絶望の成増基地に舞い降りた白銀の翼、一撃で空を抉り開け!
鉛色の雲が、まるで内側から見えない巨大な刃で斬り裂かれたかのように、左右へ真っ二つに割れた。
そこから覗いたのは、久しく誰も目にしていなかった深く澄み切った成層圏の青と、その中心から垂直に落下してくる一筋の白銀の閃光だった。
成増基地の防空壕前で、滑走路を埋め尽くす小型結晶体の群れと、頭上から迫る巨大な黒い正八面体の重圧に耐えていた防衛線の面々は、呆然と空を見上げた。
「おい、あれはなんだ。隕石か」
銃身を熱で赤く焼かせながら、整備班長の山さんが目を丸くする。
「違う。あの波長、あの幾何学の輝きは」
通信統括のヤイジが、背中の受信機の針が振り切れるのを見て声を震わせた。隣で双眼鏡を覗いていた副長の潔が、珍しく唇の端を緩めて双眼鏡を下ろした。
「カズ、どうやら俺たちの負け戦はお預けらしいぞ。一番遅刻しちゃいけない連中が、一番派手なやり方で帰ってきやがった」
「ったく、あのガキども、心臓に悪い真似をしやがる」
大隊長のカズは、硝煙で煤けた顔に満面の笑みを浮かべ、砕けたコンクリートの上にどっかりと腰を下ろした。
その遥か上空、音速の壁を幾重にも突破しながら急降下する中枢母機【零二】の操縦席では、四人の搭乗員が戦場の全貌を正確に捉えていた。
「上宮くん、防空壕のすぐ真上に大型の正八面体よ! すでに質量圧殺の力場を展開している、あと十秒で基地の屋根が潰れるわ!」
副座の相羽みなみが、立体表示盤に浮かぶ危険域の赤色を鋭く指差す。
「十秒もありゃ十分だ。お釣りが出るぜ!」
飛行操縦席の剛田猛が、金属固定金具の嵌まった両腕に渾身の力を込めた。骨の接合部がギシリと悲鳴を上げ、額に脂汗が滲むが、操縦桿に巻かれた「さわや」のきく子ばあちゃんの布巾が、その汗をしっかりと吸い取って滑りを止める。
「陣内、減速はしねえぞ! このままの速度で敵のど真ん中に突っ込む、衝撃を全部、刃に変えろ!」
「無茶を言いますね。ですが、今の月読炉心なら計算が成り立ちます」
後方の演算防壁席で、陣内竜太郎が眼鏡の位置を中指で押し上げ、冷徹な手つきで火器管制の鍵盤を叩きまくった。
「自律機イチ番、サン番、ロク番、機首前方へ収束! 降下速度の運動量をすべて位相切断力場へと変換します。上宮、主座からの精神同調、いつでもどうぞ!」
「わかった。みんな、力を貸してくれ!」
主座の上宮多朗は、深く息を吸い込み、自らの意識を機体の心臓部である月読炉心へと直結させた。
月の裏側でかぐや姫の末裔から託された白銀の光と、地上で必死に生き抜こうとする仲間たちの熱い鼓動が、多朗の胸の中で一つに溶け合う。機体表面の幾何学文様がまばゆい黄金の火花を散らし、三機の自律無人機が【零二】の機首の先で巨大な光の刃を形成した。
地上の瓦礫の陰では、成増航空高校の生徒たちもその光に気づいていた。
「あれを見ろ! 【零二】だ、上宮たちが戻ってきたんだ!」
対位相火器の銃身を冷やしていた榊が、歓喜の声を上げて立ち上がる。その隣で、鳴海と四條蓮も弾倉を交換する手を止めて空を仰いだ。
「でも、あの降下速度はおかしいぞ。減速が間に合わない、大型の多面体に正面衝突する気か!」
四條が叫ぶ。黒い正八面体もまた、天から迫る脅威を察知したのか、その表面を鏡のように変化させ、これまで人類のあらゆる兵器を弾き返してきた絶対防壁を幾重にも展開した。
しかし、土嚢の陰から顔を出した九条だけは、おっとりとした笑顔のまま、両手を胸の前で合わせていた。
