沈黙する大陸
成増基地の地下深くに設けられた特務指揮所は、非常用の赤い電灯だけが不気味に明滅する息苦しい空間となっていた。天井からは絶え間ない地上の砲撃によって細かい砂塵が降り注ぎ、換気扇の唸る音が生存者たちの焦燥を煽っている。
中央の戦術卓を囲んでいたのは、石田参謀、通信統括の稲葉、そして地上から補給に戻った整備班長の山口だった。卓上の立体投影機には、赤黒い汚染領域に覆われた地球全体の地図が浮かび上がっており、大陸の各所で次々と青い防衛拠点の光が消滅していく様子が映し出されていた。
「おい潔、さっきから大陸側の拠点が片っ端から消えてるじゃねえか。世界の軍隊はいったい何をやってるんだ」
山口が油まみれの工具を握りしめたまま、苛立ちを隠せずに怒鳴った。
「落ち着け、山さん。今、ヤイジが大陸間の極秘回線を解析しているところだ」
石田参謀もまた、血走った目で投影機の数値を見つめていた。やがて、通信機にかじりついていた稲葉の顔から、急速に血の気が引いていった。
「嘘だろ。こんなことが許されるのか」
「どうした、ヤイジ。何を傍受した」
石田が詰め寄ると、稲葉は震える指で音声出力のスイッチを入れた。雑音混じりの回線から流れ出してきたのは、中国と北朝鮮の地下大本営から、空を覆う多面体構造物の中枢へ向けて発信されている無条件降伏と単独講和の直訴だった。
『我々は貴軍への一切の抵抗を放棄する。地球全体の防空暗号と、五族協和軍の地下要塞の座標、ならびに残存する全人類の生体情報をすべて引き渡す。ゆえに、我々指導部と特別区の生存だけは保障していただきたい』
指揮所の中に、凍りついたような沈黙が落ちた。
「ふざけんなよ。てめえらだけ生き残るために、地球の仲間を全部売り渡す気か」
山口が拳を戦術卓に叩きつけた。だが悪夢はそれだけでは終わらなかった。別の極秘回線が一斉に赤く点滅し、稲葉が悲鳴のような声を上げる。
「北米大陸とシベリアからも異常信号です。アメリカの首脳部は一般市民を地上に放置したまま、コロラド山岳地帯の地下要塞を内側から核爆破して永久封鎖しました。さらにロシアの極秘防衛区は、多面体に向けて大気圏内で熱核兵器を無差別乱射し、自国の街ごと電離層を焼き切っています」
世界を主導してきた大国が、わずか数十分のうちに次々と理性を失い、裏切りと自滅の道を選んだのだ。その直後、五族協和軍の地下統合司令部から、氷のように冷たいレプティリアンの通信官の声が割り込んできた。
『地上の人間どもよ、今の醜態を見たか。危機に陥れば同胞を売り渡し、己の殻に閉じこもり、最後には星ごと道連れに自爆する。やはり貴様ら猿の種族は、我らと共に戦う価値など微塵もなかった』
「待て、俺たちは誰も裏切っちゃいない。成増の人間は今も地上で血を流して戦っているんだ」
石田が通信機に向かって必死に叫んだが、通信官の声には一片の情けもなかった。
『もはや一握りの例外など考慮する段階は過ぎた。これより我ら五族協和軍は、深海および地底へ通じるすべての次元隔壁門を完全に閉鎖し、地上世界との回線を永久に遮断する。愚かな人間どもは、自ら招いた灰の上で滅びるがいい』
無情な宣告と共に、五族協和軍を示す緑色の通信表示がすべて消滅した。その数秒後、戦術画面の中国と北朝鮮の座標が、眩いばかりの白い閃光に包まれた。
「北京と平壌の地下大本営が、多面体群の直撃を受けて消滅しました。裏切り者の命乞いなど、敵は最初から聞くつもりもなかったんです」
稲葉が呆然と呟き、椅子へと崩れ落ちた。大国は滅び、地底の同盟軍にも見捨てられ、地球の地表にはもはや成増のわずかな生存者しか残されていなかった。
「どうすりゃいいんだよ。武器も足りねえ、援軍も来ねえ、世界中から見捨てられて、俺たちだけでどうやってあの化け物に勝つっていうんだ」
山口が壁に背を預け、悔しさに顔を歪めてうめいた。指揮所を覆う絶望の空気を切り裂いたのは、重い鉄扉を開けて入ってきた後藤大隊長の低く力強い声だった。
「喚くな、山口。大国が勝手に自滅しようが、地底の連中が扉を閉めようが、俺たちのやることは最初から一つも変わっちゃいない」
後藤は煤で汚れた略帽を目深にかぶり直し、石田と稲葉、そして山口の顔を順に見据えた。
「俺たちが守っているのは、国の威信でもなければ地底の連中の機嫌でもない。この防空壕の奥で震えている生徒たちと、月から必ず帰ってくる上宮たちの帰還場所だ。誰にも頼れなくなったなら、俺たちの手だけでこの成増の空を守り抜くまでだ。弾が尽きるまで地上へ上がるぞ、ついてこい」
後藤が迷いなく踵を返し、地上の瓦礫へと続く階段を登り始める。その揺るぎない背中を見つめた山口は、袖で乱暴に顔を拭うと、傍らの重火器を掴んで力強く立ち上がった。




