光が丘の緑陰とノイズ
配給された大型の通信端末や観測用の中継機器を分担して持ち、俺たち1年A組第三班のメンバーは、校門を出て光が丘緑地へと向かう道を歩いていた。
成増の駅周辺から川越街道沿いに伸びる街並みは、表向きは普段通りの平穏を保っているように見えた。だが、通り過ぎる大型トラックの荷台に積まれた灰色の金属箱や、主要な交差点に路駐されている警察の車両には、どこか冷ややかな緊迫感が漂っていた。校庭で見たあの要塞のような設営現場と同じ匂いが、街の各所にじわじわと染み出しつつある。
光が丘公園の広大な緑地に足を踏み入れた瞬間、街道の騒音がふつりと途切れた。
初夏の強い日差しを遮るように高く伸びた木々が、濃い緑の陰を地面に落としている。しかし、青々とした葉の生い茂る木々の間を吹き抜ける風は妙に重く、肌にまとわりつくような湿気を含んでいた。公園内で遊んでいる一般の家族連れやジョギング中の人々の姿も疎らで、広い敷地全体が不自然な沈黙に包まれている。
『よし、ここを仮設の通信中継点にするぞ。各自、指示書通りの間隔でセンサー脚を配置してくれ』
四角い眼鏡の位置を直しながら、学級委員長の陣内竜太郎が重いバックパックを地面に下ろした。彼の手にある配置図には、学校側から細かく指定された座標と、高高度観測用のセンサー設置手順がびっしりと書き込まれている。
陣内は手元の端末に表示された設定数値を覗き込み、不快そうに眉間へシワを寄せた。
『どう考えてもおかしい。この中継機器に指定されている受信感度の設定閾値だが、通常の気象観測や防災無線で使われる帯域とは根本的に異なる。これではまるで、空間そのものの波長誤差や、高エネルギー体の接近を拾うためのレーダーだ』
『かたいこと言うなよ陣内!大人たちがすげえ機材を貸してくれたんだから、言われた通りガツンと組み立てればいいんだよ!』
大柄な剛田猛が、成人男性でも持ち上げるのに苦労するような鉄製のアンテナ台座と巨大なバッテリーを、一人で片手ずつ軽々と持ち上げてみせた。剛田は腕の筋肉を浮き上がらせながら、ドスンと重い音を立ててアンテナ台座を腐葉土の地面へ打ち込んでいく。その桁外れのパワーと手際の良さに、陣内も呆れたように息を吐くしかなかった。
俺は自前の工具バッグを開け、中に潜んでいた6基の自律ドローン小隊へ視線を送った。
カバンのファスナーの隙間から、手のひらサイズの小さな機体たちが次々と顔を覗かせる。
『タロウ様、外部の空気測定値、不快指数が急上昇中でござる!早く大空へ羽ばたかせてもらうでござる!』
リーダー格のイチ番が、極小のスピーカーからお調子者らしい高音を響かせた。ニ番やサン番もプロペラをシャカシャカと微振動させ、出撃の許可を待っている。
『静かにしろイチ番。陣内たちに聞こえたらどうするんだ』
『大丈夫でござる!山口顧問の暗号キーを通過させてあるので、我らの音声通信はタロウ様の受話器とこの直近数メートルにしか届かない仕様でござる!』
俺は小声で注意しながら、6基のドローンを手のひらに載せ、順番に上空へと放った。
ブーンというかすかなモーター音とともに、小さな機体たちが初夏の木漏れ日の中をすり抜け、緑地の上空へと一気に舞い上がっていく。山口先生から託されたミッション通り、光が丘から成増神社周辺に至る空間の立体データを取得するための飛行を開始したのだ。
上空数千メートルまで一気に高度を上げたイチ番たちから、俺の手元の小型モニターへリアルタイムの地形データが送られてくる。画面上に緑地の高低差や樹木の配置が立体的に描かれていくのを見つめていると、画面の隅でイチ番の通信ログが黄色く明滅した。