「ぶつからないよ。だってあの白い翼、もうこの空のルールよりずっと上のところにいるんだもん」
その横で、麦茶のやかんを抱えた琴音が、溢れそうになる涙を袖で拭いながら、空へ向かって大きく息を吸い込んだ。
「多朗ーっ! おかえりなさいーっ!」
琴音の声が戦場の轟音に掻き消されるよりも早く、白銀の流星が黒い正八面体の頂点へと到達した。
「貫け、【零二】!」
多朗の咆哮とともに、光の刃を纏った機体が敵の絶対防壁へと激突した。
かつてマリアナの海で彼らを絶望させた強固な位相の壁が、今の【零二】の前ではただの薄い硝子細工に過ぎなかった。ピシリ、と大気を震わせる澄んだ音が響いたかと思うと、黒い正八面体の中心に白銀の線が走り、音もなく上下真っ二つへと両断された。
直後、遅れてやってきた衝撃波が周囲の雲を吹き飛ばし、真っ二つに割れた巨体が光の粒子となって大気中へと霧散していく。爆風すら起きない、あまりにも完璧で圧倒的な高次元消滅だった。
「う、嘘だろ。あの大型を、体当たり一発で消し飛ばしやがった」
四條が呆気にとられて呟く。
親玉を失った地上の小型結晶体たちが、統制を失って不規則に震え始めた。その隙を逃す【零二】ではない。
「剛田、地表すれすれで引き起こせ! 残りの雑魚を風圧と防壁波で一掃する!」
「おうよ! ばあちゃんの揚げたてコロッケより熱い風を食らわせてやるぜ!」
剛田が両腕の激痛を気合でねじ伏せ、操縦桿を腹の底まで引き切った。
滑走路のわずか数十メートル上空で、【零二】の機体が華麗な弧を描いて水平飛行へと移行する。その翼の軌跡から放たれた白銀の光の波紋が、滑走路を埋め尽くしていた数千の小型結晶体を、まるで箒で塵を掃き清めるかのように一瞬で浄化し、消し去ってしまった。
頭上を通り過ぎる猛烈な風圧に、カズや潔、そして生徒たちが思わず手で顔を覆う。
風が収まった時、成増基地の滑走路には敵の影は一つもなく、ただ中空に静止して白銀の翼を休める【零二】の気高い姿だけがあった。
「上宮くん、地上の全生存反応を確認! 教官たちも、琴音ちゃんも、みんな無事よ!」
機内でみなみが弾けるような笑顔で振り返る。多朗は安堵の息を吐き、外部拡声器の回路を開いた。
『成増基地の皆さん、遅くなって申し訳ありません。都立成増航空高等学校一年、上宮多朗、相羽みなみ、剛田猛、陣内竜太郎、ただいま帰還しました!』
空から降り注いだ礼儀正しくも力強い多朗の声に、地上は一瞬の静寂の後、爆発するような歓声に包まれた。
「馬鹿野郎、遅えよ! だが、よく帰ってきた!」
カズが拳を突き上げ、山さんとヤイジが肩を抱き合って飛び跳ねる。琴音はその場にへたり込み、安堵の涙をポロポロと零していた。
だが、機内の陣内だけはすでに次の戦局を見据えて眼鏡を光らせていた。
「感動の再会ですが、まだ終わりじゃありませんよ。この基地の周辺空域には、視覚を歪めて隠れている中型多面体がまだ数十機潜んでいます。それに、旭町の成増神社も限界が近い」
「分かっている。まずはこの基地の空に隠れている敵を完全に掃除して、みんなの安全を確保しよう」
多朗が頷いた、その時だった。機内の通信盤に、地上からの奇妙な無線が飛び込んできた。発信元は、四條蓮の携帯端末からだった。
『あ、もしもし、上宮くん? 聞こえるかな。あのね、空のあちこちに、まだ黒いトゲトゲが隠れてるの。私が指差すから、そこから順番に縫ってあげて』
受話器の向こうから聞こえてきたのは、四條から無線機を借りたらしい九条の、のんびりとした声だった。




