入学早々チョークを折る担任教師、どう見てもカタギじゃない件
高校生活二日目。
徒歩二十五分の過酷な通学路を乗り越え、俺は自分の席でぐったりと机に突っ伏していた。
「ちょっと多朗、朝から死にそうな顔しないの。まだ授業も始まってないでしょ」
前の席から、琴音が呆れた顔で振り返る。
「いや、昨日と今日で往復五十キロくらい歩いた気分なんだよ。足の筋肉が悲鳴を上げてる」
「大げさねえ。たかが二キロ弱じゃない。ほら、シャキッとしなさいよ。新しいクラスメイトが見てるわよ」
「クラスメイトって言ってもなあ」
俺が面倒くさそうに顔を上げると、通路を挟んだ隣の席から、ドスンと地響きのような音がした。
「よお。お前ら、昨日の放課後さわやにいただろ。俺、カウンターの端で唐揚げ食ってたんだわ」
声をかけてきたのは、高校生とは思えないほどガタイのいい男だった。短髪で、制服の詰襟がはち切れそうになっている。
「え、あ、そうだっけ。ごめん、飯の量に圧倒されて周りが見てなかった」
「ハハハ、きっこばあちゃんのライスは初見殺しだからな。俺は剛田猛。よろしくな、上宮」
「俺は多朗。こっちは幼馴染の御統琴音」
「よろしく、剛田くん。あんた、さわやの常連なの」
琴音が興味深そうに身を乗り出す。
「おう。あそこの生姜焼きを食うために成増航空に入ったようなもんだからな。それにしても、この学校なんか変だよな。統合新設校っていうからもっとピカピカかと思ったら、校舎は古いし。上の学年の先輩たちも、前の学校からそのままスライドして通ってるらしいぜ」
「へえ、合併してできた学校なんだ」
俺が納得しかけたところで、剛田が声を潜めて言った。
「いや、それがさ、先輩たちに聞いても、前の学校の名前を誰も思い出せないんだよ。みんな、あれ、何て学校だっけって首を傾げるんだ。不気味だろ」
「え、何それ。怖っ」
琴音が身を震わせる。
そんな奇妙な居心地の悪さを感じていると、ガラガラと前方のドアが勢いよく開いた。
入ってきたのは、ヨレヨレのスーツを着た、やけに目つきの鋭い男だった。
教壇に立つと、出席簿をドンと叩きつける。
「席につけ。一年の担任で、数学を受け持つ後藤和明だ。これからよろしく、なんて生ぬるい挨拶はせん。いいかお前たち。今日からこの成増航空で、空間のすべてを支配する基礎を叩き込む」
後藤先生は、黒板に向き直るとチョークをひっ掴んだ。
「まずは三角関数だ。サイン、コサイン、タンジェント。これが解けん者に、未来の軌道は描けんと思え」
バキィッ。
凄まじい音を立てて、先生の指の中で新品の白チョークが粉々に砕け散った。
教室が一瞬で静まり返る。
「あ、あの、先生。チョーク、折れてますけど」
前列の女子が恐る恐る手を挙げた。
「構わん。私の計算スピードにチョークの強度が追いついていないだけだ」
後藤先生は平然と粉を払い、短い破片のまま、黒板に猛烈な勢いで数式を書き殴り始めた。その背中は、どう見ても普通の数学教師のそれではない。何か、戦場をくぐり抜けてきたような異様な殺気すら漂っていた。
「なあ多朗。あの先生、絶対カタギじゃないよな」
剛田が声を潜めて、俺に囁いた。
「同感だ。数学っていうか、大砲の弾道計算でも教えてるみたいだぞ」
俺たちは冷や汗を流しながら、黒板を埋め尽くしていく謎の幾何学模様を見つめるしかなかった。