『タロウ様、上空の電波空間に奇妙な空間の歪みを検出したでござる!通常の通信波形と異なり、波長が定期的に打ち消し合っているでござるよ!』
『歪み?ただの電波障害じゃないのか』
俺がモニターのノイズを調整しようとすると、すぐ隣から滑らかな気配が近づいてきた。転校生のマナだった。
マナはいつものように静かな佇まいで俺の横に立ち、モニターに表示されている数値列を透き通るような瞳で見つめた。
『上宮くん。イチ番機が捉えたデータは、単純な電波干渉ではありません。大気中に残留する未知のエネルギー波形が、空間の伝播効率を局所的に歪めています』
マナは感情を一切交えない淡々とした声で言った。彼女は俺を「上宮くん」と呼びながら、その高精度な視覚センサーで上空の異常を正確に読み取っているようだった。
そこへ、周囲の草むらを押しのけて相羽みなみが歩み寄ってきた。彼女は胸元に抱えた手帳型の端末を開き、画面に表示された複雑な波形グラフを俺のモニターと照らし合わせた。
『上宮くん、あなたのドローンが拾ったデータ、あたしの端末にも同期させたわ。やっぱりおかしいわね。このノイズのパターン、防衛省や海外の専門機関が厳重に隠蔽している特定周波数のノイズと完全に波形が一致しているの』
相羽みなみは眼鏡の奥の瞳を険しく光らせ、手帳の画面を指で叩いた。
『父親のパソコンで見かけた極秘の交戦記録にも、これと同じ波形ノイズが前兆として記録されていたわ。この成増や光が丘の上空、すでに普通の空じゃないわよ』
相羽みなみの言葉に、俺は喉の奥がカラカラに乾くのを感じた。
学校の校庭に敷かれた要塞のような設営。下赤塚の銭湯で後藤先生と鉄山が交わしていた密談。四條が口にした目くらましという言葉。それらの断片が、いま上空に走る謎のノイズという現実のデータとなって、俺たちのすぐ頭上に突きつけられている。
『全員、設営第一段階は終了だ!次は神社側の参道に沿って第二中継線を引くぞ!』
陣内の号令がかかり、俺たちは観測機器を抱えて緑地の奥、成増神社の境内へと繋がる鬱蒼とした参道へと移動を始めた。
古くからこの土地を守る神社へと続く石畳の道は、立ち並ぶ大木の枝葉によって陽の光が遮られ、昼間だというのに薄暗かった。湿った土と古い木の匂いが立ち込める中、先頭を歩いていた琴音が、不意に足を止めた。
『なになに、いきなり風向きが変わったわね』
琴音は首をかしげ、自分の肩に落ちてきた一枚の葉っぱを払い落とした。
彼女が言葉を口にした瞬間、それまで凪いでいた参道の空気が、一変して冷ややかな渦を描き始めた。頭上の木々がサワサワと不自然な音を立てて揺れ、琴音の頭上だけ、落ち葉が円を描くようにくるくると旋回して散っていく。
『琴音、大丈夫か』
『え?うん、急に冷たい風が吹いたから驚いただけだけど』
琴音本人は自分が巻き起こした微かな空間の揺らぎに気づいていないようだった。だが、彼女の周囲で起きている不自然な気象の乱れは、明らかにただの突風ではなかった。
その時、俺のポケットの中でイチ番たちが一斉に警戒アラートを鳴らした。
『タロウ様!成増神社上空の空間歪み率、急激に上昇!訓練用のテスト信号ではあり得ないレベルのノイズが、直上から降りてきているでござる!』
相羽みなみの手帳端末の画面にも、真っ赤な警告表示がけたたましく点滅し始めた。
モニターの画面全体に、走査線のような太い横ブレが走り、光が丘の緑地を捉えていた立体カメラの映像が激しく歪み歪んでいく。
ただの防災演習、ただの実戦訓練という言葉では到底説明のつかない本物の異常が、空間の亀裂となって、俺たちの頭上へ静かに舞い降りようとしていた。




