歪む街道と冷たい路地裏
校門を出て光が丘公園の脇を抜け、川越街道の大きな交差点へと向かう途中で、剛田が両足の太ももを両手で激しくさすりながら足を止めた。
『悪い、俺はもう限界だ。うちの店はここから路地に入ってすぐだから、先に帰って湿布を貼り直すわ』
剛田は情けない顔で太ももをかばいながら、赤塚新町の実家である定食屋さわやへ続く横道へと折れていった。歩くというよりは足を庇ってひょこひょこと進む後ろ姿だが、実家が目と鼻の先にあるため、何とか自力で辿り着けそうだった。
『あんた、本当にだらしないわね。じゃあ私は駅前でお惣菜を買って帰りたいから、先に行くわよ』
相羽が呆れ顔で吐き捨てると、長い脚を大股に動かして、成増駅南口へ向かう買い物客で混み合う歩道の先へと早足で歩いていってしまった。
結局、いつもの帰り道を同じ方向へ歩くことになったのは、多朗と琴音、そしてマナの三人だけだった。
(剛田も相羽もあんなに軽快に去っていったけど、俺の胸のザワつきは少しも収まらないぞ。榊先輩が残していった境界線という言葉が、頭の中で何度も嫌な音を立てて反響している。あの刺すような錆びた鉄の匂いも、鼻の奥にへばりついて離れないんだ)
多朗は一人で胸の内で呟きながら、薄暗くなり始めた四月の春の街並みに視線を向けた。
『ねえ、多朗。さっきの榊先輩の話、どう思う。なんだか凄く怖かったんだけど』
琴音が制服のカバンの紐を両手でぎゅっと握りしめながら、不安そうな大きな瞳で隣の多朗を見上げてきた。
『さあな。俺たちを脅かそうとしただけだろ。特進組の連中は、俺たち一般クラスの生徒を見下して楽しんでいる節があるからな。いちいち真に受けていたらキリがないよ』
多朗は平静を装ってそう答えてみせたが、胸の奥のざわざわとした胸騒ぎは小さくなるどころか膨らむ一方だった。
榊先輩が口にした、境界線、という言葉。あるいは、覚悟のない奴から死ぬ、という不吉な予告。あのとき中庭の空間がまるで重鉄の壁のようになった異様な圧迫感は、ただの不良のハッタリにしてはあまりにも生々しすぎたのだ。
川越街道の車道には、帰宅ラッシュのトラックや乗用車が点々とヘッドライトを点灯させて走っている。しかし、夕暮れの橙色の光線を受けるそれらの車体が、なぜか多朗の目にはやけにギラギラと不自然に明滅し、空間ごと歪んでいるように見えた。
『上宮くん、琴音さん、ちょっと待ってください』
不意に、後ろを一歩遅れて歩いていたマナが足を止めた。
多朗と琴音も釣られて足を止め、振り向く。マナは街道から一本横へ入った、薄暗い路地の奥をじっと見つめていた。そこは古い一軒家とマンションの隙間に位置し、錆びついた清涼飲料水の自動販売機がぽつんと佇んでいるだけの、何の変哲もない住宅街の路地だった。
『何だよマナ、自動販売機がどうかしたのか。喉でも乾いたのか』
『いえ、そうではないのです。あの路地の奥、なんだかとても変です。誰もいないはずなのに、さっきから誰かとすれ違ったような、冷たい風の匂いがするんです』
マナはいつもの穏やかな笑顔のまま、少しだけ小首を傾げて路地の奥の暗闇を凝視している。その透き通った瞳は、冗談を言っているようには到底見えなかった。
『え、ちょっとマナさん、やめてよ。ただの日陰じゃない。急に怖いこと言わないでよ』
琴音が顔を引きつらせ、多朗の制服の袖をぐっと掴んできた。掴んだ琴音の指先が、かすかに震えているのが服越しに伝わってくる。
その瞬間、琴音の首筋にぽつぽつと鳥肌が立ち上がった。彼女自身すら気づいていない潜在的な異能、周囲の大気や天候の微小な歪みを感知する感覚が、路地の奥から漏れ出す不気味な気配に反応したのだ。
『おいマナ、ただの路地裏だろ。春の西日のせいで影が濃く見えているだけだよ』
多朗もそう言って笑い飛ばそうとした。しかし、路地の奥にある古い自動販売機のあたりをじっと睨みつけた瞬間、言葉が喉の奥で硬く詰まった。
耳の奥で、ジジジ、ジジジと、テレビの砂嵐のような微かな電子雑音が響き始めていたのだ。
気のせいではない。その路地の空間だけ、夕闇の濃さが不自然にぐにゃりと波打ち、画面の走査線が乱れるように揺れている。普段なら気にも留めないはずの古びた路地裏が、まるで世界の底に隠された不気味な亀裂のように思えてきた。
(何なんだこれは。耳鳴りじゃない。頭の中で直接、砂嵐の音が鳴っている。空間のグラフィックが乱れているみたいに、路地の奥がチカチカと不自然に明滅しているぞ。俺の直感が、あそこへ近付くなと猛烈に叫んでいる)
多朗は背筋に冷や汗が流れるのを感じながら、必死に自分の呼吸を整えた。
『やっぱり気のせいだよな。ほら、もうすぐお日様も落ちて暗くなるし、お腹も空いたから早く帰ろうぜ』
多朗は自分と琴音を安心させるように、わざと明るい声を張り上げた。
『はい。多朗さんがそう仰るなら、帰りましょう』
マナは短く答えると、いつものようにカバンの紐を両手できゅっと握り直し、何事もなかったかのように歩き出した。しかし、その視線は去り際に一度だけ、不気味な路地裏の奥へと深く向けられていた。
夕闇が成増の街並みを急速に侵食していく。
多朗は、自分たちが今踏みしめているこのアスファルトの地面さえも、いつか足元から脆く崩れ去ってしまうのではないかという、拭いきれない強い違和感を抱えたまま、二人の先頭に立って家路を急いだ。街灯が点灯し始める街道の光が、どこまでも不気味に揺れていた。




