深海最深部の死闘
水深一万メートルのマリアナ海溝最深部、チャレンジャー海淵。
太陽の光が完全に途絶えた漆黒の海底は、敵性多面体から噴き出した高次元物質によって、青白く不気味に発光する巨大な結晶の迷宮へと変貌していた。
母機【NX零二】の操縦席では、暗闇に沈む計器盤のインジケーターだけが青い光を投げかけている。
敵性多面体は、海底に広がる熱水鉱床の裂け目にその巨体を固定し、無数の光の繊維を地殻の奥底へと突き刺していた。地表へ向けて結晶化の相転移波を拡散させる中枢核は、今まさにその巨大な結晶装甲の内部で脈動を続けている。
「敵は熱水鉱床から無限にエネルギーを吸い上げている。このまま海底の岩盤と一体化されれば、もはや手出しができなくなるぞ」
機体制御席の剛田猛は、両腕のボルト留めされた金属固定具から滲む血を気に留めることもなく、操縦桿を微調整して母機を海底すれすれの位置にホバリングさせた。彼の分厚い掌に巻かれたきく子ばあちゃんの形見の布巾が、極限の緊張感の中で重く湿っている。
「分かっている。結晶の迷宮が完全な要塞になる前に、奴の核を叩き割る」
主座に座る上宮多朗は、額の生体端子を通じて母機の外殻と一体化していた。
海面上空では、水中行動の適性がない三万機の通常軍用無人機群が防衛線を維持しているが、多朗の神経網と直接直結され、母機の耐圧場に守られた特異な六基の自律型小型無人機(イチ番からロク番まで)は、機体の外装スリットから静かに滑り出て水中へと展開していた。
『イチ番より神経網へ。敵性多面体周囲の結晶構造を解析。熱水噴出孔を起点とした高密度位相の結界が重層的に展開されています』
『ニ番、敵の位相周期に同期。結晶の迷宮内部に通じるわずかな死角の回廊を特定しました』
『サン番、母機の耐圧同調フィールドを維持。水圧負荷は正常値をキープ』
無機質でありながら確かな信頼を置ける六基の小型無人機が、水流を切り裂きながら結晶の迷宮へと先行していく。
その背後から、ザルクス率いるレプティリアン生体戦闘艇の群れが重力波の砲門を次々と開放した。艇体の鏡面装甲から放たれた高出力の重力波が、敵の迷宮を取り巻く青白い結晶の壁を次々と粉砕していく。
だが、敵もただ沈黙して迎撃を待っているわけではなかった。
結晶の迷宮の表面に刻まれた幾何学紋様が眩い赤色に明滅した瞬間、海底の岩盤そのものが逆巻く水流に乗って巨大な結晶の槍へと姿を変え、母機と生体艇群めがけて四方八方から弾き飛ばされた。
「来るぞ!全方位からの結晶弾幕だ!」
陣内が機関制御席から鋭く声を張り上げた。
眼鏡の奥の瞳が高速で点滅するデータ群を追い、手動の配管弁を叩いて推進器の偏向出力を最大値へと引き上げる。
「相羽、迎撃の計算値は間に合うか!」
「間に合わせる。ニ番とサン番が導き出した死角の回廊データと同期完了。剛田くん、右へ十五度旋回、そのまま水流の渦を抜けて!」
副座の相羽みなみが戦術携帯端末を叩き、瞬時に弾き出した最適航路の数値を多朗の神経網へと流し込んだ。
多朗の思考と同期した一号機から六号機の無人機群が、母機の先頭に立って迎撃の結晶の槍を次々と撃ち落とし、水中に幾何学的な迎撃の軌跡を描き出す。
母機【NX零二】は剛田の荒々しくも正確な操縦によって結晶の弾幕の隙間を縫いように滑り抜け、敵の中枢核が眠る迷宮の最奥部へと肉薄した。
「今よ、上宮くん!」
相羽の叫びと共に、多朗は額の生体端子に意識の全てを集中させた。
人間のエゴや恐怖を完全に削ぎ落とし、ただこの世界と仲間たちを守りたいという静かな祈りが、母機の全火器管制システムを強制的に覚醒させる。
母機の機首に備えられた分子崩壊砲が、暗黒の海底を一際眩い青白い閃光で染め上げた。
「撃ち抜け、すべてを終わらせるために!」
多朗の号令とともに、極太のエネルギーの奔流が結晶の迷宮の中心核へと直撃した。
水深一万メートルの海底で、すべての音が消え去るような強烈な沈黙ののち、想像を絶する水中の連鎖爆発が巻き起こった。




