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都立 成増航空高等学校  作者: 秋津ネオ


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29/82

夜の静寂といつもの帰路

 さわやを出て、夕闇の迫る川越街道を成増駅に向けて歩き出す。六月の夜風が、温かい食事で少し火照った身体に心地よく吹き抜けていく。


 街道の分岐点に差し掛かったところで、マナが足を止めた。ここから成増駅へと向かう多朗たちと、旭町の方向へと進むマナとに別れることになる。


『じゃあ、私はこっちですから。また明日、学校で会いましょう。上宮君』


 マナは小さく手を振ると、街灯の光が途切れる薄暗い街道の先へと、足音もなく歩き去っていった。その背中が見えなくなるまで、多朗はなんとなく視線を動かしていた。街灯の光が一瞬だけチカチカと不自然に点滅し、街道の影がゆらりと揺れる。


『ちょっと多朗、いつまで見送っているのよ』


 隣を歩く琴音が、多朗の制服の袖を軽く引っ張った。


『マナのやつ、本当に不思議な雰囲気を持ったやつだよな。どこに住んでいるんだろうな』


 多朗が何気なく呟くと、琴音は呆れたように息を吐いた。


『どこに住んでいようが関係ないでしょ。それよりも、明日の部活の準備は本当に大丈夫なの。予定していた新しい模型飛行機の配線作業、まだ半分も終わっていないんでしょ』


『分かっているよ。明日の朝、いつもより少し早く部室に行って、半田付けの作業を終わらせるつもりさ』


『ふーん。相羽が残してくれた技術ノート、そんなにすごいの』


『すごいなんてもんじゃないよ。相羽のやつ、本当に精密な回路設計をするんだ。あのノートに書かれている計算式を使えば、次の飛行実験は確実に成功する』


『へえ。多朗がそこまで褒めるなんて珍しいね』


 成増駅の改札口を通り抜け、東武東上線の普通列車に乗り込む。車内は空いていて、二人は並んで長椅子に腰を下ろした。電車の心地よい揺れに身を任せながら、多朗は頭の中で明日の工作の手順を組み立てる。


『ねえ、多朗』


『ん、何だよ』


『あの半田付けの作業、私も手伝おうか。配線の被覆を剥くくらいなら、私にだってできるし』


『本当か。助かるよ。琴音が手伝ってくれれば、一限が始まる前に飛行試験までいけるかもしれないな』


『ただし、交換条件ね。今度の日曜日、課題のノートを見せなさいよ。特に数学の微積のところ』


『やっぱり下心があったか。まあいいよ、そのくらいなら安いもんだ』


『よし、取引成立ね。絶対に寝坊しないでよ』


『大丈夫だって。明日は気合いが入っているからな』


『いつもそう言って、結局私が起こしに行くことになるんだから。高校に入ってからも全然変わらないんだから』


『それは中学までの話だろ。もう俺だって自分の管理くらいできるさ』


『はいはい、明日の朝を楽しみにしているわ』


 高校生活が始まってまだ二ヶ月。少しずつ馴染んできた新しい日常の会話を交わしているうちに、電車は朝霞駅に滑り込んだ。


 静かに扉が開く。駅前に出ると、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。


 駅から二人の自宅がある住宅街までは、緩やかな坂道をしばらく上っていくことになる。等間隔に配置された街灯が、舗装された道に白い光の輪を作っている。生垣からは、夜露に濡れた葉の匂いが微かに漂っていた。


 静かな夜道を並んで歩いていると、多朗の脳裏に、数日前の出来事がふと蘇ってきた。この同じ坂道を一人で歩いていた時、背後から誰かの執拗な足音が聞こえていたような、あの何とも言えない薄気味悪い感覚だ。振り返っても誰もいないのに、自分の歩調に合わせて確実に後ろを踏みしめる靴音が響いていたあの夜の記憶。


 多朗は無意識のうちに少し身構え、さりげなく斜め後ろの暗闇を振り返った。


(やっぱり、誰かの視線を感じる。気のせいじゃないはずだ)


 しかし、舗装路には怪しい人影などどこにもない。風が生垣の梢を揺らしているだけだ。街灯の明滅に合わせて、影がわずかに伸び縮みしている。


『ちょっと、多朗、さっきから何をきょろきょろ見回しているのよ。変な顔をして、お化けでも出たの』


『いや、なんでもないさ。数日前、この道を歩いていた時に少し風の音が気になったのを思い出しただけだよ』


『相変わらず心配性ね、多朗は。そんなことより、明日は絶対に遅刻しないでよ。朝一番の作業を手伝ってあげるんだから』


『分かっているって。助かるよ、琴音。明日はちゃんとスマホの目覚まし時計をセットして起きるさ』


『本当かしらね。いつも何回も繰り返し鳴るアラームを無視しているくせに』


『う。なんでそれを知っているんだよ』


『隣の家なんだから、夏場で窓を開けていれば微かに聞こえるに決まっているでしょ。朝から騒々しいんだから』


『まじか。今度から音量を下げるよ。というか、そんなに響いていたのか』


『そうよ。だから私が先に目が覚めちゃうの。本当に迷惑なんだからね』


『悪かったよ。明日は一発で起きるから、窓を開けて耳を澄ませておいてくれよ』


 二人は小さく笑い合いながら、隣り合った二人の家の門扉の前へと辿り着いた。古くからこの土地にあるそれぞれの家が、夜の静寂の中で佇んでいる。


『じゃあな、また明日、学校で』


『うん、また明日ね。しっかり早く寝るのよ』


 琴音は小さく手を振ると、自分の家の敷地へと入っていった。パタンと静かに門扉が閉まる音が響く。


 多朗もまた、我が家の門扉を押して敷地に入ろうと手に力を込めた。


 その瞬間だった。多朗の右手が、凍りつくような激しい痺れとともにドクンと強く脈打った。


(な、なんだ!? 右手が冷たい! 近くに何かいるのか!?)


 背後の暗闇から、大気が不自然に押し潰されるような強い圧力が迫ってくる。多朗が慌てて振り返ろうとした直前、闇を切り裂く鋭い風切り音が夜の静寂を劈いた。


 キインッ!


 乾いた高い金属音が響き、万年塀の影が一瞬だけ火花のような淡い光で赤く染まった。鼻を突く焦げ臭い硝煙の匂いが、夜風に乗って多朗の顔をかすめる。


『くっ!』


 多朗は思わず身を竦め、目を凝らして暗闇の中を凝視した。


 しかし、そこには誰もいない。街灯の下で生垣が風に揺れているだけだった。ただ、隣の民家の万年塀の表面に、まるで何か硬いものが激しく叩きつけられたかのような小さな削り傷が残り、微かな熱気を放っていた。


(今の音と光はなんだ? まるで金属同士が激しくぶつかり合ったみたいな、それにこの焦げ臭い匂いは、、、、)


 多朗の右手の痺れが、波が引くようにゆっくりと引いていく。周囲は再び何事もなかったかのように静まり返っていた。


 多朗は息を整えながら、我が家の玄関の戸を開けた。


『ただいま』


 靴を脱いで上がると、聞き慣れた家族の声と温かい光が迎えてくれた。


 自分の部屋に入り、制服から部屋着へと着替える。窓の外の夜空を見上げると、静かな街並みが静かに眠りにつこうとしていた。


(気のせいなんかじゃない。やっぱり、僕の知らないところで何かが起きているんだ)


 多朗は自身の右手を見つめ、指先を軽く握りしめた。明日への期待と、拭いきれない微かな不安を胸に抱きながら、多朗は静かに布団へと潜り込むのだった。 

 

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