海面に現れた巨大UFO
暗黒のマリアナ海溝から決死の急浮上を果たした複座型中枢母機【零二】は、白い泡と青白い光をまき散らしながら絶海の太平洋へと飛び出した。幾万トンもの水圧の呪縛が一気に抜け落ちた直後、焼き付く寸前だった主機関が激しい金属音を立てて完全に沈黙する。推力を失った巨体は、荒れ狂う波間へと重々しく落下し、激しい水飛沫を上げた。
「抜けたぞ! 海面だ! だが主機関が完全に焼き付いた! 推力がゼロに落ち込んでいく!」
機関制御手席の陣内蓮が、真っ赤に明滅する計器盤を叩きながら叫んだ。冷却水の弁は全開のまま固定されていたが、海溝からの限界を超えた脱出劇によって、炉心はもはや指一本動かせないほど過熱しきっていた。
「おい、なんだよこの空は。冗談だろ。外の検知器が水圧で壊れちまったのかよ!」
機体制御補助の剛田猛が、全方位モニターに映し出された外の光景を見て絶句した。そこに広がっていたのは、彼らが知る青い海でもなければ、見慣れた空でもなかった。見渡す限り陸地ひとつない太平洋の天頂から水平線の彼方に至るまで、太陽の光を完全に遮断するほど巨大な黒鉄色の多面体構造物群がびっしりと浮かんでいたのだ。さらにその隙間を埋め尽くすように、無数の人型霊体の影が蠢いている。
「検知器は正常だ。視覚情報の誤差はゼロ。故障なんかじゃない、これが今の太平洋の現実だっていうのか」
陣内が専用眼鏡の奥の瞳を見開き、掠れた声を漏らした。その直後、上空に浮かぶ多面体構造物の底面が一斉に赤黒い光を放った。幾千もの極太の光の柱が、広大な太平洋の海面へ向けて無慈悲に降り注ぐ。海水が瞬時に蒸発して巨大な水蒸気の壁が立ち昇り、熱波を伴う衝撃が海面に浮かぶ零二の機体を激しく揺さぶった。
「上空からの重力波反応、この海域だけではありません! 高次元観測網を通じて、成層圏に生き残っていた光学衛星の映像を副画面に接続します!」
副座観測席の相羽みなみが、鼻血を拭いもせずに冷徹な声で告げ、素早く端末を操作した。コクピットの副画面に、ここから二千五百キロメートル北方に位置する日本列島と東京上空の衛星中継映像が映し出される。そこにもまた、太平洋とまったく同じ黒鉄の多面体群が空を覆い尽くし、地上へ向けて破滅の光を絶え間なく撃ち込んでいた。
「東京まで同じなのかよ! あの化け物ども、赤塚も成増も光が丘も街ごと消し飛ばして、俺の家族も規久子婆ちゃんもみんな殺しておいて、まだ飽き足らねえのか!」
剛田が血の滲むほど拳を握り締め、炎に包まれる東京の衛星映像に向かって吠えた。みなみがさらに観測データを読み上げる。
「日本だけではありません。北米、欧州、アジア、すべての大陸の上空で同様の多面体構造物の出現を確認しました。地球全域が同時に包囲され、一方的に焼かれています」
「地球全部だと! じゃあ成増基地に残ってるみんなはどうなったんだ! 炊事班に入った琴音や、機体の修理で出撃できなかった榊先輩は! 鳴海先輩や後藤教官、石田教頭、稲葉教官、山口教官、四條に九条は無事なのかよ!」
剛田が通信機にしがみつくようにして叫んだ。陣内が必死に超長距離通信の周波数を切り替え、遥か北方の成増基地への呼びかけを試みる。
「ダメだ、成増基地からの応答は一切ない! 地球全体を覆う異常な重力波の干渉で、地上との通信網は完全に遮断されている! 琴音も榊先輩も、後藤大隊長たちともまるで連絡が取れない!」
「そんなバカな! おい、誰か応答しろよ! 琴音! 榊先輩! 鳴海先輩! 俺たちが海溝から戻ったんだぞ、返事をしてくれよ!」
剛田の悲痛な叫びに対し、通信機から返ってくるのは冷たい砂嵐の雑音だけだった。操縦席の上宮多朗は、一切の反応を失った操縦桿を両手で強く握り締め、ギリギリと奥歯を噛み締めていた。その網膜の神経網に直結した六基の自律小型無人機が、海面上で一斉に音声回線を開く。
「うわあああ! なんだよこの数は! せっかく深海の底から命からがら逃げ切ったと思ったら、海の上はもっとヤバい地獄じゃねえか! オイラたち、こんな絶海のど真ん中で丸焼きにされちまうよ!」
イチ番が機体の周囲を慌ただしく飛び回りながら、甲高い電子音声で騒ぎ立てた。
「やかましいぞイチ番! 泣き言を並べる暇があるなら砲門を開け! あの忌々しい黒い塊どもがこれ以上暴れる前に、俺の最大火力で片っ端から叩き潰してやる!」
ヨン番が荒々しく出力を上げ、青白い火花の散る銃口を天頂の多面体へと向けた。しかし、すぐさまサン番が優しいながらも毅然としたお母さん口調で割り込んだ。
「ちょっとヨン番、無茶をするのはおやめなさい! 海溝からの無理な浮上で、母機の炉心はもう限界なのよ! これ以上出力を上げたら機体ごとドロドロに溶けちゃうわ! 推進器も完全に沈黙しているのだし、いい子だから今はじっとして機関を冷やさないとダメよ!」
「冗談言うなサン番! こんな逃げ場のない海の上でじっとしてたら、上空からの光に撃ち抜かれて一巻の終わりじゃねえか!」
