古本屋の店内で見せる姿と何ひとつ変わらない、拍子抜けするほど気だるげな態度だった。だが、初対面となる陣内や相羽、剛田の3人は、彼女が身に纏う独特の空気感と異様な存在感に気呑みされたように、一瞬言葉を失って固まっていた。
陣内が四角い眼鏡の位置を直しながら、戸惑いがちな声を絞り出した。
『あ、あの、失礼ですが、こちらは関係者の方でしょうか。現在、当校の特別防災ボランティア演習の最中でして』
応為は陣内の固い挨拶を軽く受け流し、煙管の先から細く紫煙をふっと吐き出してみせた。紫色の煙が参道の湿った空気の中にゆったりと広がり、上空に残っていた嫌な電波のざらつきを綺麗に拭い去っていく。
『相変わらず賑やかだねえ。空が騒がしいと、うちの畳まで湿気っぽくて困るよ』
彼女は余計な解説や事情説明など一切口にせず、ただ空を仰いで短く呟くだけだった。その言葉の意味を深く追求させない圧倒的な余白と、底知れない不気味さが境内を支配していた。
マナが静かに一歩前へ出ると、応為を見上げて声をかけた。
『応為姉さん。作業、再開するね』
『好きにおやり。ただし、庭の植木鉢を踏み荒らしたら後藤に弁償させるからね』
応為はトントンと煙管の灰を縁側のはずみに叩き落とすと、それ以上は何も言わずに社務所の奥へと姿を消していった。
静寂が戻った境内で、相羽みなみが手帳型の端末を操作しながら深いため息を漏らした。画面からは、先ほどまで表示されていた真っ赤な警告信号が綺麗に消え去っていた。
『上宮くん、あなたのドローン小隊の映像、完全に復元されたわ。上空の通信干渉波もほぼゼロに抑え込まれている』
多朗が手元のモニターを確認すると、上空を旋回しているイチ番たちからの映像はクリアに澄み渡り、地形データが綺麗にレンダリングされていた。ドローンたちの防衛システムと境内の領域が噛み合った証拠だった。
その時、陣内の腰に装着されていた大型の無線機から、激しいバリバリという雑音が弾け飛んだ。
雑音を突き破って飛び込んできたのは、担任の後藤和明の野太い怒声だった。
『第三班!応答せよ!神社周辺で異常なノイズを検知したか!』
陣内が慌てて無線機のスイッチを押し込み、マイクを口元へ寄せた。
『こちら第三班、陣内です!先ほどまで激しい電波障害を確認しましたが、現在は正常値に復帰しました!』
『よし上等だ!動じるな!そのまま中継装置の脚を地面に固定し、通信ラインを死守しろ!現場の生きたノイズを喰らうのも訓練のうちだ!』
後藤先生の力強い命令に、陣内が大声で指示を飛ばした。
『全員、固定用のアンテナ杭を打つぞ!手伝え!』
大柄な剛田が声を張り上げ、巨大なハンマーを力強く振り下ろした。ドシン、ドシンと重い音が境内に響き渡り、中継装置の強固な脚が成増神社の参道へ深く深く打ち込まれていった。
通信ケーブルの接続を完了させ、仮設中継端末の緑色のLEDランプが規則的に点滅を始める。これで学校の本部との通信ラインと、上空の観測網が完璧に固定された。
目に見えない脅威と、後藤先生たちが張り巡らせた巨大な陣形。新聞やテレビが報じる表面上の平和の裏側で、確実に何か恐ろしい異変が進行している。
多朗は稼働音を立てるドローンの通信端末をそっとポケットへ収め、静かに呼吸を整えた。本部からの次なる指示を待つ俺たちの頭上で、初夏の樹々が青々とした葉を風に揺らしていた。




