月の超地底文明都市
漆黒の宇宙空間を猛烈な速度で突き進むレプティリアン軍の巨大母船は、炎に包まれる地球を遠く背後に残し、月周回軌道へと滑り込んだ。前方には、無数の隕石孔が刻まれた灰白色の荒涼たる月面が広がっている。母船は速度を落とすことなく、地球からは決して見ることのできない月の裏側へと回り込んでいった。
「なんだよ、見渡す限り砂と岩の山ばかりじゃねえか。こんな寂しい場所に本当に誰か住んでるのかよ」
小型無人機のイチ番が上宮多朗の頭上を飛び回りながら、不満げに電子音を響かせた。
「これイチ番、見た目だけで決めつけるのはおやめなさい。ちゃんと前をよく見なさいな」
サン番がお母さん言葉で窘めた瞬間、前方の巨大な谷底が地響きと共に左右へ大きく割れた。現れたのは、虚空を歪める不可視の光学迷彩を施された巨大な防壁だった。母船がその境目を滑り抜けると、搭乗員たちの視界が一気に白銀の輝きに満たされた。
「おい、冗談だろ。なんだよこの街は」
機体制御補助の剛田猛が、展望窓に張り付くようにして絶句した。地下の広大な空洞に広がっていたのは、地球の現代建築を遥かに超越した古代超文明都市だった。天を突く巨大な結晶構造の尖塔群は、傷ひとつなく透き通った光を放ち、幾何学模様を描く都市全体が神聖な脈動を刻んでいる。
「外壁にも塔にも、戦闘の痕跡が一切ない。完全に外界と隔絶された無傷の聖域だ」
陣内竜太郎が専用眼鏡を押し上げながら、息を呑んで呟いた。ロク番も重々しい武士口調で続く。
「これは見事でござるな。神話に語られる天の都そのものでござる」
巨大母船は静かに誘導され、白銀の船渠へと着陸した。複座型中枢母機【零二】の計器盤を携帯端末で確認していた陣内が、悔しげに眉をひそめる。
「ダメだ。船渠の電磁場に接続しても、零二の炉心は焼き付いたままで沈黙している。完全に息の根が止まっているぞ」
「この都市の技術力なら直せるのではないですか」
副座観測席から降り立った相羽みなみが、美しく輝く街並みを見上げながら問うた。同行していたレプティリアンの指揮官が歩み寄り、重々しい声で首を振る。
「この都市そのものは外敵の侵入を許してはおらん。だが、月人も地球を救うため、精鋭艦隊を率いてあの多面体構造物の迎撃に出撃したのだ。しかし奴らの圧倒的な次元兵装の前に手痛い敗北を喫し、多くの同胞を失ってこの月面都市へと撤退を余儀なくされた。月人の心は今、深い無念と傷に包まれている。部外者の機体を易々と直してくれるはずもない」
指揮官の案内に従い、多朗たちは白銀の宮殿へと足を踏み入れた。磨き抜かれた床を進んだ先、巨大な謁見の間の中央に、透き通るような白い肌と銀色の長い髪を持つ女性が静かに佇んでいた。その銀の瞳は氷のように冷たく、歩み寄る多朗たちを射抜くように見据える。
「強欲のままに次元を弄び、災厄の門を開いた地上の元凶どもが、何の面目を下げてこの月の聖域へ足を踏み入れたのか」
月人の長の凛とした声が、広大な神殿に鋭く反響した。剛田が思わず拳を握りしめ、前に出ようとする。
「てめえ、いきなり元凶呼ばわりかよ。俺たちは頼みたくて宇宙へ逃げてきたわけじゃねえぞ」
「剛田、下がってろ」
多朗が静かに剛田を制し、一歩前へと踏み出た。多朗は逃げることなく、月人の長の瞳を真っ直ぐに見据える。
「貴女の言う通りだ。俺たち人間が身勝手な過ちを犯し、あの悪夢を引き起こした。そのせいで貴女たちの艦隊まで巻き込み、多くの尊い命を奪ってしまったことを、心から謝罪する」
多朗が深く頭を下げた。月人の長は冷徹な眼差しを崩さない。
「口先だけの謝罪など何の意味も持たぬ。我ら月人の精鋭がどれほど多く、あの黒鉄の多面体に屠られて宇宙の藻屑と消えたか知っているのか。自分たちで招いた破滅に耐えきれず、今度はこの月へ救いを乞いに来たのか」
「違う。救いを乞いに来たんじゃない」
多朗は顔を上げ、強い光を宿した瞳で言い放った。
「俺たち人間が引き起こした過ちだからこそ、俺たち人間自身の手でケジメをつけなきゃいけないんだ。地球では今も、成増神社の社務所でマナとレプティリアンの将であるザルクス殿が命がけで敵を食い止めている。地底でも五族協和軍が戦い続けている。仲間たちが命を懸けて繋いでくれたこの命を、ただ生き延びるために使うつもりはない。人間が落とし前をつけるために、あの多面体を打ち破る戦う力を貸してくれ」
多朗の気迫のこもった言葉に、神殿が静まり返った。月人の長は細めた銀の瞳で多朗の顔をじっと見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「その顔つき、そしてその言葉の響き。お前たち、日の本の民か」
「ああ。東京の成増から来た、都立成増航空高等学校の生徒だ」
多朗が答えると、月人の長の氷のような表情がわずかに和らいだ。
「そうか、日の本の若者か。私はかつてお前たちの地で『かぐや』と呼ばれた者の直系の末裔にあたる。遥か昔、地上へ降りた我が祖先を、竹取の翁と媼は深い慈愛をもって育て、月の迎えが来るその日まで命がけで守り抜いてくれた。あの老夫婦から受けた温かな恩義は、千年を経た今も我ら月人の血に深く刻まれている」
月人の長は玉座から立ち上がり、純白の衣を揺らして階段を降りてきた。
「大国どもが次々と己の保身に走る中、お前たちだけは他者の痛みを背負い、自らの手で責務を果たすと言うのだな。よかろう、竹取の翁と媼の末裔たるお前たちの覚悟に免じ、一度だけ機会を授ける」
「本当ですか。ありがとうございます」
みなみがぱっと表情を明るくして頭を下げた。
「礼を言うのはまだ早い。お前たちの乗ってきた機体は、地球の未熟な科学で作られた粗雑な鉄の塊に過ぎぬ。そのまま直したところで、再び多面体の餌食となるだけだ」
月人の長は神殿の奥、眩い光が渦巻く巨大な白銀の祭壇へと指を差した。
「あの祭壇にて、機体の炉心を我が月の超科学によって真の次元超越機関へと作り変える。だが、その秘儀を成し遂げるには、搭乗者自身の精神と機体の魂を直結させねばならぬ。一歩間違えれば、お前たちの意識は次元の狭間に呑まれ、魂ごと砕け散ることになる。それでも挑む覚悟はあるか」
「ああ、望むところだ。どんな試練だろうと必ず乗り越えてみせる」
多朗は迷いなく頷き、隣に立つみなみ、剛田、陣内と力強く視線を交わした。地球が滅びるかどうかの瀬戸際で、多朗たちの新たな試練が幕を開けようとしていた