ヨン番が言い返すが、サン番の言葉通り、零二の主機関はピクリとも動かない。その時、高次元計算の波長を日本列島へ走らせていたみなみが、ハッとしたように顔を上げた。
「東京の衛星映像のなかに、微弱な生体波長と結界の反応を捕捉しました! 成増と赤塚の界隈は完全に崩壊していますが、旭町の成増神社の一角だけ、あやかし部隊の応為さんが張った結界が辛うじて機能しています!」
「成増神社だと! じゃあ、あそこの社務所で寝てるマナは無事なのか!」
多朗が初めて声を張り上げた。みなみが険しい表情で頷き、副画面の一部を拡大する。
「はい。負傷したマナと、彼女をずっと世話してくれていたレプティリアンのオジサンが、今も社務所のなかで治療を受けているはずです。ですが、東京上空の多面体から放たれる重力波の直撃を受けて、応為さんの結界もすでにひび割れています。もう限界にきています!」
「マナとあのオジサンが危ないってのに、俺たちはこんな遠い南の海で一歩も動けねえのかよ! くそっ、動けよ零二! 今すぐ東京へ、旭町の社務所へ飛べ!」
剛田が制御盤を拳で叩くが、焼き付いた機関は冷たい沈黙を保つばかりだった。そして、太平洋の海面で完全に足を止めた零二の直上で、ひときわ巨大な多面体構造物の底面が不気味に開口した。立ち往生する彼らを一撃で蒸発させるため、眩い処刑の光芒が収束し始める。
「直上から高エネルギー反応! 回避できません、直撃します!」
みなみが悲鳴のような警告を発し、ロク番が重々しい武士口調で叫んだ。
「もはやこれまでか! だが、せめて我らだけでも盾となり、主殿たちを守り抜くでござる!」
ロク番やニ番、ゴ番たちが零二の上空へ展開し、小さな機体で光の柱を受け止めようと身構えた。
赤黒い破滅の光が天から放たれたのは、その直後だった。
だが、光が零二を呑み込む寸前、海面の上空の空間が激しい雷鳴と共に真っ二つに裂けた。黒雲を突き破って滑り込んできたのは、優に数キロメートルはあろうかという途方もない巨体を誇る、銀灰色の巨大UFOであった。円盤状の母船の底面から展開された重厚な幾何学状のエネルギー障壁が、多面体からの直撃弾を真っ向から受け止め、大気ごと弾き飛ばした。
「なんだあのでけえUFOは! 俺たちを庇ったのか!」
剛田が目を見張る。すぐさまロク番が歓喜の声を上げた。
「おお、この波長は間違いない! 我らと共に戦ったレプティリアン軍の巨大UFO母船でござる!」
「まあ、なんて頼もしいのかしら! 本当にいいところに来てくれたわね、もうダメかと思ったわ!」
サン番がほっとしたように胸を撫で下ろす電子音を響かせた。その瞬間、零二の通信モニターに、爬虫類の鋭い縦長の瞳を持つレプティリアンの指揮官の姿が映し出された。
「上宮多朗、および零二の搭乗員たちよ。無事で何よりだ。地上で負傷している我らが長、貴殿らの仲間のマナがオジサンと呼んでいる上官の命により、貴殿らを救出に参った」
「社務所にいるあのオジサンの部下なのか! 助かった、礼を言う! だが、その母船で俺たちを今すぐ東京へ、旭町の成増神社へ運んでくれ! 応為の結界がもう限界なんだ、マナとあんたらの長を助けに行かないと!」
多朗が身を乗り出して叫んだ。しかし、レプティリアンの指揮官は冷徹に首を横に振った。
「それはできぬ。成増基地はすでに壊滅し、日本への帰還は不可能だ。そして長からは、自分たちや地上のことは一切構うな、上宮多朗たちを何としても宇宙へ逃がせと厳命を受けている」
「なんだと! ふざけるな、見殺しにする気かよ! 社務所には傷ついたマナとオジサンがいるんだぞ! 成増基地の琴音や榊先輩たちだって、瓦礫の下で助けを待ってるかもしれないんだ!」
剛田が通信機に向かって怒声を浴びせるが、指揮官の決意は揺らがなかった。
「今ここで貴殿らが無謀に日本へ戻り犬死にすれば、地球の反撃の芽は永遠に潰える。これより貴機を牽引光線で我が母船へ強制収容し、ただちに衛星軌道へと脱出する!」
指揮官の宣言と同時に、巨大UFOの底面から翡翠色の眩い牽引光線が照射され、海面に浮かぶ零二の機体をすっぽりと包み込んだ。
「機体が浮き上がっていく! 牽引光線の出力が強すぎて、こちらからは振り切れません!」
陣内が計器盤を操作しようとするが、完全に機能を停止した零二には抵抗する術がなかった。
「待て! 降ろしてくれ! マナが、みんながまだ東京に残ってるんだ!」
多朗の悲痛な叫びも虚しく、零二は小型無人機たちと共に巨大母船の格納庫へと吸い込まれていく。レプティリアン軍の巨大UFOは、太平洋を覆う重力波の嵐を強引に突き破り、猛烈な加速で成層圏へと駆け上がった。分厚い格納庫の隔壁が閉ざされる直前、遥か北方の眼下に、赤く燃え上がる日本列島の大地と、東京の一角で今にも消え入りそうに瞬く成増神社の淡い結界の光が小さく見えた。音信不通の仲間たちと傷ついたマナを炎に包まれる地球に残したまま、多朗たちは冷たく暗い宇宙の海へと引き剥がされていった。




