トランプ大統領がUFO情報を公開するっていうニュースに沸く教室で、隣の席のマナが俺の腕に抱きついてきた
朝の柔らかい春の光が斜めに差し込む一年A組の教室は、いつも以上の妙な熱気と騒がしい興奮に包まれていた。
多朗は、昨夜の惨劇のような恐怖の残滓が頭から離れないまま、重い足取りで自分の席に腰を下ろした。一昨日のあの地下室で後藤教官の見せた冷酷な瞳や、二年生の先行調整組である榊先輩たちが強制的に飲まされていた不気味な紫色の丸薬。そして何より、昨夜の帰り道に朝霞の静かな住宅街で、自分のすぐ背後からしつこく迫ってきたあの正体不明の足音の恐怖。それらの恐ろしい記憶が胸を重く締め付け、多朗はヘタレらしく小さくため息をつくことしかできなかった。
(昨夜のあの暗闇の足音は一体何だったんだ。本当に俺を不純物として追いかけてきていたのか。あのはんだ付けで右手が覚醒したせいで、後藤教官たちの手先に狙われ始めたんじゃないだろうな。もし次に襲われたら、俺なんて一瞬で消されてしまうぞ)
多朗が自分の右手のひらをそっと擦り合わせながら胸の内で怯えていた、まさにその時だった。
『おい多朗! 見たかこれ! マジでとんでもないことになってるぞ!』
斜め前の席から、剛田がもの凄い勢いで椅子を鳴らして振り返った。その手には使い込まれたスマホが握られており、発光する液晶画面を多朗の目の前へ強引に押しつけてくる。
『なんだよ剛田、朝からそんなに大声を出して騒々しいな。またから揚げの特盛りの話なら間に合ってるぞ』
『違うわ! から揚げじゃなくて、これだよこれ! ネットの最新ニュースを見ろって!』
『ネットのニュース』
多朗が画面の文字に目を凝らすと、そこには太字で不気味なほど衝撃的な見出しが躍っていた。
『トランプ前大統領が七月四日に重大発表。米国政府が極秘裏に隠蔽してきた宇宙人と未確認飛行物体の存在を全面公開へ』
『トランプが宇宙人の情報を公式に公開するって、マジかよこれ』
多朗は思わず目を丸くして呟いた。
『だろ! 掲示板でもまとめサイトでも、今この話題で完全に祭り状態なんだよ! おい相羽、お前これ本気だと思うか!』
剛田が通路を挟んだ隣の席の相羽に同意を求めると、相羽はいつものように涼しい顔で、教科書をノートの横に几帳面に並べながら小さく息を吐き出した。
『単なる注目集めの政治パフォーマンスとも言い切れないわね。もし本当なら、現代の科学や人類史の前提が根底から覆るわ。学校で習う歴史や物理の内容なんて、全部ゴミ箱行きよ』
相羽は短い髪をそっと耳にかけながら、淡々と論理的に言った。
『おいおい、そんな大ごとになるのか』
『大ごとどころじゃねえって! あの有名映画みたいに、巨大な円盤が空を埋め尽くして、街が怪光線で粉々にされるのかもしれねえんだぞ! 想像しただけで胸が熱くなってくるだろ!』
剛田が興奮を隠しきれない様子で、身を乗り出してくる。しかし多朗は、一昨日目撃したあの壊れた液晶画面のようにチカチカと不気味に明滅していた空や、昨夜自分を追ってきた冷たい足音を思い出し、背筋を凍らせて冷や汗を拭った。
『大丈夫ですよ、多朗くん。もし本当に空からそんな不完全な侵略者が攻めてきても、私が多朗くんのことは絶対に、完璧にお守りしますからね』
突如、すぐ左横から鼓膜に直接届くような甘く澄んだ声が響いた。
数日遅れてこの成増航空高校に入学し、多朗のすぐ隣の席に座っているマナだ。彼女は周囲の視線など一切気にしない様子で、多朗の左腕に柔らかくて温かい自らの身体を隙間なくべったりと密着させてきた。透き通るような白い肌から、微かに甘い花の香りが漂ってくる。
『うわ、マナ! 急に抱きつくなよ! みんな見てるだろ!』
多朗は心臓が跳ね上がり、慌てて腕を引き抜こうとしたが、マナは嬉しそうに微笑むだけで絶対に腕を離そうとしなかった。
『いいじゃないですか。多朗くんの隣は私の指定席ですから。トランプの言う宇宙の存在なんて、私と多朗くんの約束に比べたら、本当に小さくて取るに足らないものです』
『相変わらずマナは多朗にベタベタだなあ。おいマナ、多朗みたいなヘタレのどこがそんなにいいんだよ』
剛田が羨ましそうに、そして呆れたような声をあげる。
『ちょっとあんたたち! 朝から何を馬鹿な話で盛り上がっているのよ!』
多朗のすぐ前の席に登校してきた幼馴染の琴音が、カバンの底を机の上にドサリと置くと、くるりと勢いよく振り返って腕を組んだ。
『琴音! お前、このニュースを知らないのか! アメリカの大統領が宇宙人の存在を公式に認めるかもしれないんだぞ!』
剛田が不満そうに声をあげる。
『知ってるわよ! でも、そんなのどうせ次の選挙に向けたパフォーマンスに決まっているじゃない! ただの政治行動よ! そんなオカルト話に騙されて大騒ぎするなんて、本当に子供なんだから! 多朗も一緒になって目を丸くしちゃってさ! っていうかマナ、あんた朝から多朗に密着しすぎよ! 今すぐ離れなさいよ!』
前の席から振り返った琴音の瞳に、多朗の傍らに当然のように居座るマナへの激しい嫉妬の炎が燃え盛る。しかし、マナは小首を傾げて静かに微笑むだけだった。
『嫌です。私は多朗くんの行く場所なら、世界の果てまで同行すると心に刻んでいますから。琴音さんこそ、私たちの邪魔をしないでください』
『な、何言ってるのよこの女は!』
琴音は顔を真っ赤にして怒鳴るが、振り返って机の端を握りしめるその指先が、かすかに震えているのを多朗は見逃さなかった。彼女の瞳の奥には、一昨日の地下室での地獄のような惨劇、そして互いに見え方の違う不気味な空への恐怖が、まだ色濃く残っているのだ。必死になって強気な自分を演じることで、己の激しい動揺を隠そうとしているのが、多朗には痛いほど伝わってきた。
『まあ、映画みたいな話なら面白いけどな! もし本物の宇宙人が攻めてきたら、俺自慢の筋肉でぶっ飛ばしてやるよ!』
剛田が豪快に笑いながら、自分の太い腕の筋肉を誇示してみせる。あの地獄のような地下室で凄まじい衝撃波を受け止め、怪我をしたはずなのに、何事もなかったかのように呑気に笑う剛田。
『あら、剛田くんのその不完全な防壁も、少しは役に立つかもしれませんね』
マナが多朗の腕に頬を寄せながら、事も無げに言った。
『マナ、お前それどういう意味だよ』
剛田が不思議そうに首を傾げる。
日常の皮を一枚めくれば、底知れない不気味な闇が大きな口を開けて待っている。多朗はマナの心地よい体温と、自分の右手の冷たい痺れを同時に感じながら、これから訪れるであろう世界の激変の足音に、ただ一人で冷や汗を流し続けることしかできなかった。




